オイオイさん@コロナ陽性→陰性→後遺症疑い @oioisan9 3.11の時に動物の事も本当に悲しかった。地震、津波、原発事故、ペットは連れて行けない、明日帰れるからと言われて避難してそのままペットと永遠にお別れになってしまった人がたくさんいた。置いていかれた動物も悲惨だった。ペット、牛や豚や馬、鶏も本当に悲惨だった…。多くの人に見てほしい twitter.com/4RewJJOmWiLzR7…
実家で飼っている猫を看取った。 18歳の黒猫。気の強いメス。 当時小学4年生のわたしが初めて拾った猫だ。 名前を「ラッキーちゃん」とする。 ラッキーちゃんは小学校そばの公園で拾った。 3匹中2匹は既にダンボール箱の中で息絶えていて、彼女だけが生きていた。2匹は木の下に埋めて、小さな草花を供えた。 小学生だけで近くの動物病院に立ち寄ると、栄養補給用の缶詰を持たせてくれた。今思えばすごく優しい先生だ。 わたしは着ていた体操服の裾を伸ばして、そこに子猫を乗せて帰った。 家まであと30メートルくらいのところでオシッコをされて、慌てて走った。 キトンブルーだった瞳は、成長と共にイエローに変わった。 うちには既にキジトラのシニア猫がいて、ラッキーちゃんの遊び相手をしてくれた。 それから18年。 シニア猫も亡くなり、今はラッキーちゃん含め5匹の猫がいる。 みんな私や家族が拾った捨て猫や、団体から引き取っ
猫が経営する、猫のためのお蕎麦屋さん。猫好きなら一度は行ってみたい、そんな素敵なお店が、浮世絵の世界にはあります。 四代歌川国政が描いた「しん板猫のそばや」です。明治6年(1873)の作。今回は、このお店を皆様にご案内いたします。 ※美術館では現在、展示はしておりません。 まずは、下の方にある入り口から見てみましょう。 看板には、人間の世界のお蕎麦屋さんでもお馴染みの「きそば」の文字が。障子に書かれている文字は「泡美」。お店の名前でしょうか。猫の食事入れとして用いられていた、アワビの貝殻からきているのでしょう。 右端には、お母さんに背負われた小さな子猫。「お母さん蕎麦食べたい」とおねだりしています。 店から出てきた男性の店員は、これから出前に出発するようです。「いそがしい晩だ」とぼやいています。手に持っている提灯には「あわび」の文字が。 お蕎麦屋さんの入り口のすぐ脇には、天ぷらの屋台。蕎麦
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、20年前にボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月に健康診断と血液検査をすることにしているので、今年も行ってきた。 昔はワクチン注射もしていたけど、17歳の時に室内一匹飼いだし、老ねこには負担にもなるので。と先生がおっしゃったので注射はしなくなった。 幸いなことに腎臓の数値はまだそこまで悪くない。毎年ちょっとづつ減ってきた体重も今年は減らなかった(といっても2.7キロしかないやせっぽちだけど)。 ひと一人ねこ一匹の暮らしなので、平日の日中は20年間ほぼ留守番させていたのだけど、3月から在宅勤務になって今も継続しているので、これまで経験したことのないような距離感でねこと暮らしている。まあ、老猫なんでほぼ寝てるのだけど。 カリカリは常に出しっ放しだったけど、今までは朝と夜しかあげられなかったパウチのウェッ
猫は3年前から慢性腎不全で週1回通院して点滴していた。 腎不全は初期にわかったから数値もそこまで悪くなくゆるやかに進行していたけれど、食欲不振を何度か繰り返して元々細身の身体はさらに小さくなり、先月とうとう2kgを切り点滴が週2回になった。 だんだん目が悪くなって耳も遠くなり、歩くのもゆっくりになって、時々アオーと大きな声で鳴いたり徘徊もしていた。 もう19歳だし老化は当たり前の事だからそんなに気にしていなかった。 猫はいつも全力で甘えてくる構ってちゃんだ。 私が帰ってくるとはやく膝に乗りたいと急かしてニャーニャー鳴き、膝に乗ると後ろ足で立って抱きつくように肩に両手を掛けてくる。 抱きしめて撫でながら頬擦りすると猫が小さな頭を寄せてうれしそうにゴロゴロ言ってくる。 机に乗って目線を合わせ、相手してと手を招き猫のように上下に振ったり私の頬をペシペシ叩いて来る。 今まで出会った猫の中でこんなに
ひとりでも生きていけそうな気がしている。 行ってきますとただいまを言える生活が張りがでている。 うちの猫が特別に賢いのだと思うが、帰宅すると玄関まで駆けてきて、上り口でちょこんと座って「ぬぅ」と鳴く。かわいい。 俺のことが大好きなんだけど、敢えて土間にまでは下りてこないというこの奥ゆかしさよ。 でも思うんだ。 このかわいいかわいい俺の猫も、まず確実に俺より先にあの世にいくんだな、って。 そうなった後、俺はどうやって生きていけばいいんだろう。 ひとりでは生きていけない気がする。 俺は猫が居てようやく、生きているのかもしれないのだな、ってしみじみ感じる。 人間全部死んでもいいけど、俺の猫は生き残りますように。
この子は命日が決まってるんだな。 安楽死を決めた時、私はそう思った。 うちのかわいいかわいい猫のはなしをしようと思う。 疲労と虚しさMAXだった若かりし頃、実家の犬を恋しがる私に知人が囁いた。 「猫なら手がかからないよ」 あれこれ言い返したと思う。それでも知人は言葉巧みに猫の良さを吹き込み続けた。 結果、私は一度でいいから飼ってみたい、とメインクーンを選んだ。 いい子が安く買えるかも、と安易な思いつきでネットを検索し、ブリーダーからそれはそれはかわいいブラウンクラシックタビーの男の子を譲ってもらった。 買い手がつかず生後半年のその子は、7万円で我が家にやってきた。 残念なことに重度の食物アレルギーを持っていたその子は、メインクーンとしてはあまり大きくなれなかった。 メインクーンの成長が止まるまで三年ほど。その間、血便を伴う下痢を何度もくり返し、体質に合う処方食が見つかるまで一年かかった。
青森県黒石市で石に猫の姿が彫られた「猫碑」が計3基見つかった。市史に石碑に関する記述はあるが、実物は確認されていなかった。うち2基を発見した宮城県村田町歴史みらい館の石黒伸一朗専門員(61)によると、青森県内での猫碑の発見は初めてで、日本最北端のものとみられる。 石黒さんが見つけた2基の猫碑は猫の姿が浮かび上がるように彫られ、高さ22~24センチの大きさ。台座はなく、地面に置かれていた。いずれも三角形にとがっている頭部が特徴的という。 2基のうち、同市大川原で見つかった猫碑の正面には「奉納」「明治八年」の文字と右側面に「久三良立之(久三良之(これ)を立てる)」との文言が彫られていた。残る同市高舘の墓地にあった猫碑には、建立年などは彫られていなかった。 1985年発行の市史には2基の猫碑の所在地が記されている。石黒さんはこの情報を頼りに2011年秋に実物を発見し、今年5月、仙台市であった猫に
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く