【追記 07.06.01:30】 一応書いておくが「ICを入れない方法を考えた」という発言をした監督を俺は全く擁護していない。 あのテーマの原作を撮っておきながら、どうしてあんなに無神経な発言ができるのか。 【追記以上】 みんな今知りたい話題だろ? 俺は、まさに映画・ドラマ業界の真っ只中にいる者だ。 そしてインティマシーコーディネーターの起用の有無について意見ができるぐらいの立場の職種だ。 俺は日々、撮影現場でありその準備であったりと「作品」の制作に関わり、また他の現場の話題も常日頃耳にしている。 そんな俺が、「今、日本におけるインティマシーコーディネーターはどう受け入れられているか」を皆に共有する。 まず大前提として、 インティマシーコーディネーター(以下IC)という職業ができたことを疎んでいるスタッフはほとんどいない、 ということをまずは明らかにしておきたい。 「ICなんて不要だ!」な
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。 ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。 大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。 寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ
ドラマ「不適切にもほどがある!」を娘が観ていて、家族で観るともなしに観ていた(最近このパターン多し。「光る君へ」もそうだ)。 www.youtube.com 昭和末期の体育教師・小川が令和にタイムスリップしてくるという設定のドラマで、初回を観た時、ぼくはバスでタバコを吸ってしまう小川にちょっと笑ってしまった。 しかし、前半はとかく「令和のポリコレの息苦しさ」という味付けで語られ、ドラマへの批判も少なくなかった。バックラッシュでは、という人もいた。 だが、最終回。令和の歴史的進歩に心身を浸らせ続けてきた小川が昭和に戻ってきたとき、小川が身体感覚として昭和の生き方に強い違和感を覚え、その昭和の抑圧性に反発し、厳しく批判する様は、観ていて爽快だった。 一種の快楽でさえあった。快哉を叫んだ、と言ってよい。 つまり、ぼくは小川よろしく、令和までの価値観に心身を浸らせ切っており、小川と同じような気持ち
「今クールのドラマで何がオススメですか? やっぱり『ふてほど』が面白いですよね!」 「『ふてほど』観てます? 面白いですよね~」 同業者のライターや友人知人から幾度もこの問いをされては、都度「面白いですよね。危うさはありますけど」と答えてきた。すると、ほとんどの人(主に40〜50代以上の男性だが、女性も少なからずいた)がポカンとするので、自分の気になる箇所を話すと、「そういう見方もあるんですね」と多くの人がテンションを下げて言う。KYが楽しさに水を差したといった顔をされるのは、少々しんどい。 これは、宮藤官九郎脚本×磯山晶プロデューサー×阿部サダヲ主演の『不適切にもほどがある!』(TBS系)、通称『ふてほど』の話だ。 舞台は1986年。中学校の体育教師で野球部顧問の小川市郎(阿部)は17歳の娘・純子(河合優実)と暮らすシングルファザーだが、ある日偶然乗ったバスがタイムマシンだったことから、
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