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戦争と歴史に関するbandeapart72のブックマーク (2)

  • 「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"

    「みんなね、8月15日に負けて終わりました、気持ちが自由になったっていうけれど、あたしなんかそんなの全然なかった。そもそも戦争が終わったことも知らない。自分が生きるのに、精一杯でね」 BuzzFeed Newsの取材にそう語るのは、鈴木賀子さん(82)。東京大空襲で母親や姉を亡くし、孤児となった。 「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」 日中戦争がはじまった翌年の、1938年に生まれた。幼少期を過ごしたのは、いまの東京都江東区、北砂という町だ。ガスタンクが近くにあったことをうっすら覚えていると話す通り、近くには大きな工場などもある住宅街だった。 運送業を営んでいたという父親を病気で亡くし、木造平家の長屋に母親とふたりの姉と弟と暮らした。裕福ではなかったが、下町らしい、ささやかで幸せな暮らしだった、と

    「私の戦争は、終わらなかった」戦災孤児が語る、終戦後の"地獄"
    bandeapart72
    bandeapart72 2021/03/10
    "…でも、陸軍海軍のエライ人、東條英機、そして官僚が戦争を起こしたわけですよね。それなのに、私たちに、国が何かをしてくれるわけでもなかった。何もしてくれなかったですよね"
  • ホロコースト語る生き証人最後の世代 収容所生まれの赤ん坊たち

    1945年に独北部のベルゲン・ベルゼン強制収容所で生まれたフロランス・シュルマンさん。仏パリで(2020年1月23日撮影)。(c)Lionel BONAVENTURE / AFP 【6月14日 AFP】ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)生存者であるフロランス・シュルマン(Florence Schulmann)さんがいつも心配してきたのは、学校を訪問して自らの体験を語っても現実離れして聞こえるのではないかということだ。「誰にも信じてもらえないのではないかと、とても怖いんです」 フランスで小売店を経営し、今は引退したシュルマンさんはパリ11区で暮らしている。自らの体験を名で語ったのは今回が初めてだ。「母が私をこの世に産み落としたのは、遺体の山のそばでした」 AFPが取材したシュルマンさんと他の2人のホロコースト生存者が明かす、めったに語られない共通体験は、この3人がナチス・

    ホロコースト語る生き証人最後の世代 収容所生まれの赤ん坊たち
    bandeapart72
    bandeapart72 2020/06/14
    "今は引退したシュルマンさんはパリ11区で暮らしている。自らの体験を本名で語ったのは今回が初めてだ。「母が私をこの世に産み落としたのは、遺体の山のそばでした」"
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