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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (22)

  • 現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない - シロクマの屑籠

    国や地方自治体の政策を「時代遅れ」「老害」「年寄りの顔色ばかり窺っている」と呼ぶ人をネット界隈では大勢みかける。2chでもブログ界隈でもmixiでも、「政治家と官僚は若年〜壮年世代の未来をいつぶすつもりか?」「時代に追随出来ない、ぼけた政策を改めろ」などなど、批判的な事を書いている人はどこにでも転がっていて、若年世代の憤のようなものを感じずにはいられない。 彼らの批判をよく観察してみると、時折、“民主主義”という語句を用いて為政者批判を行っている人もいる。しかし民主主義における為政者・被選挙者というものは有権者の意見を汲み取って政策に反映させる筈のものなわけで、だとしたら現在の日政治状況は必ずしも民主主義の理念に反してはいないように思える。現状においては、「高齢者のほうを向いた政策傾向」を為政者が持っていたとしても、あんまり文句が言いづらいんじゃないだろうか。そこら辺についてちょっ

    現在の世代別投票率が続く限り「高齢者のほうを向いた政策」は終わらない - シロクマの屑籠
  • シロクマの屑籠(汎適所属) - 老人が尊敬される時代は終わった

    かつて、老人は敬うものという価値観が日にはあったのかもしれない。まだそういった価値観が残っている国・地域は残存しているものの、儒教圏か否かに関わらず、老人への尊敬というものはだんだん目減りしているように思える。“老人を敬う”という精神が、前提ではなく限定へ、そして衰退へと向かっている背景にはどのようなものがあるのか?価値観の変容を促した要因にはどんなものがあるのか?この文章では、“老人が持つvalueの低下”という視点から幾つかの要因を考えてみる。 老人一人あたりのvalueが低下している時代 人間というものに、valueという言葉をあてがう事には私も抵抗を禁じ得ないが、かつて老人が尊敬されていた時代においては、老人は無条件に敬われる存在というよりも、共同体・家族などに大きな貢献をする存在とみなされていたことに私は注目する。キリスト教文化圏ではどうだか知らないが、儒教文化圏であれ、ポリネ

    シロクマの屑籠(汎適所属) - 老人が尊敬される時代は終わった