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日本橋高島屋、百貨店初の重文指定へ 文化審答申 文化審議会(西原鈴子会長)は17日、東京・日本橋の高島屋東京店、富山県立山町と富山市の白岩堰堤(えんてい)砂防施設など8件の建造物を重要文化財に指定するよう、塩谷文部科学相に答申した。また重要伝統的建造物群保存地区として、石川県輪島市の黒島地区と、福岡県黒木町の黒木地区を選定するよう答申した。 高島屋東京店は、百貨店建築で初めての重文指定。西欧の歴史様式に日本的要素を加味した戦前の建築部分と、戦後の村野藤吾による近代建築の手法を駆使した増築部分が、一体不可分の高い完成度を持つと評価された。 asahicom:2009年4月17日 東京・日本橋の高島屋東京店が、重要文化財に指定されました。高橋貞太郎の設計により1933年に完成したもので、1952年から4期に渡っての増築部は村野藤吾の設計によるものです。当初は日本生命館として建てられたようですが
水族館にお泊まり…それは水族館好きの見果てぬ夢にして狭き門… と思っていたところ、マイフレンドの安全ちゃん(id:anzenchan)から「新江ノ島水族館の女性限定お泊まりイベントに応募しません?」と誘っていただきました。ここに自慢かたがたその記録をしていきますので、歯ぎしりしながら読んでくださいね! 昼の水族館 2009年3月末に行われた今回のお泊まりイベントは「クラゲヒーリングナイト」なるもの。応募多数の場合は抽選になるということだったのですが、安全ちゃんが「ハガキをちょっとでも目立たせるためにゆるすぎるクラゲのイラストをかいたりして頑張りましたよ…フフ…」と奮闘してくれて、無事当選できました。 事務所で手続きした後、まずは昼の水族館を楽しむことに。ミュージカル仕立てのかなり斬新なイルカショーが行われていました。水の妖精的な人たちが音楽にあわせて踊ったりイルカと共演したり、アミアミした
結構話題になっていた、Googleによる本の電子登録。いつの間にか使えるようになってたんですね。ゴールデンタイムズさんの記事で知ったんですが。 ( д ) ゚ ゚ ポーン 全文読めちょる。 とまあ大袈裟に書くとあれですが、一応「部分プレビュー」ということになっていて見れないページもあります ただ読む上でほとんど障害のないレベルの公開。 http://trackback.blogsys.jp/livedoor/goldennews/51244143 ということなので、新書を一つ読んでみました。 読んだ本 本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書) 作者: 平野啓一郎出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2006/08/17メディア: 新書購入: 33人 クリック: 160回この商品を含むブログ (188件) を見る好きな小説家の一人、平野啓一郎さんが書いた
(青弓社・8400円) ◇片田舎に続々と国際ホテルが建ったわけ 上高地ホテルとか雲仙観光ホテルとか川奈ホテルとか、ちょっと渋いところでは志賀高原ホテルなどなど。昭和初期、どうしてそんな当時としては人影薄いところに、ちゃんとしたホテルが開設されたのか、不思議でならなかった。 なぜなら、戦後の高度成長まで、ホテルは欧米外国人がもっぱら利用し、それゆえ、東京、横浜、神戸などの欧米人密度の高い都市か、そうした欧米人が観光や避暑に出かける日光、軽井沢、京都、奈良にかぎられていたからだ。 軽井沢のクラシックホテルの宿帳を見たことがある。日本人を含めすべてアルファベットでサインがなされていた。ミチコ・ショーダとか。 先に加えて赤倉、阿蘇、蒲郡、唐津、松島、河口湖、中禅寺湖にもちゃんとしたホテルが創設されているが、はたして欧米人が出かけて来たんだろうか。 昭和10年開業の雲仙観光ホテルで聞くと、香港、上海
■ 神田明神と神田祭-その歴史 神田祭は、天平2年(730年)の神田明神創建から数えて約1280年続く祭りで、慶長8年(西暦1603年)、徳川幕府が江戸に開かれて以降盛んに行われるようになった。江戸幕府庇護の下、江戸城内に神輿や山車などの祭礼行列が練り込んだことから、江戸の庶民が「天下祭」と呼ぶようになったという。 明治時代に入り、多数の山車が出されるなど盛大な祭礼が行われた時もあったが、不景気と電線架線などの影響から、明治22年を境に山車が出されなくなっていった。また、明治25年の神田祭から、台風・疫病流行の時期を避けるため、祭月を9月→5月に変更。以降、今日まで5月に行われている。 大正時代に入ると山車が出されることはほとんどなくなり、神社の神輿が渡御する「神輿渡御祭」へと変化。大正8年、2基の神輿を鳳輦(ほうれん)1基に改めた(この鳳輦は大正12年の関東大震災により焼失)。震災後、何
女性の買い物時間の長さにペースを乱された覚えのある男性諸氏は多いと思う。(もちろん個人差もあるからひとくくりに「女性は」と言うのは乱暴かもしれないけど) うちもそうだ。迷っている物を両手に一つずつ持ち、「どっちにしようかな~」と左右に首振り運動を続けるかみさん。その様子を延々と見ているうちに、ふら~っと意識が遠のいていく私…。 今まで疑問に思いつつも特に対策とかなかったが、「彼女を知り己を知れば百戦して殆うからず」と、孫子も言っていたように、相手をよく知れば何か良いことがあるかもしれない。 と思って、かみさんの買い物パターンをよく観察してみることにした。 (T・斎藤) ● 面倒くさいけどじっくり観察 かみさんが長期出張にでかけるためその前にどうしても買わないといけないものを買いにでかけた。これにくっ付いて行って、その行動パターンを観察してみようと思う。 かみさんが一般的な30代女性の代表と
~登場人物を総ざらえ 「どちらまででございますか?」 女中頭らしいのが、無表情に訊く。 男女2人づれの船宿客だと、それがもっともふさわしい表情だと、心得ている。 「須田(すだ)村の水神まで頼みたいのだが---」 銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)にかぶせて、お竜(りょう 29歳)が、 「屋根舟でお願いします。船頭さんはお年寄りのを---」 こんな時刻でも、大川(隅田川)を上下する船は少なくない。 この季節だから、屋根舟は、障子を取りはらって川風をいれている。 話し声は、船頭につつぬけなので、2人はほとんど話さないで、岸辺に点在する料亭の灯を眺めていた。 ひときわ、空が明るくなっているのは、新吉原であろう。 (新吉原 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ) 須田村が近くなった。 船頭が、向島岸へ舟を寄せようとしかけたとき、お竜が、 「船頭さん。酒手をはずみますから
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