人の間に関するazumyのブックマーク (187)

  • 食事をマズくする人たち - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    何事にも相性があるもんなのです。恋愛でも仕事でもそうだけども、事をするときにも相性があります。「こいつとメシうと気分がいい」というヤツもいれば、「なんでこいつとうとマズく感じるんだろ」みたいなヤツもいる。メシをうまくうには、メシをうまくってくれる人でないといかんわけですよ。メシをマズくしてくれるタイプの人間は、結構いるもんなんです。 店の人にエラそう 高圧的な物言いをする人がおります。店の人は自分より下。お金を払う方がエライ。客である自分は神様。そんな考え方をしている人。 そういう人とメシをうと気分が悪いのです。落ち着かない。ヤツは言いたいことを言っているだけなので、なんの不都合も感じていないわけですが、こっちはしっかり気分が悪い。気分が悪いので、味に集中できない。うまく感じない。 まして、来ているお店が自分のお気に入りだったら最悪。自分とその店が築いてきた関係を一気に壊される

    食事をマズくする人たち - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
    azumy
    azumy 2008/08/28
    自分が嫌なタイプは食べながら評論家になってしまうタイプ。しかも欠点や好みでない点ばかりあげつらう人。食べ終わってから言うのはまだいいが、食べてる最中に言われるとこっちまでしょんぼりしてしまう。
  • 明るい懐疑とコミュニケーション(追記あり) - 理系兼業主婦日記

    ニセ科学 | 自分と信念を異にする相手と客観的に議論を進め、ひとつの合意に至ることは当に難しい。 自分の方が明らかに客観的かつ論理的であり(と自分が思っており)、相手の方が明らかに主観的かつ非論理的である(と自分が思っている)場合は、なおさら難しい。 その相手と関わり続ける必要がないならそれでよいが、どこでもかしこでも国交断絶ばかりしているわけにもいかないのが、人間社会のシンドイところ。 客観性と論理性は、人間どうしが理解しあうためのツールであるはずなのに、それらだけでコミュニケーションがうまくいく場合は多いとは言えない。なんでだろう? ムチャなことを言いがちな相手と議論をするとき、「客観的」を自認する人は、まず「相手が間違っているのではないか」という前提で思考を開始する。より正確な結論を導き出すことを目的とする場合、この態度が正しくないかといえば、もちろん正しい。議論の相手が、どうにも

  • 2008-05-24

    「こうのとりのゆりかご」の利用状況について熊市が短期的検証を発表しました。 昨日ニュースで一報を聞いた時にはまだ熊市のサイトにはあげられていませんでしたが、今はいくつかのpdfファイルで見ることができます(→サイト)。 発表を行なった熊市要保護児童対策地域協議会「こうのとりのゆりかご」専門部会でこの検証を行なったのは、法医学の教授(座長)と精神科医、心理学の教授、弁護士、小児科医によって構成されるグループでした。 ■「こうのとりのゆりかご」の運用状況に関する短期的検証(1年間) (pdf) ■「こうのとりのゆりかご」の運用状況の検証に関する報告書 (pdf) これは平成19年8月末日までの「ゆりかご」の運用状況の報告です。ここではその運用に刑法上の「明らかな違法性」が認められなかったこと、システムのトラブルもあったが改善されたこと、そしてその運用を契機として妊娠・出産に関する相談業務

    2008-05-24
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20080423/1208943340

    azumy
    azumy 2008/04/24
    それはやはり良い意味でのプライドではないかと感じる。自分の力でかなりのことはある程度までできるのだ、という自信という意味で。
  • ウェブ上で「沈黙のうちに語る」のって難しい。 - 陽だまりで眠る猫のように

    相手に否定的なことを言うとき、「沈黙のうちに語ら」なければならないことが、往々にしてある。 例えば、 ・口に出すとツンデレちゃんになっちゃう場合 気に入らなければ無視しろ、言及した時点で興味ありってことじゃないか、ってなる。 亀田問題とか。 ・自己言及にはまる場合 例が思いつかないので略。 沈黙って言うのは何も言わ「ない」こと、そして「ない」ものは「ない」のだから、示せない。言葉では。 リアル世界においては、言葉の代わりに表情とか仕草とか態度とか普段からの発言とか、そういった無意識的なものを媒体にして、相手に異議を唱えることができるんだけど、ウェブ上ではそれがない。それができない。 で、何も言えずにいると、論破されたことになっちゃう。 どうしたらいいんだろう、と思った。 3月12日 追記:ちょっと文を推敲。大筋は変えてない。

    ウェブ上で「沈黙のうちに語る」のって難しい。 - 陽だまりで眠る猫のように
  • suVeneのあれ: 「感覚」と「理屈」

    2008年02月26日 「感覚」と「理屈」 「感覚」と「理屈」が、かけ離れているということは、よくあることだと思う。理屈の上では、「A という手段が合理的」だとわかっていても、自分の「実感」からその方法を取れない場合などだ。 少しわかりにくいかもしれないので、具体例を挙げると、 (感覚)コミュニケーションに対して、「上手くいきっこない」と悲観的である。 → (理屈)上手くいくかどうかは、やってみなければわからない。 (感覚)過去の行動に対して、執着して考え込んでしまう → (理屈)済んだことは取り返しようがないので、重要なのは「過去の失敗に対して、どういう行動を起こすか」である。 などというような、「理屈の上ではわかっているが、実感としてそうでない」場合などだ。 (例に挙げたのは、「ネガティブ」な実感に反する理屈であるが、逆のパターンもあるかもしれない) このような、「感覚」と「理屈」の齟

    azumy
    azumy 2008/02/26
    同感。
  • 「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 :Heartlogic

    「ひとの気持ちを考える」から「空気を読む」へ変わる時代の空気 小さい頃「ひとの気持ちを考えて行動しろ」的なことをよく言われた。今どきの子どもも先生に言われるんだろうか? ひとの気持ちを考えることの難度は、ライフスタイルや価値観の多様化を受けてうなぎ登りに上がっていると思うが……。 近年では、この「ひとの気持ちを考える」に代わって「空気を読む」という言葉が使われているが、この2つの言葉は似ているようで、決定的な違いがある。 気持ち=自分のもの 空気=誰のものでもない 「ひとの気持ち」は各自に固有のものであり、対象によって正解・不正解が確実に判断できる。 一方で「空気」とは場を共有するみんなのもので、言い換えれば誰のものでもなくて、正解・不正解を個人の判断で決めることが難しい。発言力のある者が「ここの空気はこうなんだよ」とすることで、皆を無理矢理納得させられる。 つまり、ちと嫌な見方をすると、

    azumy
    azumy 2008/02/19
    「空気を読む」を意図的に使う裏の意図について
  • azumyさんが「空気」について連続して考察されている - 夏のひこうき雲(ブログ移行中)

    「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く、また 「空気読めない」の多層性 - 深く考えないで捨てるように書く、また 「空気読めない」のもう一つのパターン - 深く考えないで捨てるように書く、また 「空気読めない」の含む不可能性 - 深く考えないで捨てるように書く、また 「空気読めない」の例を考えてみた - 深く考えないで捨てるように書く、また 「空気読めないの例」の解答例 - 深く考えないで捨てるように書く、また 「KY」と叫ぶのはどういうとき? - 深く考えないで捨てるように書く、また この意味での「空気」って興味深いですよね。強引にまとめて切り上げようとしたりせず、考え続けてらっしゃる姿勢に共感しました。 なお私が以前に書いた関連の記事には 大喜利「裸の王様」 - モヒカンダイアリー「アップル通信」 - モヒカン族 人の気持ちを考えろ - モヒカンダイアリー「アップル

    azumyさんが「空気」について連続して考察されている - 夏のひこうき雲(ブログ移行中)
  • 「空気読めないの例」の解答例 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「空気読めない」の例を考えてみた - 深く考えないで捨てるように書くについて、自分の考えた解答例。 【問1】1行目のAの発言の時点で、場の空気はどうであったか。特に、ラーメン派とハンバーガー派について。 【解1】特に特定の空気はなかった。なにかべにいきたいな、というだけ。 【問2】4行目のBの発言で、「DはKY」とされている。このように判断したのは誰か。また、この時、その人物は場の空気はどのような状況と判断していたか。 【解2】判断したのはBのみ。彼は場の空気を「ラーメンべにいこう」だと考えていた。 【問3】問2の時、Dは場の空気をどのように判断していたか。 【解3】特定の空気はないと判断していた。 【問4】問2の時、BとD以外の人物は、場の空気をどのように判断していたか。 【解4】特定の空気はないと判断していた可能性が高いが、Bの「DはKY」発言の時点で、そうか空気はラーメン

    「空気読めないの例」の解答例 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    azumy
    azumy 2008/02/08
    >id:suVeneさん 「できあがる」は現象なので根拠は必要なし。やりたいと思っているのに黙っている人がいても「みんなやりたくない」という空気が「できあがる」ことが現実にあります。内心と現象に乖離があるんです
  • 誰かの「空気嫁」 - ちゃずけのはてなにっき

    「空気嫁」とか「KY」の言葉が定着して久しいようで、「空気は自分に都合のいいときだけ読め」な私としては 他の人がどのように「空気」をつかむのか大変興味深い。 「読まなくてもいい空気」というものがあると信じているので、と言うことは私もある程度は「空気」を読んでいる、 その場の「空気」に影響される人間であると自覚している。 多分、現実生活では実に空気をよく読むと私のことを思う人もいれば、全然空気の読めないひどい奴、と評価する人もいるはずで、 そのどちらも確実に「私」なわけで、それでいて完全に「私」ではないのだ。(なんのこっちゃ) なんのかんの言って、私は「空気嫁」な雰囲気が大嫌いだったりして。 この「空気」という表現が「誰のものでもない」という「無責任」が匂っているのだ。 「空気」とは「無味無臭」のようで、そこにいる全てのひとが「共有」されているものだと「決めつけ」られているが 実のところ、そ

    誰かの「空気嫁」 - ちゃずけのはてなにっき
    azumy
    azumy 2008/02/07
    自分の考えていたことの1つをばっちり言い当てられた。空気にはその空気を作った人が原則として存在する。そうなんだ。
  • 大学教員の日常・非日常:先生に失礼で敬語なんて使えません

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 「R先生いますー?」 講師部屋は4人が混在していますので、入口のところからこんな声が聞こえることもしばしば。 フラスコはたまに 「『R先生は、いらっしゃいますか?』だろ」 と、訂正したりしてみます。 するとまあ、注意された学生は、なんか半笑いで 「R先生、いらっしゃいますかー?」 と言いなおします。 ここに着任してから、お約束と化すほど繰り返してきたやりとりなんですが、 R先生のところの常連が言うわけですよ。 「えー、なんか、先生に敬語使うのって、他人行儀で失礼じゃないですか」 ほほぅ。 いわく、敬語とは「あなたとは距離がある」ということを表現する他人行儀なものである、と。まあ、たしかに。 彼らにとっ

  • KYって何だ(その2) - 国家鮟鱇

    ⇒「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く 前に、 ⇒KYって何だ って記事書いたんだけど、それとほぼ同趣旨だと思う。 ところで、「空気読めない」について考える材料として、去年格好の出来事があった。 ⇒痛いニュース(ノ∀`):24時間TVの熱湯コマーシャルで小島よしおが空気読めずぬるま湯だとバレる ダチョウ倶楽部と小島よしおは、お互いに少し絡みづらいと感じており、妙な「空気」が流れていた。 熱湯に入ったとき何か面白いことをしなければならないという「空気」があった。そのことを小島は理解していた。 あせった小島はテンパってしまい、とっさに思いついたギャグは、「空気」の読めないものになってしまった。 その時点では気づかなかったが、周囲の「空気」ですぐに気づいた。 って感じゃないかと思う。ここに、いろんな「空気」が盛り込まれていると思いますね。 ところで、あの熱湯(というお約束)

    KYって何だ(その2) - 国家鮟鱇
  • KYって何だ - 国家鮟鱇

    俺はどうしても朝日新聞の珊瑚事件を思い出すので、「空気が読めない」とういう意味の「KY」にはなじめない。 それはともかく、 ⇒Yahoo!辞書 - KY 「空気を読めよ」、「空気が読めない奴だな」の頭文字。周囲の状況にふさわしい言動ができない人への警告。 具体的に「空気を読む」とはどういうケースか。たとえば「周囲が楽しそうにしていたら、つまらなくても楽しそうに振舞い、場の雰囲気を壊さない」みたいなことですよね。 「空気読めない」といっても「当に空気が読めていない」場合と、「空気が読めるけれど読まない」ケースがある。来の「空気読めない」は前者で、後者は「空気読まない」。だが、どちらも「空気読めない」と言われる可能性はある。やっていることは同じなので区別がつかない場合もある。前者は天然だが、後者はわざとやっているのであり、わざとやっているからにはやる理由がある。相手が誤解しているのなら、「

    KYって何だ - 国家鮟鱇
    azumy
    azumy 2008/02/06
    同趣旨のことを書いている方がやはりいらっしゃった。
  • 書いてよかったと思ったので記念にアップしとこう - 鼻が赤くなりにくいティッシュです

    ↑の記事が書いているうちに別にアップしなくていいかなぁという気分になったのだが、自分の気持ちの整理がついておもしろかったので記念にそのままアップ。 向こうは友達と思ってるらしいのに、どうしても私から友達を思えない人がいて困惑気味だったのだが、友達と思えない理由がはっきりとした。 「同意だけを求める」「気を遣わないといけない」人は、いかに親しく寄って来られようと友達と思えないんだ。 ああ、すっきり。 原因がわかっただけで、対処はまだ模索中だけど。

    書いてよかったと思ったので記念にアップしとこう - 鼻が赤くなりにくいティッシュです
  • はてブ現象 - jkondoの日記

    ブログを更新したあと、ブックマークがどれくらい増えたかを見るのが楽しみで、家族と映画を観ている間にも、トイレにiPhoneを持ち込んでこっそりブックマークを見ている、という方に出会った。 最初なぜそんなことをしなくちゃいけないのか分からなかったんだけど、映画を観るときにパソコンを開いてネットをしたりすることを家族の方が快く思わないかららしい。なるほど。 それは何なのかなあとしばらく考えていたんだけど、世界を共有したいということなのかなと思った。狭い空間に一緒にいる人がいきなり携帯電話で話し始めるのも嫌だし、電車の中で携帯やゲーム機とにらめっこしている人に感じる多少の違和感にも通じるところがあるように思う。 でもこれは少し複雑な問題だ。一緒に映画を観ていても、思考がどこかに飛んでしまって別のことを考えている場合はある。デバイスがあるかどうかが問題なのだろうか? 電車の中の携帯電話も何が一番の

    はてブ現象 - jkondoの日記
    azumy
    azumy 2008/01/15
    前半(家族の話)と後半(電車内での話)は違うからくり話のように思う。前半は世界の共有の有無ではなく世界の意識的拒絶の問題なのでは。
  • suVeneのあれ: お前は敵か味方か

    2008年01月10日 お前は敵か味方か 炎上、というか、人が集まってきて熱中しやすい話題というのが幾つかある。 その内容は、政治、宗教、差別といった社会的に大きな問題から、好きな歌手や、応援している球団、のような、まさに「自転車置き場」に代表されるような身近な問題までさまざまだ。 で、今日はそれらの中のひとつの話という訳でなく、それらの議論をしているときにかなりの割合で発見できることができるタイプについて書いてみる。どういうタイプかといえば、タイトルどおり、「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人のことである。(自分だけ固持するどころか、相手にもそれを望むタイプ) 以前、私は mixi のとあるコミュの「分煙について」みたいなトピックで、取り交わされる議論を見ながら、自分の意見を何個か投げたことがある。その際、自分が喫煙者か非喫煙者かを特に明記せずに、質問をしたりし

    azumy
    azumy 2008/01/11
    「お前は敵か味方か」→中立は来るな、という意味のこともあるかも。戦場は一般人が来るとこじゃない、流れ弾が当たる前に出て行け、的な。
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20071212/1197449279

    azumy
    azumy 2007/12/13
    『現実の行動は口で言うほど極端でもないのに、ことばにすると白か黒かに分けざるを得ない』
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20071211/1197386244

    azumy
    azumy 2007/12/12
    おそらく彼らは演出ではなく本当に善良なのだ。ただ、ほとんどの人間は善と悪の双方をもっていて、どこでどちらを出すかの違いだけなのではないだろうか。ネットで悪部分を特異的に出していると思われる人もいる。
  • 非コミュっていうか中二病なのかもしれないが - watapocoの日記

    飲み会の時とか、中座した人の悪口*1言ってるのを聞いてる時にどんな対応をしたらいいのか、どんな顔をしたらいいのか未だに分かりません。何々さん戻ってきちゃいますよー、とか言えばいいのか?賛同してるが聞かれたくないみたいでやだな。笑顔で受け流す?笑えませんて。つーかいつ戻ってくるのか分からないのにリスキーよね。あと時々思うのですけどサラリーマンって(男女問わず)愚痴とか同僚・上司の悪口が酒の肴なんですかね。おいしいかい。友達少ないので機会は少ないが、飲みは社外の飲みに限るかもしれない。こうして非コミュ化がどんどん進むんだな*2。何か入社まもない男の子よりもサラリーマン的所作が出来てないことに凹む。が、そんなん覚えなくっていいもん、とかちらっと思っちゃう(中二)。

    azumy
    azumy 2007/12/10
    飲み会ではないが、こういう場合はちょっと困った表情をしつつ「はぁ…そうなんですかぁ」と明らかに普段と違うやる気のない曖昧な相槌を打つ。
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20071205/1196830140

    azumy
    azumy 2007/12/05
    『助言は素直に聞いてばかりでもだめで、成長のためには痛い目にも遭わなくちゃならないのである。』同感。/助言する側の態度についても大切なことが書いてある。