宋教仁狙撃 「東京朝日新聞」1912/03/22 上海停車場の椿事 兇漢は直ちに逃走 宋教仁氏は人も知れる如く、革命党員中錚々たる急先鋒にして、永く日本に亡命し、具さに辛酸を嘗め、一昨秋の革命乱にて黄興氏等と相携へて各地に奔走し、事成るに及んで、白面の一亡命客は忽ち唐内閣に農林部総長の栄職を得、声望隆々たりしが、後、職を退き、五政党を統一して国民党を組織し、現に其理事たる人なり。 昨夜十二時、宋教仁は黄興と共に参議院議員の北京に行くを送りて滬寧線上海停車場に到り、改札口に佇み居る時、一人の支那壮漢、突如として宋教仁に接近し来り、ピストルを以て宋を狙撃する事四発、其一発は宋の腹部に命中し、宋は倒れたるが、之を見たる右の支那青年は機敏に逃走せり。宋教仁は直にレーンジ・ロードの鉄道病院に送られたるが重傷なりと云ふ。同行の黄興は危険を恐れ、停車場役員の自動車を借りて帰宅せり。 当地日本旅宿なる豊陽