東京五輪組織委員会の事務総長を務める武藤敏郎氏にとっておそらく人生最大の失態だったのは、1998年に刑事事件となった大蔵省の接待汚職への対応だ。同省の官房長として疑惑を内部調査して責任を明確にすべき立場にあったが、「全体を調査したが、違法な事実はなかった」として、疑惑にふたをしようとした。実際にはきちんとした調査をしておらず、98年1月26日には部下職員2人を逮捕され、自身も辞意を首相に伝えざるをえなくなった。あれから23年あまりがたつ。危機管理能力に疑問符をつけられた経験を教訓にできているのだろうか。 1998年1月19日、国民の声の石井一衆院議員(当時)は予算委員会で急きょ質問に立った。「主要銀行と証券会社の現・旧幹部が証言する大蔵接待の実態」などと見出しのついた年末年始の新聞記事のコピーを手に大蔵省を追及。東京三菱銀行、住友銀行、三和銀行、野村証券、日興証券などの社名を挙げ、当時の三