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思想に関するboxfanのブックマーク (26)

  • 「未来の被害」という詐術―マイケル・ウォルツァーの「均衡」論批判― - 過ぎ去ろうとしない過去

    「正戦論」の主張者として知られるマイケル・ウォルツァーは、自ら編集する『Dissent』誌のオンライン版で、イスラエルによるガザ攻撃は「不均衡/disproportinate」であるという議論に対して批判を行っている。 ■The Gaza War and Proportionality http://www.dissentmagazine.org/online.php?id=191 ウォルツァーが指摘するのは、「均衡/proportionality」という概念のあいまいさである。彼は、戦争においては「均衡」という概念は単なる「やったらやり返す/tit for tat」式の(被害の)対称性を意味しないという。戦争には常に目標がある。たとえば第二次大戦時のドイツへの空爆は、その後の想定しうるドイツの攻撃による被害を阻止するために行われた。その攻撃は多くの市民に被害を出したが、その数がどれだけな

    「未来の被害」という詐術―マイケル・ウォルツァーの「均衡」論批判― - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 正戦論の倫理思想家マイケル・ウォルツァーのガザ攻撃正当化について:パレスチナ情報センター:Staff Note

    Posted by :早尾 貴紀 イスラエルのガザ侵攻をめぐって、いろいろと貴重な発言、良心的な発言が翻訳紹介されています。 しかしもちろん、こういった発言が世論の主流を占めているわけではなく、稀少だからこそ拾われて紹介されているということでもあるわけです。 ここで反対に、ひじょうに巧妙にイスラエルの軍事攻撃を正当化する議論を紹介します。論者はマイケル・ウォルツァー(Michael Walzer)。アメリカ政治思想・倫理思想の研究者で、日でも、その主要な著作が次々と(もう10冊も!)翻訳紹介されている人気の思想家です。共同体の倫理と人権の理論で知られます。 そして彼は、〈9・11〉のときも、アメリカの軍事行動を正当化する代表的イデオローグとして名を馳せました。 それだけではありません。ウォルツァーは、もはや古典とも称される正戦論、『正しい戦争と不正な戦争』を1977年に刊行し、とうとう

  • 共有されるべきは【悪】や【誤謬】(追記アリ - 地下生活者の手遊び

    A)自分のして欲しいことを他人に施す B)自分のされたら嫌なことは他人に施さない 両者の立場はともにダブスタを回避している点においては倫理的なものにゃんが、その中身はまるで違うものですにゃ。なぜかというと、Aの立場は自らと他者の間に【善】を共有しようとするものであることに対し、Bの立場は自らと他者との間に【悪】を共有しようとする立場といえるからですにゃー。 Aの社会はスバラシイ社会かもしれにゃーのだが、その【共有された善=共通善】を共有できない者にとってはきわめて抑圧的なものでありえますにゃ。宗教共同体なんかが典型例なのではにゃーだろうか。宗教共同体って、信者同士ではすんごく、きゃっきゃうふふ、していて楽しそうだけど、無信仰者はなかに入れずにつらいだろうし、それどころではなく具体的な不利益がもたらされることもありえるわけでしてにゃ。 この社会において、【善】はすでに与えられていて、倫理的葛

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  • フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記

    フランスに留学中のサルトル研究者に東の劣化がひどいよと話してみたところ、メールが届いたので転載する。東批判は一通りなされた感があり、また、先日の常野さんの活躍によって東の小物振りが明らかになって、東の言説自体を取り上げることも少なくなってきていると思うけれど、サルトル研究者からみた東及び「ポストモダン」というのはこれで面白いと思う。 最初に断っておきたいが、知っての通り日語文献が揃えにくい状況にあるので、どっかのから引用する場合は、邦訳が存在する場合でも原書から俺が直接訳している。そのため、細心の注意は払うが、特にデリダのついては誤訳の可能性を否定しきれない。いずれにせよ、翻訳の責任は完全に俺に帰する。 東の発言について参照したブログの類は、お前から教えてもらったものがほとんど。 以下の通り。 http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128 http://wa

    フランスからの手紙―ある哲学研究者の東浩紀批判 - toremokoの日記
  • 分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去

    3週間ほど前、ネトウヨの気が限りなく強いと個人的には思っている、ミスター・イースト元門下生としておなじみの某F氏とチャットで一晩話したのだが、彼は自分はネトウヨだと思っていないという。なぜかと問うと、「自分は日を憎んでいる」という。「アイヌを虐殺した*1日が憎い。(北海道出身である自分は)そう(日を憎めと)教育された」と。ぼくも北海道出身ではあるのだが、もちろんそんな教育は受けていないし、そんな教育をする教師など聞いたことがない。まあともあれ、彼の言っていることが事実であるとして、「アイヌを虐殺した日を憎む」ことを、すんなりと受け入れることができる彼の心性がぼくは不思議でならなかったのだった。 つまり、ぼくも恐らく彼も「血統的には」3代続いた日人の家系であるし、いやそれ以前にわれわれが今この時点で「日国民」であるのだから、いやおうなしに(それはパスポートを見るだけでわかる)「日

    分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去

    歴史」をとりあえず「記述された歴史」という狭義の意味で定義してみよう。次に、この「記述された歴史」が、実際に起きた出来事としての歴史と等しいものかどうか検討してみよう。たとえば史料において、われわれは戦国時代の日には織田信長という人がいたことを知る。しかし、もちろん同時代には彼以外にも何千万ものの無名の人々がいたのであって、しかし彼らについては、われわれはおそらく永遠に知ることができない。また、「言語論的転回」*1を経た今日では実際に起きた桶狭間の合戦と史料に記述された桶狭間の合戦の間には、どんなに信頼できる史料だろうとなお、埋めることのできない差異があることは常識である。 以上のことから、「歴史」は「物語」*2であるという言説が産まれる。それはある種の人々、たとえば「新しい教科書をつくる会」のような人々にとっては都合の良いナショナル・ヒストリーを構成するための言い訳であり、このような

    「歴史=物語」の倫理学―《痕跡》と《出来事=他者》のあいだにある「主体」について― - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 中谷巌氏の転向と回心 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    中谷巌氏の『資主義はなぜ自壊したのか-日再生への提言』(集英社インターナショナル)というを見つけました。 http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-7976-7184-1&mode=1 >「新自由主義経済学」は悪魔の思想だ!! 広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足、そして金融危機――すべての元凶は、資主義にあった! 「構造改革」の急先鋒と言われていた著者が、いま、悔恨を込めて書く警告の書。 という内容自体は、実のところそれほど目新しいものではありません。スティグリッツやポランニーを引用して様々に説いている部分も、正直どこかで読んだ内容ばかりです。 目新しいのは著者の名前です。そう、あの「中谷巌」氏が、帯の文句を引用すると、 >リーマンショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊

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  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • 東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apeman’s diary

    崎山伸夫のBlog 「今般の東浩紀の言説をめぐる騒動で断固として東氏を私は支持する」 C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。 (http://www.hirokiazuma.com/archives/000465.html) 一連の東浩紀の発言のうち上の引用部分(ないしそれと同趣旨の別の発言)に対して向けられている批判は、例えば次のようなものである。 2ちゃんにいけばふつうに(東スレでも!)修正主義者が跋扈している。Willや正論など、修正主義者の文章をお金を払って買ってくれる媒体もある。産経新聞など修正主義に寛容な全国紙もある。修正主義者の国会議員もいる。これ以上何を尊重しろと

    東擁護者は「声に場所を与える」ってことで一体なにを考えてんの? - Apeman’s diary
  • ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船

    以下、きわめて単純化された整理と厳にお断り。 今更言うまでもなく、リヴィジョニズムとホロコースト否定論は区別さるべきもの。以前も書いたけれど、リヴィジョニズムすなわち歴史修正主義あるいは「歴史の見直し」とは、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立としてこの数十年来繰り広げられてきた知的営為であり、それはヨーロッパに発する近代批判の運動と期を一にしていた。 問題は、そうしたポストモダン・リヴィジョニズムが史学的なメイン・ストリームを超えて史学的立場それ自体を無限に相対化するものとして機能してしまったことにある。むろん、68年以降の近代批判の過程において史学的立場それ自体が相対化されることは悪いことではなかったし、そもそも歴史の必然であったろう、ヘーゲル的に言うなら(笑)。しかし史学的立場それ自体が無限に相対化されたとき、史学的なメイン・ストリームに対する異議申立はメイン・ストリームを超え

    ポストモダン・リヴィジョニズムと虐殺否定論 - 地を這う難破船
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病

    どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病
  • 『思想地図 Vol.1』における東浩紀の発言について - Apeman’s diary

    先日のエントリのコメント欄にて上田亮さんから情報提供を頂いた件について、前後の文脈もあわせて改めてご紹介させて頂きます。 東浩紀・北田暁大(編)、『思想地図 Vol.1』、日放送出版協会、2008年4月 問題の発言が含まれているのは「特集・日」の「II ニッポンのイマーゴ・ポリティックス」中の鼎談「日論とナショナリズム」です。鼎談参加者は東浩紀、北田暁大に萱野稔人。 鼎談の流れとしては、従軍「慰安婦」問題を持ち出したのは北田暁大です(「●戦争責任と主体」という小見出しがつけられている)。これに至るまでの、ナショナリズムについての三者の議論は書をご参照ください。 北田 少し話題をずらしますが、戦争責任や従軍慰安婦問題にしても、韓国中国に対する謝罪の話が延々繰り返されてきましたが、結局、「謝れ」と言われるということは、「責任主体になれ」と外から言われていることになる。それでは「当の

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  • 特報:「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」を構想中です。 - (元)登校拒否系

    一年ほど前に、↓の論文を読みました。 金光翔「<佐藤優現象>批判」(『インパクション』第160号(2007年11月刊)掲載) http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html 僕はこれを読んで、衝撃を受けました。近年に日語で書かれた論文で最も感銘を受けました。そして、2008年はこの論文をめぐってケンケンガクガクの論争が始まるに違いないと確信しました。 ところが、僕の予想は完全に外れました。この論文で批判されている人々は全く反論しようともしません。 佐藤優さんは、そうとう汚い工作をやったようです。しかし、金さんの論文の焦点は佐藤個人ではなく、彼をめぐるリベラル・サヨク界隈の言説を現象として分析することにありました。 また、岩波書店は経営・労働組合が一体となって壮絶ないじめを金さんに対して行っているようです。僕はこれまでにリベラルを自称する人や組

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 東浩紀発言とポストモダン・プレモダンあと還元主義の罠 神は細部に宿り給う

    1.専門家団および公共性の軽侮 ある人が家に入ってくる。机の上の財布をポケットに入れ家を出て行く。この行為は正当か? この問いには、イエスと答えるのもノーと答えるのも馬鹿げている。その家がその人の家であるか、そうでないかによる。前者ならその人は財布を忘れた人であり、後者ならその人は空き巣だ。その前提を知らないままでは正当も不当もありえない。何の話かといえば、 東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつか これの話。例によって出遅れているため、もはやあまり言うべきことは残ってない気がするが、残った部分にちょっと興味のある部分があるので、まずはそこ以外の部分の整理、地ならしに努めよう。 医者団が執刀中の手術室に物理学者がいきなり入ってきて「人体なんて原子の塊に過ぎないのにわかってないお前ら馬鹿」と言ったら叩き出されても仕方がないと大抵の人は思うだろう。医学と物理学を歴史学とポスト

  • Thirのノート

    thir ノート:覚え書き。断片的かつあまりまとまりのない文章を記録/公開しています。詳しい方針は自己紹介にて。

  • Enemy of the Sun - FC2 BLOG パスワード認証

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 連絡は→http://b.hatena.ne.jp/CrowClaw/ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

  • テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall

    東浩紀の発言から始まった年末南京事件騒ぎだけれども、このパターンほとんど年始のフロムダ氏の南京論争とそっくりで、わたしとしては以下の一年前の記事を再掲するだけで終わらせても良いくらいだ(この騒ぎでにわかにリバイバルしてアクセス数が増えている)。 「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 続・「なにが歴史修正主義の問題なのか」についての私見 - Close to the Wall 南京事件否定論は基的にトンデモ - Close to the Wall 論争傍観者を自称する人間についての二つの問題 - Close to the Wall ただ、東のいっていることは単純に歴史修正主義容認論とみなしていいのかどうかはやや判断に迷うところなのでさておくが、ゼロアカ門下生藤田直哉id:naoya_fujitaの発言はひどいのを通り越してもはや犯罪的だと

    テンプレを踏んでいることに気づかないテンプレ通りの人たち - Close To The Wall
  • 中学生のときに通過すべき真理 - 地下生活者の手遊び

    はいはーい、全世界数十人はいると見積もられるid:Midas閣下ファンのみにゃさま、今日も元気ですかにゃ? 僕はすこぶるご機嫌。近くの神社に家族と鳩の餌をあげにいって、神池でカワセミが小魚をとるところを目撃しましたにゃ。生まれて二度目の目撃だけど、今回は目の前5メートルの距離でしたあ。うらやましいだろー。 あれは当に見事な鳥にゃんねえ。翡翠、という漢字をあてた先人の気持ちがよくわかる。 小便チビってにげだしたMidas閣下 馬鹿はメタに逃げようとしてデマに堕する - 地下生活者の手遊びで、あれだけ「具体的に」と僕は閣下にお願いしましたにゃ。 各質問に番号までふりましたにゃ。 以前はコメ欄におこしいただいたことを記し、ブクマコメにこだわっておいでではにゃーこともわかるようにしましたにゃ。 前回エントリの閣下にあてた締めの部分を再掲すると まるで読めてにゃーくせにクチバシつっこんできて、他人

    中学生のときに通過すべき真理 - 地下生活者の手遊び
  • なにをもって尊重というのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/nitar/20081128#p1 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな聞いてくれない なかったという人の意見も尊重しなければならない という帰結が生じるという話をしている 2ちゃんにいけばふつうに(東スレでも!)修正主義者が跋扈している。Willや正論など、修正主義者の文章をお金を払って買ってくれる媒体もある。産経新聞など修正主義に寛容な全国紙もある。修正主義者の国会議員もいる。これ以上何を尊重しろというのか。修正主義者が発言することを尊重すべきと言うならば、それは十分すぎるくらいに尊重されている。修正主義者の発言の中身を尊重すべきというなら、それはご冗談をと言うしかない*1。 歴史修正主義者が登場するのは「絶対的真実」が無いからではな

    なにをもって尊重というのか - 過ぎ去ろうとしない過去