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historyとlifeに関するbhikkhuのブックマーク (42)

  • かつて日本に来たが、初給料だけ受け取って一度も登板せずに無断帰国し、無期限失格選手となったバール・スノー投手の人生について

    想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku アメリカで有志の人による、市井の人々の歴史を集めたサイトらしい。 » Bob Moon & Patricia Anderson's Family History jstmoon.com 想 詩拓@文芸サークル『文机』 @sou_sitaku このサイトに至った経緯としては「タイ・カッブ」→「ブラックソックス事件」→「黒い霧事件」→「永久追放された野球関係者の一覧」→「バール・スノー」とWikipediaサーフィンしていたら彼の最後についての参照先として紹介されていた。 » バール・スノー - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90…

    かつて日本に来たが、初給料だけ受け取って一度も登板せずに無断帰国し、無期限失格選手となったバール・スノー投手の人生について
  • 《秘蔵写真》「FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝た父」真珠湾攻撃から80年、ジャニー喜多川が米国に残っていたら | 文春オンライン

    ギネスに表彰されたジャニー氏 こう語るのは、写真の少女、「今では立派な高齢者」と笑う日系アメリカ人二世のフランシス・ナカムラさん(83)だ。 「でも、ジャニーさんのお父さん、諦道(たいどう)さんのことは憶えていますよ」 高野山真言宗の僧侶だった諦道は、戦前の1924年に渡米し、米國別院の住職を務めた。また私生活では、滞米中に、江以との間にジャニーを含む3人の子に恵まれた。喜多川一家は1933年に日に帰国したが、諦道の跡を継いだのがフランシスさんの父、高橋成通だった。 「1960年に、父と日旅行した時でした。大阪の繁華街の小路に甘味処のような小さなお店があって、そこに諦道さんがいらしたんです。ご自分で善哉を作って出してくれたので、私はごく普通の店主かと思ったの。後で父から、あの方が前住職だったと聞いて驚いたくらい、お坊さんには珍しいフレンドリーな態度が印象的でした」 事実、諦道は気さく

    《秘蔵写真》「FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝た父」真珠湾攻撃から80年、ジャニー喜多川が米国に残っていたら | 文春オンライン
  • 処刑された英王妃アン・ブーリンの愛読書、消された文字を発見

    かつてアン・ブーリンが所有していた時祷(じとう)書に紫外線を当てると、肉眼では見えない文字が余白に浮かび上がる。運命に翻弄された王妃の時祷書は、1536年に彼女が処刑された後に所在が分からなくなり、1903年ごろに発見された。(PHOTOGRAPH COURTESY HEVER CASTLE & GARDEN) 英国王ヘンリー8世の2番目のであるアン・ブーリンはしばしば「男を誘惑する女」として、また最終的に英国の宗教のあり方が変わる原因となった女性として描かれる。だが実際のブーリンは、教育と宗教改革に身をささげる知的で信仰心のあつい女性だった。 しかし、1536年5月にブーリンが姦通と近親相姦という無実の罪を着せられて逮捕され、処刑された後、ヘンリー8世は彼女のことを忘れようと決意した。ブーリンの紋章は宮殿の壁から取り去られ、きらめく宝石は暗い金庫にしまい込まれ、彼女が所有していた貴重な

    処刑された英王妃アン・ブーリンの愛読書、消された文字を発見
  • 【洗濯板に布オムツ】昔の家事育児って大変そうだけど実際どうだったの?!おばあちゃんに聞く_PR | SPOT

    ※この記事は「まもレール」の提供でお送りします。 こんにちは。ヨッピーです。わりかし家事育児を楽しんでやっております。 お?なんや?ワシの顔はシール台帳か? さてさて、日は「『まもレール』というサービスが便利だから紹介してチョ!」という依頼を受けました。 まもレールがどういうサービスかと言いますと……、 子どもが対象駅の改札を通ると、 親のスマホに通知が飛ぶ! これによってだいたいの所在地がわかったり、子どもの帰宅時間を予想出来るようになるっていう寸法です。 ■まもレール https://www.mamorail.jp/ 通知が飛ぶだけで「おっ、ちゃんと行ってるな」って安心出来たり、「帰る時間はだいたいこれくらいだな」と逆算出来るわけであります。 ※要するにこういうことです。 心配だからといってGPSで常時監視っていうのはどう考えても、間違いなく、絶対的に、純度100パーセントの確率で子

    【洗濯板に布オムツ】昔の家事育児って大変そうだけど実際どうだったの?!おばあちゃんに聞く_PR | SPOT
  • 張り込み日記(1958年) 「犯罪捜査」刑事を追え<一枚のものがたり>写真家・渡部雄吉さん:東京新聞 TOKYO Web

    二〇〇四年春、東京・神保町。ロンドンの古書バイヤー、タイタス・ボーダー(58)は、立ち寄った古書店でモノクロ写真の束に目を留めた。二〇×二五センチほどの大きさで、二人の刑事を中心とする犯罪捜査の場面が写っている。フィルム・ノワール(暗黒映画)のようだが、生々しい。店主は不在で、店員が「映画のスチル写真かもしれません」と言った。 翌日店に戻ったボーダーは百二十枚すべてを購入。フジフイルムの古い緑色の箱に入った写真がロンドンに届いた。「すべてのプリントに、言葉を超えたエネルギーがありました」。聞き込みから捜査会議、鑑識の様子まで撮っている。被写体に俳優らしさがなく、実際の捜査の場面だと確信した。木村伊兵衛や土門拳など日の戦後の写真家の写真を長年扱ってきたボーダーだが、渡部雄吉(わたべゆうきち)の名は知らなかった。なぜ犯罪捜査の場面を撮れたのか、どのようにして撮ったのか。そんな疑問を残したまま

    張り込み日記(1958年) 「犯罪捜査」刑事を追え<一枚のものがたり>写真家・渡部雄吉さん:東京新聞 TOKYO Web
  • 亡くなった伯父から預かったSDカードに、戦中〜戦後に祖父が撮影した大量の写真が入ってた→有識者から撮影場所の考察が集まる

    Shuhei Miyazawa @room_909 かつてクロイヒトと呼ばれたパンイチです。オールドナムコとMSXとジャズに育てられました。職Webデザイナー、撮影やったり記事書いたり珈琲淹れたりピアノ弾いたりミニゲーム作ったり。 room-909.itch.io/rain-drop Shuhei Miyazawa @room_909 驚いた、数年前に亡くなった伯父から預かったSDカード、もう一枚あった!入ってたのは戦中・戦後に祖父が撮影した写真で、1万枚以上ある!なんで今まで気付かんかったんや! pic.twitter.com/q9i89Y4bUd 2022-05-11 12:15:51

    亡くなった伯父から預かったSDカードに、戦中〜戦後に祖父が撮影した大量の写真が入ってた→有識者から撮影場所の考察が集まる
  • Burst of Joy - Wikipedia

    The photograph Burst of Joy. From left to right, Lt Col Robert L. Stirm, Lorrie Stirm, Bo Stirm (Robert L. Stirm Jr.), Cindy Stirm, Loretta Stirm, and Roger Stirm. Burst of Joy is a Pulitzer Prize-winning photograph by Associated Press photographer Slava "Sal" Veder, taken on March 17, 1973, at Travis Air Force Base in Solano County, California, United States involving Lt Col Robert L. Stirm and h

    Burst of Joy - Wikipedia
    bhikkhu
    bhikkhu 2022/05/22
    ベトナムでの5年の捕虜生活から解放された途端に別の男と暮らしてた妻から離婚され退職金半分持ってかれた由。 #進化心理学のフォースを感じる
  • 残留日本兵・横井庄一 帰国から半世紀 発見された“カルテ”が語る28年潜伏できた理由(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース

    「グアム島の横井庄一さんが、たったいま日航の特別機で羽田空港に帰ってきました」 (1972年2月2日 帰国時のテレビ中継リポート) 半世紀前、グアム島のジャングルで現地の人に発見され、帰国することになった 残留日兵・横井庄一。当時56歳でした。 太平洋戦争の終結を知らされないまま、一人戦争を続けていた横井は、 帰国会見であの有名な言葉を口にします。 「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」 (横井 庄一さん) 「恥ずかしながら」は当時の流行語になりました。

    残留日本兵・横井庄一 帰国から半世紀 発見された“カルテ”が語る28年潜伏できた理由(CBCテレビ) - Yahoo!ニュース
  • 実家から発掘された白黒写真、広告かと思ったらお爺様の趣味だった。『広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだった』「これはキッコーマンの醤油を抱える父」

    イル・カポネ @ill_capone 実家から発掘された私の祖父が撮った写真。広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだったようで、これらはキッコーマンのお醤油を勝手にPRしている。私の父(2L瓶を持つ少年)や祖母が写る。昭和30年頃と思われます。 pic.twitter.com/4VLUGB3mJg

    実家から発掘された白黒写真、広告かと思ったらお爺様の趣味だった。『広告っぽい写真を撮って勝手に企業に送り付けるのが好きだった』「これはキッコーマンの醤油を抱える父」
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/11/13
    いい写真や/魚屋って出先で捌いてたのね
  • iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか

    最近増田でホットなAndroidiPhoneの罵り合い。楽しいですね。 なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。 で、よく知られているように日の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済も

    iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/10/30
    うーん、追記含めて要素技術と部分最適大好きな日本の技術者、日本の製造業って感じやな。
  • 徳川宗家現当主 「旧大名家の子孫が多い学習院の歴史授業は難しい」 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)

    学校の授業でも習う戦国武将のなかには、今でも子孫が残り家を継いでいるケースがある。天下統一した徳川家もそのうちのひとつだ。徳川宗家第18代当主、徳川恒孝(つねなり)氏がその暮らしを明かした。 *  *  * 松平家から徳川家の養子になって、祖父・家正の家に越してきたのが、中等科にいるとき。千駄ヶ谷や原宿のころのお屋敷と比べたらだいぶ小さくなりましたが、家の事務関係の仕事をする男の人が3、4人と女中さんが4、5人、あと運転手と料理人がいました。 こちらでの晩ごはんは5時半。早いんですよ。それに祖父母は70歳くらいの高齢者ですから、例えばお魚といえば白身だけ。味も薄い。大変お上品なちんまりとしたものです。育ち盛りの男の子には全然足りない。 だから、こちらで晩ごはんをべ終わると、「ちょっと行ってくるね」と言って家を出る。すぐ近くの松平の実家へ行くと、ちょうど晩ごはんが始まる時間帯です。私は4、

    徳川宗家現当主 「旧大名家の子孫が多い学習院の歴史授業は難しい」 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)
  • ゲームの移植を手がける「エムツー」 堀井直樹社長に聞く移植職人の技|NHK

    ゲーム、遊んでますか?ボクは相変わらずです」 ある会社のホームページの「代表メッセージ」に目がとまった。 古いゲームを新しいゲーム機でも遊べるように「移植する」ことで、未来に受け継ごうとしているという。 私(記者)は無類のゲーム好き。休みの日はたいていゲームをしている。 忙しければ忙しいほど、睡眠時間を削ってゲームをしてしまう。 どうやらこの会社、ゲームファンの間では「神移植」と噂される業界でも有名な会社らしい。 一体なにが「神」なのか? そこには、驚くべきこだわりの世界が広がっていた。

    ゲームの移植を手がける「エムツー」 堀井直樹社長に聞く移植職人の技|NHK
  • ドイツの北辰一刀流大塚先生のWEBサイトについて

    みんみんぜみ @inuchochin 北辰一刀流大塚龍之助宗家のQ&A。 hoploblog.files.wordpress.com/2016/07/e58c97… 大塚宗家はドイツ人の二十代の青年ですが北辰一刀流千葉同乗者宗家七代目になったそうです。師は小西重治郎師範から独立した大塚師範なので小樽玄武館の北辰一刀流という事だと思いますが… まとめ 天然理心流と北辰一刀流の現在の会派についての話 幕末の志士が学んだことで有名な天然理心流や北辰一刀流は現在でもいくつかの会派があり稽古されています。ただ、古い流派や有名ではない流派に比べると、伝承や技について不思議な事や問題点が多いように感じます。 10745 pv 151 3 users みんみんぜみ @inuchochin しかしこのQ&A、いわゆる剣道史の視点が全く欠けている。撃剣と剣道が別物とされているけど、基的には同じものと考えてよ

    ドイツの北辰一刀流大塚先生のWEBサイトについて
  • 俺とお前とインターネット - はてなダイアリー

    はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 初めてインターネットに接続したのはとにかく誰よりも早くコンシューマーゲームのチートがやりたかったからで、私が初めて閲覧したウェブサイトは、ゲームのチート情報サイトだった。 私の家にはなぜかバックアップ活用テクニックやゲームラボが山のように置いてあったから、私はそれを読んで、父親にねだってプロアクションリプレイというゲームをチートするための機材を買ってもらってチートしていた。 しかし月刊誌とゲームの発売日は噛み合わない。私は誰よりも早くチートしたかった。地方の田舎で、屋もゲームショップもほとんどないような土地なのだから、私の周りにゲームをチートしている人間なんていなかった。そもそも誰もゲームすらやってない。ザリガニを爆破するのがなによりの娯楽だ。だから私はたったひとりの最速チーターだったのだけど、それでもまだ足りていなかった。 父親はゲ

    俺とお前とインターネット - はてなダイアリー
    bhikkhu
    bhikkhu 2021/08/10
    うーん、濃厚なジジババインターネッツの芳香
  • 昔のイギリスは衝撃的な姿で暖炉で温まっていた「お尻は冷えるからね...」

    ミミ🇬🇧『高慢と偏見Ⅰ・Ⅱ』発売中🦚 @janeaustenlove3 アシェット・コレクションズ・ジャパン様より拙訳『高慢と偏見』『マンスフィールドパーク』恋愛小説の世界シリーズにて発売中✨ジェイン・オースティン作品の自力翻訳をHPで無料公開しています🇬🇧☕️ kindleでも読めます📱無言フォロー歓迎/イギリス/摂政時代/リージェンシー/英文学/宝塚/TOEIC950 janeausten-love.com

    昔のイギリスは衝撃的な姿で暖炉で温まっていた「お尻は冷えるからね...」
  • カナダ軍事史の英雄十人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    あまり知られていないカナダの英雄兵 国にはそれぞれ独自の歴史があり、独自の文脈があります。 その中で、その国では高く評価されてるけど他国にはあまり知られていない英雄という人物が必ずいます。 ローカルな英雄兵をピックアップするシリーズを書いていこうと思います。 第一回はカナダ篇です。 1. レオ・メジャー(1921-2008) Photo by Jmajor 二度の戦争で二度の特別功労勲章を得た男 レオ・メジャーはフランス系カナダ人の軍人。 1940年に19歳でカナダ軍に志願し、1941年に西部戦線に合流。1944年6月のノルマンディー上陸作戦に従軍しました。ノルマンディーでの戦闘で彼は4人のドイツ兵を殺害しますが、手榴弾の爆発で片目を喪失。しかし、偵察隊と狙撃隊として従軍を続けました。 1945年4月13日、オランダ東部ズウォレの奪還戦で夜中にたった1人、町を占領するドイツ軍を戦闘を繰り広

    カナダ軍事史の英雄十人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か(細田昌志)

    井上尚弥、井岡一翔、村田諒太ら7人もの世界王者を輩出するなど、黄金期の只中にあると言っていい現在の日のプロボクシング。 しかし、「拳闘」と呼ばれた黎明期について書かれた書籍は思いのほか少ない。もちろん、ボクシングだけに関して言えば一連のモハメド・アリの書籍をはじめ、マイク・タイソンの半生を赤裸々に綴った『真相─マイク・タイソン自伝』などのノンフィクション、『一瞬の夏』(沢木耕太郎)、『殴り殴られ』(安部譲二)、『遠いリング』(後藤正治)など一流の書き手による名作もあるにはあるが、野球やサッカーと比較して、ルーツを詳細に記した書籍は、市民権を得たプロスポーツにしては少ないかもしれない。 「最高最大の豪傑ボクサー」とは何者か 筆者は『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を著述するにあたって、主人公野口修の父、野口進の人生もつぶさに追った。 「最高最大の豪傑ボク

    タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か(細田昌志)
  • けしからんファイアウォールに負荷掛けたら警察から手紙きた 登大遊氏が光ファイバーの先に興味をもった理由

    情報科学若手の会とは、情報科学に携わる学生、若手研究者、エンジニアのディスカッションと交流の会です。NTT東日特殊局員の登氏が政府に配布停止要請されたVPNソフトの話など、シン・テレワークシステムの開発のもととなった数々の経験を開発秘話として講演しました。今回は登氏がNTT東日に呼ばれるまでの経緯について。前回の記事はこちら。 村井研を真似た部屋を大学内に作る 登大遊氏(以下、登):しばらくして、どうも他にすごい大学があるという噂が回ってきました。「SFCの村井先生の研究室はすごいらしい」と。みんな知らなかったんのですが、ちょっと筑波大の学生が夜中に見学しに行ったら、あそこはすごいと。「村井研はすごい」と。 こういうものを作りたくて、我々も真似しようとヤフーオークションや大学廃棄で大量機材を持ってきました。あとは、先ほどの国のお話とかでの収益と、SoftEtherも売れていたので収益が

    けしからんファイアウォールに負荷掛けたら警察から手紙きた 登大遊氏が光ファイバーの先に興味をもった理由
  • 歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル

    はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 作家で歴史研究家の半藤一利さんが1月12日に亡くなった。享年90。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社した半藤さんは、専務取締役を経て文筆家に。終戦の日を描いたベストセラー『日のいちばん長い日』をはじめ、『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など数々の作品を書き残した。 歴史とは何か、戦争とはなにかという問いに徹底的に向き合った半藤さん。その根底にはどんな思いがあったのか。フライデーが2019年6月、ご人にその壮絶な半生を聞いてまとめたインタビューをここに再掲する。 「オマエは非国民だ」 半藤氏は昭和5年、東京の下町、向島(現・墨田区)に生まれ

    歴史研究家・半藤一利さんが語っていた令和の日本人への懸念 | FRIDAYデジタル
  • 昔のゲーム業界人、若すぎワロタ!!ワロタ!ワロタ、、、、

    90年代のゲーム雑誌を「懐かしいな~」とめくっていてね、花形クリエイターのインタビューとか読んでてね、「あれ、こいつら、この時代めっちゃ若くないか?」ってことでゲームクリエイターの年齢を調べてた。 はあああああ~~~若い。業界自体がほとんど80年代に興ったような若い業界だから作り手も若いのは当たり前なんだけど、それにしたって若い。 神童みたいな存在だった中村光一や中裕司が若いうちから代表作を残しているのは当たり前としても、あんな清濁併せ呑むような作風の『タクティクスオウガ』作ったときの松野泰己が20代なんだよ。「ガキが...舐めてると潰すぞ」ってならんか?ならんか? あと何気にショッキングだったのは、堀井雄二と広井王子ね。元々ゲーム業界外の出身であるこのへんは年齢も高く、ゲーム雑誌を熱心に読んでいた90年代中盤の自分にとっては「おじさん」っていうか殆ど「初老」って感じだったんだけど、年齢み

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