長々と「大砲の街」の話をしているあいだに色んなことがありすぎてしまい、自分でも脈絡だとか辻つまだとか、よくわからなくなってきてしまった。それでなくとも、今や世間のうしろ側では、最近の故人について「片山さんのこんな昔の写真があった」なんていうものが回覧されていて、一緒に写っている自分たちのあまりにも若すぎる姿にクラクラしているところなのだ。過ぎた日々の話にあまり頭が回らない。 強引に思い出してみる。 そうだ。まず、「大砲の街」の作画監督は小原さんがやるとして、美術監督をどうするか、ということになったのだった。それは結局、大友さんが自分で務めることになった。小原さんが自分のキャラクターデザインで描いてゆくにしても、どこかで大友カラーが入り込んでくるべきだろう、と思っていたら、大友さんはまさしく余人には使いこなすのが難しい鮮明な赤色とその補色・緑色のカラー世界に染め上げてしまったのだった。 その