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表現に関するbagsgroove1972のブックマーク (3)

  • あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所

    あいちトリエンナーレで「表現の不自由展、その後」の展示が中止になった事件について、いろいろ対立や分断もあるようなので、整理するために、いまぼくが理解している範囲で以下書いてみる。 構図1:脅迫者―作家 この事件のもとになっている構造は、図1である。 テロ予告や脅迫、嫌がらせ電話などをする人たち(A)が、作品展示をした作家(B)たちの表現の自由を妨害したのである。*1 構図2:脅迫者―展示実行委員会・作家 しかし、ぼくはよく知らなかったのだが、作家たちの展示を束ねている人たちの存在を報道で知った。企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会(C)である。 たぶん、作家たちを束ねて、展示企画を代表するような人たちなのであろう(図2)。 この人たちが、抗議声明を出した。 www.asahi.com この人たちがどういう意向を持っていて、誰に抗議しているのか、が大事である。 「私たちは、あくまで

    あいちトリエンナーレの話はどこが問題なのか - 紙屋研究所
  • 自分も、ろくでもないコンテンツを大量に見てきたのに、子供がそれを見ないわけがないよね。

    ちょっと、「子どもが触れるコンテンツに対する親の態度」というものについて、自分の考えを簡単にまとめてみたくなりました。 まず前提として、 「よほど偏っていない限り、視聴するコンテンツの違いによって、心配する程の影響が子どもに出ることはない」 「親が色々制御しようとしても、子どもはどうせ自力でコンテンツにたどり着く」 という二点は、ある程度一般的に言えるんじゃないかなあ、と思うんです。 そもそも皆さん、子どもの頃行儀良いコンテンツばっか見てました? NHK教育とか、子どもに優しい絵とか、児童文学とか、偉人の伝記とか、そういうのばっか読んでましたか? 勿論、中には厳しい家庭もあって、そういうコンテンツしか摂取させてもらえませんでした、綺麗な漫画しか読んでません、という人もいるかも知れません。 ただ、例えば私とか、あるいは私自身の周囲では、 「ろくなもの読んでねえ」 「ろくなもの見てねえ」

    自分も、ろくでもないコンテンツを大量に見てきたのに、子供がそれを見ないわけがないよね。
  • 『性表現規制の文化史』えっちがいけないことなのは何故か - HONZ

    書、表紙が素敵なのだ。 裸の成人女性からうまい具合に乳首を隠したイラスト、線画の描写ゆえ生々しさはなく90年代に流行ったオシャレ系マンガの表紙のようである。 とは言えハダカはハダカ、サラリーマンばかりの通勤電車で読むのは平気だった私もさすがに目の前に小学生男子が立っている中では書の続きを読むのをためらった。 こんな風に感じるのは何も私だけではないだろう。そもそもたとえ乳首が隠されていたとしても裸の成人女性が描かれた表紙を人前で出すこと自体やりたくないという人も多いはずだ。(うん、屋さんでカバーかけて貰えるのってとっても大事かも)。 この「通勤電車ならいいや」と「でも小学生男子には刺激が…」の線引きをしている私の気持ちは一体どこから生じているのだろうか。 えっちなのは、いけません! 我々(少なくとも私は)はそう刷り込まれている。だから、公共の場でえっちなイラストの表紙のを出すのがため

    『性表現規制の文化史』えっちがいけないことなのは何故か - HONZ
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