ドイツの首都ベルリン近郊にあるザクセンハウゼン強制収容所記念館でガイドを務める日本人がいる。ベルリンのフンボルト大学歴史学科に在籍する中村美耶さん(33)=京都府出身。ナチスの収容所で性労働を強制された女性の補償や名誉回復について研究する中村さんに、その「沈黙の歴史」について聞いた。(独東部ブランデンブルク州オラニエンブルクで、近藤晶)
2007年、従軍慰安婦について「旧日本軍 が強制的に連行した証拠はない」とした当時の安倍晋三首相に抗議する台湾の元慰安婦(台北) Richard Chung (TAIWAN)-REUTERS <慰安婦制度は日本軍による「性奴隷制度」だったことは学術的に立証済みなのに、なぜ今更このような論文が出てきたのか。いずれにせよ、米学会では撤回要求が殺到している> 2020年12月、ハーバード大学のJ・マーク・ラムザイヤー教授が、「太平洋戦争における性行為契約」という論文を"International Review of Law and Economics"に発表した。ゲーム理論を用いて日本軍「慰安婦」制度が単なる「商行為」であったことを示そうとする試みで、国際的な問題となっている。 この論文は経済専門誌の査読を経て発表されたものだ。それにもかかわらず資料に書かれている内容とは真逆の帰結を導き出したり
「みんなね、8月15日に負けて終わりました、気持ちが自由になったっていうけれど、あたしなんかそんなの全然なかった。そもそも戦争が終わったことも知らない。自分が生きるのに、精一杯でね」 BuzzFeed Newsの取材にそう語るのは、鈴木賀子さん(82)。東京大空襲で母親や姉を亡くし、孤児となった。 「空襲のあとも、生き残った姉と弟と一緒に暮らすことすらできなかったんですよ。どこにも、行くところはなかった。地獄そのものでしたよ」 日中戦争がはじまった翌年の、1938年に生まれた。幼少期を過ごしたのは、いまの東京都江東区、北砂という町だ。ガスタンクが近くにあったことをうっすら覚えていると話す通り、近くには大きな工場などもある住宅街だった。 運送業を営んでいたという父親を病気で亡くし、木造平家の長屋に母親とふたりの姉と弟と暮らした。裕福ではなかったが、下町らしい、ささやかで幸せな暮らしだった、と
アーノルド・シュワルツェネッガー氏。英首都ロンドンにて(2019年10月17日撮影)。(c)Tolga AKMEN / AFP 【1月11日 AFP】米国の元カリフォルニア州知事で俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー(Arnold Schwarzenegger)氏は10日、連邦議会議事堂の襲撃はドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領によるクーデター未遂だと述べて今回の一件をナチス・ドイツ(Nazi)と比較し、人々に団結を呼び掛けた。 シュワルツェネッガー氏がツイッター(Twitter)に投稿した動画は、あっという間に拡散された。動画の中で同氏は、トランプ大統領の支持者らによる議会乱入を、1938年にドイツで行われたナチスによるユダヤ人への迫害「水晶の夜(Kristallnacht)」に例えている。この名称は、ユダヤ人が経営する店舗の窓が割られ、その破片が水晶に似ていること
以前の記事で、これまで「平和の像」がドイツで展示されるたび、必ず日本政府から抗議されていることを紹介した。ベルリン・ミッテ区の「平和の像」に対しても、日本から激しい抗議活動が行われた。日本政府の正式な抗議だけでなく、与党自民党の有志議員や、姉妹都市である新宿区などの地方自治体、民間の右派団体からも個別に抗議の書簡やメールも送られた。 しかし、そうした日本側の抗議はほぼすべてが歴史修正主義的なもので、差別的なものである。そしてそれは現地の関係者に見抜かれていた。前回の記事でも紹介した「なでしこアクション」がミッテ区の区長にあてた手紙は、正常な判断能力がある者からみれば怪文書としかいえないものであるが、その中では「嘘をつくことは韓国人の特徴」などの読むに堪えない記述が詰め込まれている。 今回、当初の予定だった一年間の設置のみならず、より踏み込んだ恒久的な設置を視野にいれることが決議されたのは、
Black Lives Matter運動のなかで、人種主義を唱えた歴史上の人物の銅像や記念碑などが破壊されることがあった。これに対して、日本でもSNSなどで「現代の価値観で過去を裁くな」という発言が見られたが、こうした主張をどう考えればいいのか。東京外国語大学教授の岩崎稔氏が解説する。 銅像や記念碑に向けられた抗議 Black Lives Matter. 黒人の命も大切だ。こんな当たり前に見える要求が、コロナ禍で揺れる世界のなかで一大焦点となっている。しかしそれは「当たり前」などではなかった。ミネソタ州ミネアポリスでジョージ・フロイドさんが警官に首を8分間も押さえこまれて殺された事件は、いまも厳然と存在する人種差別の深い闇を照らしだした。 法や制度では形式的な平等を承認されているはずであるのに、実際には肌の色による差別が暮らしのさまざまな局面に根を張り、人生の可能性を執拗に塞(ふさ)ぎ続け
朝鮮の人々を保護するため、旧田島町の神社境内に設けられた小屋=「大正12年9月1日大震災記念写真帳」より(川崎市立中原図書館所蔵) 関東大震災では、デマを信じた人々が多くの朝鮮人や中国人を殺害した。東京と横浜に挟まれた川崎市内も惨劇と無縁ではない。憎悪をあおるヘイトスピーチも広がる今、加害者にならないために、歴史から何を学べばいいのか。防災の日を前に、九十七年前に川崎で起こった「事件」から考える。 (中山洋子) 川崎市内の実態は、市民グループが二〇一二年度に調査している。横浜や東京に比べて調査が少なく、地域で知られていないことから、元市職員の山田貴夫さん(71)と仲間たちが「記録に残したい」と着手。一年がかりで新聞記事や公文書などを集めて分析、冊子にまとめた。
1945年に独北部のベルゲン・ベルゼン強制収容所で生まれたフロランス・シュルマンさん。仏パリで(2020年1月23日撮影)。(c)Lionel BONAVENTURE / AFP 【6月14日 AFP】ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)生存者であるフロランス・シュルマン(Florence Schulmann)さんがいつも心配してきたのは、学校を訪問して自らの体験を語っても現実離れして聞こえるのではないかということだ。「誰にも信じてもらえないのではないかと、とても怖いんです」 フランスで小売店を経営し、今は引退したシュルマンさんはパリ11区で暮らしている。自らの体験を本名で語ったのは今回が初めてだ。「母が私をこの世に産み落としたのは、遺体の山のそばでした」 AFPが取材したシュルマンさんと他の2人のホロコースト生存者が明かす、めったに語られない共通体験は、この3人がナチス・
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