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東日本大震災と震災に関するbagsgroove1972のブックマーク (4)

  • 「嬉しいが、物資は受け取れない」10年前…被災地に運んだ“130食分の支援”が断られた理由 | 文春オンライン

    岩手県釜石市に住む友人と連絡が取れたのは、震災から1週間ほどが過ぎた時だった。この時点ではまだ東日大震災という名称はなく、東北太平洋沖地震と呼ばれていた。 釜石市といえば津波で甚大な被害を受けたが、友人は内陸部に住んでいたため、幸いにも津波の被害は免れたという。しかし、電気やガス水道は止まったままで、料も調達できない。配布されるオニギリやパンだけが頼りだが、「早く温かい物がべたい」と話した。私は「じゃあ、何か温かい物を持って行くよ」と言ったが、友人は冗談だと思っていた。(全2回の1回目/後編に続く)

    「嬉しいが、物資は受け取れない」10年前…被災地に運んだ“130食分の支援”が断られた理由 | 文春オンライン
  • 震災伝承館 動画

    動画類は9点を収蔵しました。そのうち7点は、ライブカメラが見ていた映像です。 道路、港、河川の管理用に備えられていたCCTVカメラ、そして職員がその当時、映したり、見ていた状況をコンパクトにまとめたものです。 また、岩手県釜石市役所が作成した「命の道」VTRもご準備しました。 (お詫びとご連絡) ダウンロードがうまく出来なかった皆様にはご迷惑をおかけしました。 再生用とダウンロード用の2つの入り口を設けてみました。なお不具合等がございましたら、お手数でもお声を寄せていただきたいと存じます。 今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。 動画は 二次利用可能です。コンテンツを利用する場合は、転載依頼フォームからご連絡下さい。 動画が再生されない場合は、ダウンロードをクリックしてファイルを保存してご覧下さい。

  • 朝日新聞デジタル:言葉なき叫びを聞け 大震災被災の動物描いた映画公開 - 社会

    飼い主が避難し、取り残されたところを保護された犬=(C)宍戸大裕死骸に囲まれる牛舎で、牛が涙を流していた=(C)宍戸大裕福島県南相馬市で保護された。新たな飼い主の元で暮らすことになった=(C)宍戸大裕避難先はペット不可。預け先の福島市内のシェルターでつかの間の再会=(C)宍戸大裕「今回の震災で、いかに動物に冷淡な社会かを実感した」と話す宍戸大裕さん=東京都新宿区  【机美鈴】東日大震災に伴う原発事故で、福島県の警戒区域に置き去りにされたペットや家畜の過酷な実態を直視した、ドキュメンタリー映画の上映が1日、始まった。言葉を発さぬ動物の瞳は、人間の重い責任を問いかけている。  映画は「犬とと人間と2 動物たちの大震災」。死骸と糞尿(ふんにょう)の悪臭が充満する牛舎で涙を流す牛、つながれたまま息絶えた犬……。目を覆わんばかりの光景が現れる。  監督の宍戸大裕(だいすけ)さん(31)は宮城県

  • 「"間違いを伝えることでパニックになること"を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>

    未曾有の被害を出した東日大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。 震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。 下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に

    「"間違いを伝えることでパニックになること"を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>
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