2014年02月07日10:22 カテゴリ科学/文化 「作家」の消失 佐村河内事件は、「現代音楽」の追い込まれた袋小路を象徴している。18世紀までの音楽は、作曲者によって演奏される娯楽産業だった。ハイドンやモーツァルトなどの高級な音楽は、貴族がスポンサーになって育てた。しかしベートーヴェンは音楽を「純文学」にし、啓蒙思想の表現にしてしまった。第9の終楽章の、大衆が参加して人類の進歩に向かって前進する「エイエイオー」の気持ち悪さは、同時代人にも批判された。 19世紀のロマン派は、感動という商品を生み出した。合理化され、機械化された日常から逃避するため、人々は甘い旋律と重厚な響きを求めた。音楽は、神の死んだ時代に人々を救済する物語となったのだ。ニーチェが最初はワーグナーに求め、そして最後は強く憎悪したのは、このような神の代理を演じる作家の俗物性だった。 20世紀の音楽は、このような感動を拒否す
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