ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ululun (9)

  • 表現することはキモい事 - 煩悩是道場

    雑感 住太陽さんの『ブロガーは自分のキモさとどう向き合っているの?』を読んで。いや、これウエブログだけの話じゃなくって「表現」全体に言えるでしょと思ったのでした。で、あれこれ考えていたら考えが止まらなくなってしまったので纏まりませんが取り敢えず放流。です。冒頭でお断りしておきますが書かれている文章は「私個人」の事を考えた文章であり一般論的なものではありません。文章の流れを止めたくない為に意図的に「私は」「と思う」という表現を敢えてしていませんが、全て私自身の思考方法について考えたものであり、読み手の方の思考や表現に対して言及したものではない事をご了承ください。 表現は「表に現す」こと表現は文字通り「表に現す」事です。(追記:「表に現す」は「表す」ですが、「あらわす」というのは「目に見える形で示す」という意味ですので「表に現す」という解釈は間違ってはいないと思います)脳の中で考えているうちは

  • 気になった事があったので調べていたら個人情報にぶち当たってしまったでござるの巻 - 煩悩是道場

    web ある事が気になっていたので幾つかの検索語を使って調べていたら、その「ある事」に絡まっているであろうと思われる人物の個人情報が掲載されている情報にぶち当たってしまいました。 その情報の内容自体は非常に興味深いもので、得る事の出来た情報を掲載する事によって「ある事」に対する見方が大きく変わる可能性を秘めていて、尚かつ「ガセではない」と確信出来る情報なのですが、いかんせん個人情報が掲載されているのだな。 で。だ。この場合どう対処するのが良いのだろう、というお話。1.個人情報を書いているのは私ではないのだから引用元をハイパーリンクで明記しながら引用するという姿勢(個人情報そのものは書かない)2.ハイパーリンク自体は自由ではあるが、リンクした結果、個人情報にリーチする可能性がある以上掲載すべきではない3.検索さえすれば誰でもわかる公開情報なので私が気遣う必要はない4.個人情報が掲載されている

    azumy
    azumy 2007/10/07
    ケースバイケース。個人情報の内容と、本人にその情報がネット上にある(あってもおかしくない)という意識があるかどうかによって。後者は仕事絡みや論文掲載などのケースがあてはまるかな。
  • id:ululunは取引不可能と思われているか - 煩悩是道場

    雑感ゆうべは良く眠れなかった。些か散文的になるがid:Marco11さんのエントリに呼応する形で自分の考えを少し書いてみようと思う。趣旨としては「私はどうすれば良いのか」だ。id:Marco11さんには是非にも回答を寄せて欲しいが、他の人でも考えがあったら寄せて欲しい。 しかし、越権脳の心無いクリッパーにとって、ブクマする相手の事情やパーソナリティなんて関係ない。そもそもそれを読み分ける知能がないからそんな原則的な行動をし続けるんだけどね。知的好奇心解放 - マ儿コの日記 - 取引の成立しないブロガーやクリッパーは害でしかない私はウエブログ全体ではなく、エントリ単位-というより意見単体-に対して「あなたの意見と私の意見の異なり」について考えたいと思っている。例えばid:eigokunさんのflickrが凄いでは彼のイラストの凄さを認めたが、はてなブックマークに対する考え方で、自分の考え方と

    azumy
    azumy 2007/10/04
    『「違う考えを持つ事=分かり合えない」ではないという事だからではないか』ならばむしろ「違いますね」で終われるような気がします。いや、id:ululunさんとは「分かり合う」の意味が違うのかな。深度が違うのかも。
  • 「アンパンマン」は精神的支配による巨大帝国主義政策の物語 - 煩悩是道場

    ネタ 教えてgooの「アンパンマンが憎くて仕方ありません。私って変ですか?」を読んでいて、なるほどアンパンマンの薄っぺらい正義漢キャラより、よってたかって殆どイジメのようにフルボッコされたりアンパンチをらって「バイバイキーン」と流星の如く去りながらも毎週のように別の場所で悪巧みを働こうとするバイキンマンのほうに人間くさくて好感が持てるようにも思われる。しかし、よくよく考えてみればアンパンマンも人が良いというかなんというか毎週ぶん殴るんだったら二度と立ち直る事が出来ないくらい徹底的にバイキンマンをやっつければ良いのに何故か最後の最後で逃がしてしまう。で、翌週には同じ事の繰り返しをする。 それは、何故か。アンパンマンとバイキンマン、そしてバイキンマンと行動をしているドキンちゃんの間に何らかの密約が存在していると考えると筋が通るのではないだろうか。つまり、バイキンマンとアンパンマンは他の人たち

    azumy
    azumy 2007/09/11
    ばははははははっ こういうの好き
  • そろそろエスカレーターの歩行について考えてみよう - 煩悩是道場

    社会 8/17にエキサイトニュースに『エスカレーターは「片側をあけない」のがマナー?』というエントリが掲載されたのをご記憶だろうか。その時に「エスカレーターは片側を開けて」というようなアナウンスが以前はされていたような気がした、と思ったのがこのエントリを起こそう、と思ったきっかけ。エントリを書くまでにいろいろ調べたかったので時間がかかってしまった。 このエントリでは、JR東日と東京メトロ各社の対応はどのようになっているかを問い合わせ&実地検証した上で「エスカレーターに乗るときのマナーについて考えてみる」事を趣旨としています。 結論片側開けのアナウンスは確認出来ませんでした。「走らないよう」という趣旨のアナウンスは確認出来ましたが、歩くな、とまでは言っていない。 JR東日、東京メトロからは「エスカレータの片側開けは言っていない」という趣旨の回答を貰っているが動く歩道に関しては東京駅、恵比

    azumy
    azumy 2007/09/05
  • 「女らしくしたくない」女子 - 煩悩是道場

    genderジェンダーとしての所謂「らしさ」的なものを一見拒否しているかのように見えるし、そういう言動をしている女性でも、いざ付き合ってみると「女らしさ」を出してくるのはどうなんだ、という話だと思うのに、何故か「女性に女性らしくするなというのは魚に魚らしくするなというようなもの」という話になってしまっていて物凄く吃驚しているid:ululunですこんにちは。 この人が女らしくない女の人に何を求めているのかが気になる。あと普通の女に何の問題があるのかも知りたい。(逆に、普通の女、普通の男で何にも問題ないと思うけど私は)断片部 - 庵[ngmn] - 「女らしくしたくない」女子を昔から好む癖がある人へ単純に嗜好の問題ではないのでしょうか。で「女らしくない」≠「女らしくしたくない」なんではないか、と。このあたりの事は一連のトラックバックの中にあるなんてのかなー、自分で自分を女じゃないーみたいに規

  • 非コミュが良くわからない - 煩悩是道場

    心理非コミュの人にも友達がいる、らしいけれど、非コミュの人がどうやって友達を作ったのかが良くわからない。追記:「非コミュは友達を作れない」とは言ってないid:suVeneさんがブクマ米で「非コミュは友達をつくれない」ではないでしょ。「友達をつくれない」のは「非コミュ」かもしれないけど。http://b.hatena.ne.jp/suVene/20070415#bookmark-4474242と書いているので補足。私は「非コミュは友達をつくれない」とは言ってません。友達というのは、オギャーと産まれた瞬間から存在している筈ではないし生活を共にしているわけでもない赤の他人である筈なのだから「距離感が掴めない」筈なのにどうやって友達になったのかがわからない、と言っているに過ぎません。たまたま近所だったとか、幼稚園の頃から一緒だったとか、なんとなく気があったとか、向こうから友達になろうよと誘ってきた

  • 電車の中で化粧する女たち - 煩悩是道場

    なぜ、女性たちは電車の中で化粧をするようになったのか。それは単にウチ・ソトの区別がなくなったからではない。化粧そのものが変わったのだ。身だしなみというプライベートなものから自己表現というパブリックなものへと。電車の中で化粧する女たち―コスメフリークという「オタク」 書籍解説より上記のようなアオリに、私は同書のタイトルにある『電車の中で化粧する女たち』の心理が解き明かされる一冊であると期待して献を申し込んだ。だが、その期待は見事な迄に裏切られた。同書はその殆どが80年代の「コムデギャルゾンやピンクハウス」のDCブランドからヴァンサンカンという雑誌の落とし子たる叶姉妹、そして中村うさぎへと変遷していく筆者自身の体験を通して語られる女性達のコスメフリークの時代を物語った一冊であり女性達が服ではなく「自分を磨く」事の手段として服飾ではなく、美容もしくは化粧へと傾倒していった理由を読み解きたいと

    azumy
    azumy 2007/02/18
    メンズエステや男性用メイク化粧品はあるが、その中で女にしばしばあるようなフリークになっていく人もあるのだろうか、とふと思った。
  • 数学はプロセスが9割の学問か - 煩悩是道場

    数学はプロセスが9割の学問か 雑感 違う。としか言いようがない。 何故なら私は「計算」が苦手だからだ。 私に「計算が苦手」という心が植え付けられたのは小学生5年の頃だろうか。 以来、当に単純な計算ミスを連発してきた。精神的なものも起因しているのだと思うのだけれど、計算ミスをしないようにと心がければ心がける程、計算ミスを犯してペケをらってきた。 考えの道筋が正しかろうと、公式をきちんと覚えていて正しく当てはめていようと「間違いは、間違い」だ。 だから 私は数学しかできなかった人間なので(大学もセンター+数学一科目入試)この考え方が数学の考え方なのかすべての科目に当てはまるものなのかはわからないが、人は、ある事柄を「理解」するときその事柄を自分が既に持っている知識に照らして何らかのマッチングを取って「解釈」するものだと思っている。だから、テストというものは「答えを出す」ものではなく、与えら

    azumy
    azumy 2006/11/02
  • 1