1989年の2月、わたしが四ツ谷の聖イグナチオ教会(当時は、旧来の教会堂)で司祭叙階の恵みを授かった式の中で、朗読させていただいた福音書の箇所は、何ら躊躇することなく次の言葉であった― 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは、柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは、安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。 (マタイ11章28―30節) 実は、広島市の長束に在ったイエズス会修練院の小高い〈聖心の丘〉には、イエスの石像が立っていて、「われのもとに来たれ」という語句が刻まれている。その大きく手を広げたイエスの姿は、修練院の門をくぐって修道生活の見習い小坊主として生活を始める若者たちを深く受けとめつつ、しかしながら遥か瀬戸内海を見下ろし、かつて原爆の投下されたこの地の人民の暮ら
![御手に呼ばれ、御手の中で(長町裕司)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8d71ff5111e05619a10d29bb40d7aebaa75c8fbc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs0.wp.com%2Fi%2Fblank.jpg)