陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)をご存じでしょうか? 最近は小説や映画のみならず、フィギュアスケートの羽生結弦選手が陰陽師・安倍晴明をモチーフにした演技で金メダルを獲得したことで、ご記憶の読者も多いのではないかと思います。 晴明は、平安時代後期に活躍した、陰陽道の術の大家でした。今日の陰陽道の術は、晴明ひとりによって築かれたといっても過言ではありません。 その晴明には、吉平、吉昌というふたりの息子がいたと、歴史は語ります。彼らはいずれも晴明の跡を継ぎ、国の役所である陰陽寮に勤め、陰陽博士や天文博士になって陰陽道の発展に力を尽くしています。 でも、晴明の子供は彼らふたりだけではありませんでした。 というのも、晴明には5人の側室がいて、それぞれに子供をもうけていたのです。これは、公の歴史では語られていません。いわば、秘密の歴史です。 「陰陽師五家」誕生の真相 英雄色を好むといいますが、晴明も
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