2007年10月7日のブックマーク (8件)

  • ネットでのコミュニケーションに何を求めるか - 北の大地から送る物欲日記

    「深く考えないで捨てるように書く - 中くらいの声でしゃべる」を読んで。 ネットで中くらいでしゃべりたいというニーズについての話。 ネットでは、厳密にアクセスコントロールをして特定の人たちとだけで語り合う小さい会話と、普通に誰でも見られる場所に書くことで誰でも見ることが可能な状態で語る大きな会話というふたつの形がある。 誰でも見られる場所に書くことが大きな会話になっている、というのは、意識していない人も多そうだ。オープンで書いているブログなんかは、たとえ一日数十アクセスしかなくてこれは小さな範囲にしか見えていない語りなんだ、と思っていても、実際には多くの人に見られる状態になっている。 それを拡声器に例えている例も多いが、私的には誰でも行き来できる往来に貼ってあるポスターのようなものだと感じている。話題にならなければ、たまにちらほらと見ていく人がいるくらい(少ないアクセス)なのが、ふとしたき

    ネットでのコミュニケーションに何を求めるか - 北の大地から送る物欲日記
    azumy
    azumy 2007/10/07
    すっきり納得する文。システムが整っていったとして最終的に残る問題は、自分自身がネットに何を望んで・求めているのか自分で分からない人が多数いるだろう、ということになるのかな。自分の心を読めない人は多い。
  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

    azumy
    azumy 2007/10/07
    とりあえずブクマ
  • http://d.hatena.ne.jp/aozora21/20071006/1191690739

  • 好きでも結婚すべきでない男の5つの条件 - [新婚生活]All About

    恋愛相手と結婚相手は違うのよ。」 この言葉を皆さんも一度は聞いたことがあると思いますが、これは当でしょうか?恋に落ち、好きになった相手と結婚する、それは当たり前のように思いますが「好き」という気持ちだけで結婚をしてしまうと、思わぬ落とし穴が待っているかもしれないのです。 恋愛というと、どういう言葉を思い出しますか?ときめき、刺激、高揚感という感情に支えられますが、結婚は、会いたいときだけに顔をあわせる恋愛とは大きく違います。結婚は生活そのものです。献立を考えて、料理を作り、お風呂掃除して、洗濯機をまわして、ゴミを捨てて…毎日決められたことが繰り返されるのです。 恋愛の楽しさは例えて言うならば、ジェットコースター。しかし、結婚はいつもそんな気持ちでは落ち着いた日常生活は送れません。まさに居心地の良いふかふかのソファで包まれるような「安心感」と「心地良さ」が結婚には必要と言えます。 しかし

    azumy
    azumy 2007/10/07
    後半はあれだが、(1)はいいこと言っている。家族についての愚痴や相談、謙遜と悪口は別ものだよ。もちろん女でも同様。
  • それは、かつての「ニフ者」のようなもので。 - CONCORDE

    某h社のユーザーが自分たちが「村民」とひとくくりにされるのは心外だとかいうあたりのこと・・・の過去の例として「ニフ者(nif者)」の言葉がなぜか出てこないのは微妙に寂しかったりする件(笑)。「ねらー」は出てくるのに。 そのあたりみんな同根ですよね。外部からの揶揄めいた「不名誉な称号」のニュアンスが感じられて、ゆえに「実態はこれだけ多様なのにそんな見方は幻想だ!」と全力で抗弁したくなるのも。 いや、まぁ、正論だと思いますが。 いまでこそ出自を示すのに便利なので「ニフ者」を自称している私ですが現役当時(?)はそんなレッテル貼られたくなかったし。といって自分自身はそんな言われ方されたことは無かったのですが、そもそもフォーラムの外へ出ることは無かったので。 ただ、「目立つひとたち」のふるまいか何かに共通する(外から見た)違和感がある(あった)のかもしれない、というのは今になって分かる気がします。

    それは、かつての「ニフ者」のようなもので。 - CONCORDE
    azumy
    azumy 2007/10/07
    ニフ者とはてなーの違いは、NIFTYは元々はインターネット内ではなかったこと。NIFTY-Serveはなくなって新たなニフ者が生まれることがもうない、過去の存在であること。この2つではないだろうか。
  • 気になった事があったので調べていたら個人情報にぶち当たってしまったでござるの巻 - 煩悩是道場

    web ある事が気になっていたので幾つかの検索語を使って調べていたら、その「ある事」に絡まっているであろうと思われる人物の個人情報が掲載されている情報にぶち当たってしまいました。 その情報の内容自体は非常に興味深いもので、得る事の出来た情報を掲載する事によって「ある事」に対する見方が大きく変わる可能性を秘めていて、尚かつ「ガセではない」と確信出来る情報なのですが、いかんせん個人情報が掲載されているのだな。 で。だ。この場合どう対処するのが良いのだろう、というお話。1.個人情報を書いているのは私ではないのだから引用元をハイパーリンクで明記しながら引用するという姿勢(個人情報そのものは書かない)2.ハイパーリンク自体は自由ではあるが、リンクした結果、個人情報にリーチする可能性がある以上掲載すべきではない3.検索さえすれば誰でもわかる公開情報なので私が気遣う必要はない4.個人情報が掲載されている

    azumy
    azumy 2007/10/07
    ケースバイケース。個人情報の内容と、本人にその情報がネット上にある(あってもおかしくない)という意識があるかどうかによって。後者は仕事絡みや論文掲載などのケースがあてはまるかな。
  • 純粋なココロ 2.0: 異文化コミュニケーションは、労多く実り少ない ~ 社会規範の内面化と個人の幸せに関する考察

    ・別に誠実に対話したからと言って分かり合えるわけじゃないんだよね http://d.hatena.ne.jp/NOV1975/20071005/p1 悲しいかな。努力はすべきだと思うし、過程が無駄だとは思えないけれど、その人間性において立脚すべき点があまりに違うと、表面上の納得は可能かも知れないけれど、心底分かり合うってのは難しいと思う。 同感。 しかしこの事実から眼を背けるかのように、「異文化コミュニケーション」を素晴らしいものとして賞賛、推奨する世間の声は大きい。 そして実際、10代の頃の僕は、「価値観やノリが異なる者だからといって、他人を排除するのはよくない」「いろいろな価値観やノリの持ち主と付き合えるようにならなくてはならない」と強く考えていた。 スクールカースト的な同属で固まる学校のコミュニティを強く嫌悪し、それに対抗したくて全てのクラスメイトと同じように接する努力もしていた

    azumy
    azumy 2007/10/07
    異文化コミュニケーションの意義はこの「分かり合えなさ」を知ることではないだろうか。それは「たぶん分かり合えないだろう」「分かり合えないはずだ」とは異なる体験だ。
  • パブリック空間とプライベート空間 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー

    また、自身のウェブサイトを『原則プライベート空間』と考えている僕みたいな人間もいれば、『パブリック空間』と考えている人間もいるということも。 ちゃんちゃん氏がどのように考えているのかは、詳細不明なのでアレですが、WWW における特定の場所がプライベート空間であるという考え方は、非常に興味深いと思います。 無断リンク禁止な人達(長いので「ムダリンキニスト」とします)が、WWW をどう捉えているのかという点が、リンクは自由である人達(長いので「フリーリンカー」とします)のソレと位相がズレているが故に、無断リンク禁止(長いので「ムダリンキン」とします)論争が起こっているのではないか、というコトは屡々言われてたりします。 で、実はムダリンキニストも、WWW がパブリック空間であるという認識は有るのではないかと思うのです。ただ、フリーリンカーとは、ちょっと違う意味でパブリック空間であると認識している

    パブリック空間とプライベート空間 - カナかな団首領の自転車置き場ダイアリー
    azumy
    azumy 2007/10/07
    擬似プライベート空間の存在について