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ブックマーク / number.bunshun.jp (15)

  • G1ジンクス破りに挑むIWGP王者。ケニー・オメガの完全優勝宣言!(原悦生)

    「IWGP王者はG1クライマックスで優勝できない」 こういうジンクスが新日プロレスにはある。 過去27回の歴史の中でIWGP王者が優勝したのは1995年の武藤敬司と2000年の佐々木健介の2回だけしかないからだ。 新日プロレスのG1クライマックスBブロックはIWGP王者ケニー・オメガが完全優勝宣言して、7月31日現在、5試合を戦って全勝、目下負けなしで首位を走っている。 それを内藤哲也や飯伏幸太らが追う展開だ。 「周りはそう思っていないかもしれないけれど、オレは確かな足取りでチャンピオンロードを進んでいる。違うやり方はあるかもしれないけど、オレと同じことができるヤツは他にはいない。2度目となる今回は、IWGPチャンピオンとしてG1優勝を果たす」 オメガはこう優勝宣言をしている。 「G1はプロレス界において最高のイベント」 勝ち点では順風満帆と言った印象のオメガだが、古巣のバレットクラブ

    G1ジンクス破りに挑むIWGP王者。ケニー・オメガの完全優勝宣言!(原悦生)
  • 「噛ませ犬」事件から35年が過ぎ――。昭和の“革命戦士”長州力の現在。(原悦生)

    「いいものはいい。悪いものは悪い」 長州力はちょうど3年ぶりの自身の主催興行で、メインイベントの6人タッグマッチを終えた後、こう言った。 1月14日の後楽園ホール「POWER HALL」と銘打たれた大会。メインは長州、飯伏幸太、伊橋剛太vs.藤波辰爾、関大介、TAKAみちのく、というカードだった。 「今、注目を集めている飯伏という男がどうなのか、近くで見てみたかった」と、長州はそんな理由で飯伏にラブコールを送った。 飯伏も「長州さんと組めるなら」とこれを受けた。 昔と今のプロレスが違うのは分かっている。 「オレたちの時代のプロレスと、今のプロレスが違うのはわかっている。それがかみ合っても、かみ合わなくてもオレは構わない。かみ合わないならかみ合わないで、かみ合わないという新鮮さを観客が感じてくれたらそれはそれでいいんじゃないかな。ただ、オレはやるだけだよ」 こう言って長州は割り切ったように

    「噛ませ犬」事件から35年が過ぎ――。昭和の“革命戦士”長州力の現在。(原悦生)
  • 王者オカダが誓ったドーム満員伝説。「幸せの雨」という名の招待状とは。(原悦生)

    1月4日、内藤哲也をレインメーカーで倒して9度目のIWGP王座防衛を果たしたオカダ・カズチカは、マイクを握って東京ドームに集った3万4995人のファンに感謝したが、スタンドを見渡すとさらに呼びかけた。 「でも、ライト・スタンド、ガラ空き。レフト、ガラ空き。上のほうも空いている所、まだまだある。レインメーカーに、任せなさい。しっかり、超満員札止めの東京ドームを見せてやるからな!」 近年では最多の観客動員となったが、オカダは不満だった。2万5千人や3万人で満足している時代は終わった、と言いたいのだろう。 自分に足りないものを補うことで、1990年代の満員伝説を再び現実のものとするというオカダの強い意思表示だ。 オカダの思いと裏腹に、メディアの数が減っていた。 2000年代はドーム大会の存続が危うい時もあった。でも「1.4をやめてしまったら新日プロレスそのものが終わってしまう」という声が勝って

    王者オカダが誓ったドーム満員伝説。「幸せの雨」という名の招待状とは。(原悦生)
  • 棚橋も、武藤も、ライガーも出身者。ヤングライオン杯は新日本の未来像。(堀江ガンツ)

    写真は、2002年の棚橋弘至。ヤングライオン時代は短かった髪も伸ばし始めている。まさにキャリアの分岐点になる大会と言えるだろう。 12年ぶりの復活となった、新日プロレス若手の登竜門大会「ヤングライオン杯」。6人の若手選手が参加し10月から始まった公式戦も、いよいよ12.21『LION'S GATE PROJECT 10』新宿FACE大会を残すのみとなった。 この「ヤングライオン杯」は過去10回開催され、歴代のトップレスラーを数多く輩出してきたが、近年はリーグ戦を組むほど若手の頭数が揃わず、後藤洋央紀が優勝した2005年の大会を最後に開催が途絶えていた。それが今回、じつに12年ぶりに復活したことは、いまの新日の選手層の充実ぶりを示すとともに、新日が“プロレス人気回復”から、“未来への投資”という新たな段階に入った証といえるだろう。 オカダ・カズチカや内藤哲也の人気が全盛のいまから、すで

    棚橋も、武藤も、ライガーも出身者。ヤングライオン杯は新日本の未来像。(堀江ガンツ)
    benzina
    benzina 2017/12/22
    “いまの新日本の選手層の充実ぶりを示すとともに、新日本が“プロレス人気回復”から、“未来への投資”という新たな段階に入った証といえるだろう。”
  • 天龍源一郎、いま振り返るプロレス人生。馬場との約束、鶴田、原への思い――。(Number編集部)

    2015年11月15日、午後7時過ぎ。オカダ・カズチカとの引退試合に敗れた天龍源一郎は、最後の会見に臨んだ。 天龍はたった今激闘を交わした新鋭・オカダへのコメントもそこそこに、若き日を共に過ごした戦友たちに思いを馳せていた。目の前に並べられたビールを口にして、「俺が(阿修羅・)原とやりはじめた時に、最初に世の中に出たビールだったんですよね」とその味を懐かしむ。記者からの「目を閉じると、どんなレスラーが思い浮かぶか」という質問には、「(ジャイアント)馬場さんもそうですし、(ジャンボ)鶴田選手もそうですし、志半ばでね。僕のように最後までできなかった方たちのことを思い起こします」と答えた。 大相撲から全日プロレス入団へと導いてくれた、ジャイアント馬場。三冠ヘビー級王座を争い、人気レスラーとなるきっかけを作ってくれたジャンボ鶴田。そして全日からSWS、WARと団体を渡り歩いても、名パートナーであ

    天龍源一郎、いま振り返るプロレス人生。馬場との約束、鶴田、原への思い――。(Number編集部)
  • チャンピオンベルト破壊大作戦。内藤哲也の不満と棚橋弘至への思惑。(原悦生)

    内藤哲也は不満いっぱいだ。 ずるがしこく理不尽にも思える内藤の発言は、冷静に耳を傾ければ、意外と論理的なのだ。内藤の不満は新日プロレスという組織、棚橋弘至、そしてインターコンチネンタル王座のベルトにぶつけられている。 体制への批判はサラリーマンにとってはご法度だが、逆にそれがファンの心をつかんでいるのも事実だ。 「新日プロレスは所属レスラーの全員をチャンピオンにしたいのか、このインターコンチと似たような理念の新しいタイトルをまた作った」 内藤はUSA進出という戦略用に、新日プロレスが用意した新タイトル「IWGP USヘビー級王座」にかなり批判的だ。 「都合のいい時にオレの挑戦者として名乗りを上げる」 棚橋は長い間、口には出さないが、やっぱり体調が万全でないのか、NEVERの6人タッグあたりでお茶を濁している。「だが、都合のいい時にオレの挑戦者として名乗りを上げる」から内藤の不満は倍増

    チャンピオンベルト破壊大作戦。内藤哲也の不満と棚橋弘至への思惑。(原悦生)
  • 内藤哲也に新日“直言”の系譜を見る。彼の暴言三昧がなぜ喝采を受けるか。(堀江ガンツ)

    新日プロレスで内藤哲也の勢いが止まらない。 昨年6月のヒール転向以降、当初はその無法かつ無気力なファイトにブーイングが飛んでいたものの、夏の『G1クライマックス』後あたりから、じわじわとファンの支持を集めはじめ、10.12両国国技館での棚橋弘至戦では、ヒールでありながら棚橋以上の声援を受け、ついに人気爆発。 そして今年に入ると、それが一気に加速。“春のG1”と呼ばれる『NEW JAPAN CUP』で優勝してIWGPヘビー級王座挑戦権を獲得すると、王者オカダ・カズチカを破り、ついに王座奪取に成功。しかもその試合では、どんな反則を犯しても内藤には大歓声が集まり、逆にオカダにブーイングが飛ぶという前代未聞の空気が両国を支配した。 その後も、内藤の支持率は高まり続ける一方。いまや新日は、内藤を中心に回っていると言っても過言ではない。 団体批判、大会の意義、なんにでも噛み付く。 この内藤の急激な

    内藤哲也に新日“直言”の系譜を見る。彼の暴言三昧がなぜ喝采を受けるか。(堀江ガンツ)
  • 棚橋弘至と2011年――。この年、新日本プロレスに何が起きた?(柳澤健)

    倒産寸前だった新日プロレスを再生させたヒーロー。誰よりも多くIWGPヘビー級のベルトを腰に巻いた真のエース。 それこそが棚橋弘至である。 新日プロレスを長く支配し続けたのは、アントニオ猪木の“ストロングスタイル”というイデオロギーだった。 しかし、'90年代半ばを過ぎると、UFCとPRIDEに代表されるMMA(=総合格闘技)のムーブメントが、恐るべき勢いで拡大していく。 知名度の高いプロレスラーは打撃、投げ技、関節技のすべてが許される総合格闘技の舞台で敗北を続ける。“プロレスは最強の格闘技である”という猪木の主張は完全に否定された形で証明されてしまった。 地上波テレビはかろうじて中継を続けてくれていたものの、放送時間は深夜であり、子供が見るものではなくなっていた。 新しい観客がプロレスには入ってこない中、レスラーたちは創業者の思想にしがみついた。 新日プロレスに新たなる価値観を提示し

    棚橋弘至と2011年――。この年、新日本プロレスに何が起きた?(柳澤健)
  • 「オレの方が、より新日本プロレスだ」オカダに挑む柴田勝頼の危険な香り。(原悦生)

    柴田勝頼は柴田勝久の息子である。だが、勝頼は父・勝久のプロレスの試合を見たことがない。 何年も前のことだが、柴田に父親のことを聞いたことがある。 「親父の試合は見たことないんですよ、ビデオでも。小さい頃、一緒にプロレスの会場に行った記憶もありません」と柴田は言った。 父親は、柴田が生まれる2年前に、レスラーをやめてしまったから、実際に見たことがないのは当然だが、映像でも見たことがなかったのだ。 父親はアントニオ猪木に請われて1972年、新日プロレスに助っ人としてやってきた。 「ここに柴田を迎えに来たんだよなあ」 中南米を旅しているとき、給油で立ち寄ったグアテマラの空港で猪木はその頃を思い出して、ふとつぶやいた。 勝久は長髪にひげを蓄えた風貌でメキシコやグアテマラでは悪役で、流血ファイトも辞さなかった。 だが、その勝久の目は優しく、ファンがサインを求めると笑顔で丁寧に写真撮影にも応じていた

    「オレの方が、より新日本プロレスだ」オカダに挑む柴田勝頼の危険な香り。(原悦生)
  • 棚橋弘至が古い組織を変えた方法。一番にこだわらなかった一番の男。(濱口陽輔)

    「100年に1人の逸材」と自ら公言してきた棚橋弘至。説得力のある筋肉と、コミカルさを兼ね備えた存在感は、確かに無二のものである。 現在プロレスブーム再燃と言われて数年が経ち、新日プロレスの会場は当に景色が変わった。"プロレス女子"略して“プ女子”という言葉まで生まれた会場には女性や子供の客層が増加したのと同時に観客動員もV字回復したのだ。 その苦しい時代を支えたのが“第三世代”で、新しい時代を作ったのが棚橋弘至であると言える。もちろん棚橋以外にも功労者は多数いるのだが、その中心に棚橋がいなければ今の風景は見られなかったであろう。 私がプロレスを見始めたきっかけが、中学1年生の時(1995年)に見た深夜の「ワールドプロレスリング」である。既にゴールデンタイムでの放送はなくなっていたが闘魂三銃士の時代で、そこには熱狂があった。愛知県体育館、名古屋レインボーホールの大会は必ず観戦にいき、当時

    棚橋弘至が古い組織を変えた方法。一番にこだわらなかった一番の男。(濱口陽輔)
  • 「真剣勝負のプロレス」の実像。UWFという“光”を再検証する。(伊野尾宏之)

    小学生の頃、僕の周りにはプロレスがあふれていた。 金曜日の夜8時になればテレビ朝日で「ワールドプロレスリング」が始まる。 土曜日の夕方5時半になれば日テレビで「全日プロレス中継」が始まる。 曜日は忘れたけど、テレビ東京では「世界のプロレス」という海外プロレスの番組があった。 「週刊少年ジャンプ」を開けば「キン肉マン」が今週も悪魔超人たちと戦っている。 好きにならないはずがない。休み時間に廊下で足4の字固めをかけ、掃除中にウェスタン・ラリアットを放つ。クラス全員とはいかないが、その輪に加わる男子はたくさんいた。 ところが、中学生になると周りから一気に“プロレス”がなくなる。そしてこう言ってくる同級生が現れた。 「おまえ、プロレスなんか見てるの? あんなの八百長なのに?」 UWFは、プロレスファンにとっての光だった。 1980年代から'90年代にかけて、プロレスファンはしばしば「プロレスを

    「真剣勝負のプロレス」の実像。UWFという“光”を再検証する。(伊野尾宏之)
  • 「何人タイガーマスクいるんだよ!?」佐山サトルから三沢、Wまで大集合!(堀江ガンツ)

    ブラック・タイガーに鮮やかなローリングソバットを見舞う初代タイガーマスク。佐山の遺伝子は、今の「W」にも継承される。 新日プロレス創立45周年『旗揚げ記念日』として開催される、3.6大田区総合体育館大会。そのメインイベントは、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカvs.タイガーマスクW(ノンタイトル戦)に決定した。 タイガーマスクWは、昨年の10.10両国国技館大会でデビュー。これまでは新日の親会社であるブシロードが制作に関わった同名のテレビアニメとのタイアップとして、アニメのキャラクターであるレッドデスマスク、タイガー・ザ・ダークとの対戦という、あくまで“特別枠”での出場だったが、ついに戦に出場。しかも、いきなりIWGP王者と一騎打ちするというから驚きだ。 ただ、ドリームカードではあるものの、やや唐突感があることも否めない。ファンの間でも、この試合が新日の頂点を競う試合なのか、それ

    「何人タイガーマスクいるんだよ!?」佐山サトルから三沢、Wまで大集合!(堀江ガンツ)
  • 真壁刀義、新日本を救った男の20年。スイーツの土台は10年間の「地獄」。(堀江ガンツ)

    リングに上がれば金髪にチェーンで雄々しい姿、スイーツを前にすると子供のような愛くるしさ。真壁の魅力はそのギャップにある。 「なげーようであっという間……あっという間のようでなげー20年だったな」 2.21新日プロレス後楽園ホール。デビュー20周年記念試合を終えた真壁刀義は、会見場に着くと、こうコメントし始めた。 一見、ありきたりなコメントにも思えるが、真壁の言葉には実感がこもっていた。今や“スイーツ真壁”としての顔も持ち、新日でも1、2を争う知名度を誇る。リング上でもなくてはならない存在だが、現在のトップレスラーで、彼ほどの苦労人はいない。 「20年のうち、最初の10年は地獄だったよ。長い長い地獄の日々だった。そこを抜けた、後半の10年は死に物狂いでやったから、あっという間だったね」 その最初の10年で、とくに新弟子(練習生)時代はデビューできたのが奇跡に思えるほど過酷な毎日だった。以

    真壁刀義、新日本を救った男の20年。スイーツの土台は10年間の「地獄」。(堀江ガンツ)
  • オカダ・カズチカは本当に現代的か?天龍源一郎と通底する“プロレス観”。(井上崇宏)

    かつて「“記憶”には勝てねえんだよ」と言ったのは武藤敬司だ。 一番最初に目に触れたもの、あるいは少年時代に感化されたものは、体内への染み込み方がハンパじゃない。 それがプロレスなら、ある世代にとっては馬場と猪木、また違う世代にとってはタイガーマスク、長州力、藤波辰爾、前田日明かもしれないし、鶴龍コンビや全日四天王、闘魂三銃士なのかもしれない。 「彼らのやるプロレスこそが真のプロレスであり、スタンダードであり、永遠である」、観た者の脳にはそう記憶される。 それはとてもロマンチックなことであるし、じつはファーストコンタクト=無知だったがこそゆえの誤解だったりもする。 つまり武藤が「記憶には勝てない」と言ったのは、先輩レスラーたちに対する敗北宣言ではなく、単に事実を述べただけである。現に、武藤もキャリアを重ねていくうちに、ある一定数の“永遠”を手に入れた。 “1/100”が認めたオカダのプロレス

    オカダ・カズチカは本当に現代的か?天龍源一郎と通底する“プロレス観”。(井上崇宏)
  • オカダ・カズチカ、天龍戦の告白。不変のプロレス魂。(井上崇宏)

    「最後の相手にオカダを指名したっていうのは、とても源ちゃんらしいなと思いましたね。当なら自分と価値観の違う相手と、最後の最後に闘おうなんて思わないもんなんですよ、レスラーって。それは昭和のしぶとさじゃなくて、あくまで天龍源一郎という男の感性、しぶとさなんですよ」 「俺の感覚では絶対にそういう選択はしない」。昭和のプロレスを共に築いた盟友・長州力は、天龍が引退試合の相手にオカダ・カズチカを選んだことについて、そう言い切った。 「俺にとっては信じられないことです。それは自分の譲れない価値観を、最後の最後で自分自身の手によって壊したってことですから。それは当にとんでもないことだと思いますよ、俺は」 だが、かつてその長州力の顔面を試合中に蹴っ飛ばし、重傷を負わせたことで新日プロレスを解雇処分となった前田日明は、また別の見解を持つ。その顔面蹴撃事件の根底には、当時、全日で天龍が行なっていた激

    オカダ・カズチカ、天龍戦の告白。不変のプロレス魂。(井上崇宏)
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