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criticに関するbreaststrokingのブックマーク (22)

  • 「やまうちようどう」の謎 - jun-jun1965の日記

    『竜馬伝』で、山内容堂を「やまうちようどう」と呼んでいる。これは『功名が辻』の時に、従来やまのうちと読まれてきたが、浅井茶々の手紙と『寛政重修諸家譜』に「やまうち」とあるからと訂正したものだ。 しかし、それならいったいいつから「やまのうち」になったのかを確認しなければいけないのだ。もしかすると新井白石の時代以後「やまのうち」になったのかもしれず、むろん混在していた時期もあっただろう。仮に一豊が「やまうち」だったとして、幕末期にみなが「やまうち」と読んでいたら、明治以後「やまのうち」と言われたら、山内家で訂正したはずだと思うのだが。 (付記)その後情報が入り、明治以後、家はやまうち、分家はやまのうちとしたという。これは面白い。松山には池内家というのがあって、高浜虚子が池内家の出身で、息子は池内友次郎だ。伊丹万作も池内だが、前者はいけのうち、後者はいけうちで、前者は家柄がいいという。山内と逆

    「やまうちようどう」の謎 - jun-jun1965の日記
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    breaststroking 2010/04/14
    『巡礼』批評。二点目の批判は妥当だが、それを抜いても作品に凄みがある。
  • フェスはもういいよ・・・ 面白いパーティをしよう! | JJ's diary

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    フェスはもういいよ・・・ 面白いパーティをしよう! | JJ's diary
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    breaststroking 2010/03/23
    GO!FESの失敗に音楽産業の変化を見る
  • Article | 合評 銀杏BOYZ「ボーイズ・オン・ザ・ラン」 - ele-king Powerd by DOMMUNE

    "ボーイズ・オン・ザ・ラン"のPVが話題になっている......いや、すでに数週間前の話だが。とにかく、それなりに話題になっていた。ご覧くださればその理由もおわかりになるはず。あの『SNOOZER』もまったくスルーした"ボーイズ・オン・ザ・ラン"のPV、その合評をどうぞー。 観て一驚を喫したのは、そこに映し出されていたのが、 このとき振り落とされた男性たちであったことです。文:橋元優歩 GOING STEADY時代のファンが多いというだけのことかもしれませんが、驚いたのは、あの女性ジャケのシングルを実際に被写体のような女性が買いにくることです。いまはなき御茶ノ水の某店舗、パンクとインディ・ロックだけを置いた薄暗いフロアにて、ファースト・アルバム2枚同時リリースから2年半を経て、銀杏BOYZのシングル「あいどんわなだい」が店頭に並んだとき、鋲打ちジャケットの男性や若いサラリーマン等々の後ろか

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    breaststroking 2010/03/21
    dommuneは元々ele-kingのウェブ版としてプレオープンしたんだったと思う。UST配信と合わせてこういう仕事が続けられていくことを願う。
  • コージー冨田が体現してしまった、千原ジュニアの「ユニーク仕上げ」

    「prints 21」/プリンツ21 今回ツッコませていただくのは、2月8日放送分『やりすぎコージー そうだ営業へ行こう2』(テレビ東京系)。番組終盤でふいに放たれたのは、あまりに刺激的な”猛毒”だった。 それは、モノマネ芸人・コージー冨田の「今イチオシのネタ」として披露された「普通のエピソードを千原ジュニアさんで喋るネタ」である。 もちろんこれ、言葉通りに受け取れば、「普通のオチのない話も千原ジュニア風に喋れば面白そうに聞こえる」、ジュニアの話術への賞賛のはずである。 だが、「普通のエピソードですよ、オチとかないんです」と前置きした上で見せた、完成度の高すぎるモノマネは、数多の批判よりも雄弁な、猛烈な皮肉に聞こえて仕方がなかった。 「×○□(モソモソ喋りで)、飯べて『美味しいな~~』ゆうてっっ、あ、★×□『ほんじゃ行こか~~』ゆうてっっ、行ったんです(終了)」 身ぶり手ぶりをまじえ、も

    コージー冨田が体現してしまった、千原ジュニアの「ユニーク仕上げ」
  • Hang Reviewers High / ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

    さて、劇場で見てから一ヶ月以上経って、ようやく「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」について書くことができる。この一ヶ月の間に「破」については多くの意見が交換されたと思うが、僕は忙しくてあんまり見ていない。でも二次創作的だと言われているという意見をちらりと伝え聞いて、これはそんなに単純なものではないだろうと思った。では何なのか。それを、例によって今からこの文章を書きながら、考えてみたい。ただまあ、おそらく、僕の意見はこの作品を見た一ヶ月前から変わっていない。最初に僕が思ったのは鶴巻和哉がやってくれたんだということで、これは当にすごい作品だ、ということだ。 「破」が二次創作的だという意見に対して、僕は「序」が既にそうだったというしかない。「rebuild」の「re」に込められていた反復の含意はそういうことである。旧エヴァという母体を王道の物語へと焼き直す態度はそうであった。さらに、もともと旧エヴ

  • http://d.hatena.ne.jp/ymitsuno/20090304

  • 猫猫塾

    ・「塾」公式サイトをオープンしました。 2009年度の塾生を募集中です。(2009年1月24日)

  • 2009-02-09 - 青空研究室

    18:29「あたしたちが小さいころ、批評家っていったら、モンのすごく頭がよくって、いろんなことを考えていて——なにしろ、世の中で一番尊敬できる人たちだと思ってたじゃない。それが、今、ゼロアカじゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いてるんだから、あんなもん読む気がしない」 以上は、今月の『ユリイカ』でとうとう特集まで組まれた話題の書『日語が亡びるとき』からの引用である。ただし、引用文中にある「批評家」は原文では「小説家」であり、「ゼロアカ」は「日」である。いずれも、僕が勝手に置き換えた。この水村美苗氏の著書において上のセリフは、「アメリカの著名な大学の先生」である「日女性」の発言として出てくる。 ところで、そもそも僕はどうして「小説家」ではなく「批評家」になりたいなどと思ったのだろうか。批評家になりたいと思ったのは高校生の頃だが、それは、小説なんていうものは「あたしなんかより頭の悪

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    breaststroking 2009/02/10
    水村本および『ユリイカ』の同書特集と絡め、当事者の自己観察
  • ドナルド・キーン何をした - jun-jun1965の日記

    ドナルド・キーンが文化勲章を受章した。しかしこれは、日文学を海外へ紹介した業績によるもので、キーンが日文学研究において何か業績があったからではない。単独で日文学史を書いたというが、それなら小西甚一だってやったし、やろうと思えばやれる優れた国文学者は何人もいる。しかし日の国文学界では、自分の専門の時代以外のことをやったりすると「侵略」などと言われるので書けないだけ。小西は国文学界の異端だったからできただけ。 日文学の英訳にしたって、キーンは谷崎と仲良くしていたわりに、谷崎の長編なんか一つも訳していない。『細雪』を訳したのも、『源氏物語』を訳したのもサイデンスティッカー。実はサイデンのほうが偉い。しかしキーンは社交術に長けているから得をした。若い頃は美青年だったので、年をとってホモッ気の出てきた谷崎先生にもかわいがられた。日では日文化を持ち上げるようなことを言って、米国へ帰ると日

    ドナルド・キーン何をした - jun-jun1965の日記
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    breaststroking 2008/11/12
    このようなエントリが今後も継続して発表されるようであればその際は逡巡することなく「平成の紙つぶて」tagを、おれはこしらえよう。
  • 残雪 | 百年の日々

    昨日は「百年と残雪」。 60名の方が参加してくれました! それだけ残雪について知りたかったのではないか。会場からの質問でもあったが、自分以外の人がどんな風に感じているのか知りたいというもあったのかもしれない。 トークは近藤直子さんが残雪について話し(授業みたいになってしまったと言っていたがわかりやすい導入部だったのでは)、古谷利裕さんがそれについて意見を言う。後半からはデヴィット・リンチと残雪の話しになり、残雪の特異性がより際立った。 質疑応答で残雪の感触が諸星大二郎を思い出すと言っていたお客さんがいて、そういったところをもっと拡げても面白かったが、なにせ時間が足りない。あっという間の2時間30分。 近藤直子さん、古谷利裕さん、来ていただいたお客さん、どうもありがとうございました! じっくりとかつ確かに喋る古谷利裕さん。古谷さんが画を描くときの話しが興味深かった。 いつものように、広報から

    残雪 | 百年の日々
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    breaststroking 2008/10/31
    吉祥寺百年で行われた、残雪をめぐる訳者と古谷利裕のトークの簡単なレポート
  • 続・Chim↑Pom(チン↑ポム)関連 - Übungsplatz〔練習場〕

    ◇ 現代美術談義 - i-morley 広島上空のアート表現について話し合いました。 http://i-morley.com/blog/2008/10/post_15.html http://www.tibetronica.com/i-morley/081025.tng.mp3 モーリー・ロバートソンさん×池田有希子さん。 j0hnさんのブックマーク経由。 ◇ [mixi] 東谷隆司 | 広島の空での出来事に、思ったこと  2008年10月29日 22:44 つまり、今回の件の不快さには、もともとあまりポジティブに受け止めてなかったグループが、「やってしまった」ことに対し、「自分は関わってない」と思う一方で、どこか「アート界」の人間として、自責の念にかられる、というようなところがある。 彼らが「アート界」の埒を出ないで、「アート界内アーティスト」であれば、ここまで問題は顕在化しなかっただろ

    続・Chim↑Pom(チン↑ポム)関連 - Übungsplatz〔練習場〕
  • Cai↑Guo-Qiang(蔡↑國強)に対してChim←Pom(チン←ポム)*2 - Übungsplatz〔練習場〕

    ◇ 無人島プロダクション(日top日、Chim↑Pomより広島市現代美術館での展覧会開催を自粛した旨の報告を受け、 以下のような謝罪文を受け取りました。 ==== このたび僕たちが作品制作のために、広島で行ったことに対し、被爆者の方々、 ご遺族、ご家族、並びにその関係者の皆様に大変不快な思いをさせてしまいましたことを、 深くお詫び致します。 事前に皆様とお話する機会にこだわるべきであったと思っています。 なお、今回開催予定の展覧会は、美術館とも相談し、自粛することに決めました。 展覧会に出品予定でした千羽鶴の制作にご協力いただきました皆様にも、 今回展示ができなくなったことに対し、同時に深くお詫び致します。 皆様と思いをもう一度重ね合わせる努力をした上で、 再度制作に向かいたいと思っています。 Chim↑Pom(チン↑ポム) ==== 今回の広島市現代美術館での展覧会開催の自粛

    Cai↑Guo-Qiang(蔡↑國強)に対してChim←Pom(チン←ポム)*2 - Übungsplatz〔練習場〕
  • 広島 Chim↑Pomの「ピカッ」はダメでも ツァイ・グオチャンの「黒い花火」はOK - webDICE

    Chim↑Pomが21日に広島上空に作品の素材として描いたピカッ。 写真はasahi.comより 原爆ドーム上空に上がった黒い花火=25日午後1時すぎ、広島市中区、青山芳久撮影 asahi.comに 「現代美術を通して世界へ平和を訴えた芸術家に贈られる「ヒロシマ賞」(広島市、朝日新聞社など主催)の第7回受賞者で中国籍の現代美術作家、蔡國強(ツァイ・グオチャン)さん(50)=米国在住=が25日午後、広島市中区の原爆ドーム付近の河岸で黒い花火を打ち上げるプロジェクトを行った。原爆の犠牲者への哀悼と鎮魂の意が込められているといい、約千発の黒煙火薬を使った花火がドーム上空で炸裂(さくれつ)する様子を多くの市民らが見守った」 と報じられた。 現代美術とはなに? 「ピカッ」と「黒い花火」の違いは。 表現の違いはあれど作品が問いかける質は同じでは。 世界で評価されたアーティストの作品はOKで、新進アー

    広島 Chim↑Pomの「ピカッ」はダメでも ツァイ・グオチャンの「黒い花火」はOK - webDICE
  • なぜ、それがアートであるか――Chim↑Pomの『ピカッ』をめぐって - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/knakano/20081024 ⇒http://d.hatena.ne.jp/miminoha/20081026/1224958014 まったく擁護する気も起きなかったしその筋合もないけれど(私は彼らの活動のあまりよい受け手ではない)、miminohaさんの真摯な怒りに応えたく思ったので、ちょっと書いてみます。 個人的には不快に感じます*3が,芸術としての評価は完成まで措きます。Chim↑Pomが「被爆者の気持ちを理解しきれていなかった」と謝罪し,展示を自粛したため期待は薄れましたが,まだ遅くないのでぜひ開き直り,後づけで構わないので謝罪まで含めたアートと言って欲しいところです*4。 作品は未だ制作過程にあり,Chim↑Pom によって撮影された素材すら表に出てはいない段階で,記事と市民の撮影した写真を元に芸術である,と断定している方がとても

    なぜ、それがアートであるか――Chim↑Pomの『ピカッ』をめぐって - 地を這う難破船
  • [10-11月開講]批評(創造)の現在シリーズ+シンポジウム 受講生募集

    各回3人のゲスト講師によるセッション形式のレクチャーシリーズ「批評(創造)の現在」(全4回)が10月より開講されます。現在を組織しつつある、もっとも切れ味のある若手批評家、創作者が登場します。 ※関連企画として、シンポジウム(全2回)を開催します。 [講座案内] 批評(創造)の現在シリーズ 批評・創造の切れ味は、見通しのきかぬ任意の点にあえて立ち止り、なおその地点が含まれるはずの時空の全体を見通し(構築し)、あるいは見通した上でそこに道を開く、つまりは現在という時空を切り裂く鮮やかさにこそ示される。偏見と誹られようと、批評家(創作家と同様に)はこうしたリスクを引き受け率先して、その偏向を代行する。なぜならば批評はいつも、こうした突発性としてしか遂行されえない、一つの事件であるからである。 ■日時/講師 第1回………… 10月21日(火)18:30-21:30 講師=伊藤亜紗/上崎千

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    breaststroking 2008/10/05
    若手批評家を中心としたシンポ
  • そうだ 古谷利裕フェア、やろう。 - m-sakane’s diary

    《最終版》(9月14日) ポニョに会ったら伝えてくれ。 俺は嫁を大事にする男だと。 今日、定屋で「日の定」を頼んだら、さんまと唐揚げとご飯があって、さらにカレーうどんまでついてきた。感動した。うまかった。これ以上ない幸せを感じた。そして今日が俺の人生のピークであると、ごく自然に感ぜられるのであった。 先日、半年ぶりに実家に帰ったら、姪っ子と甥っ子(ようするに双子)が日語ペラペラになっていたのでびっくりした。「これ何?」と問うて「アンパンマンのぼうし」という答えを期待していたら、「それな、朝ガストに行ってお金払ったらくれてん。うしろのつまみ大きくしてかぶりな」って言ってきよった。まだ3歳だかなんだか知らないが、こいつらに年齢を抜かれるのも時間の問題だと、ごく自然に感ぜられるのであった。 そんな実家から早々に引き上げて、延び延びになっていたポニョを観に近所の映画館へ出掛けたらもう終わっ

    そうだ 古谷利裕フェア、やろう。 - m-sakane’s diary
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    breaststroking 2008/10/05
    新宿ジュンク堂が爆発している
  • 円盤のライブ映像を一挙上映!田口史人、吉田アミによる『円盤上映会』9/18開催 - webDICE

    「円盤」の店主・田口史人氏 インディーレーベル「OZdisc」を主宰していた田口史人が2003年にオープンしたお店「円盤」は、特定の営業形態を持たない喫茶店でありCDショップでありイベントスペースである。この特殊な感じは、取り扱っている商品に対しても同じで、「作った人が自分で納品してくれたもの」しか置かない、卸は一切使わない、というこだわりを持つ。形態もジャンルも問わない、何が出てくるのかわからない面白さがあるお店だ。 今回、アップリンク・ファクトリーで『円盤上映会』が開催される。円盤が企画してきた数々のイベント、地方で撮りためてきた未知なるバンドの記録映像を観ながら、店主・田口が解説をおこない、聞き手に前衛家の吉田アミが登場する。そこで、田口史人に円盤や上映会について話を訊いた。 ── なぜ、OZdiscをやめて円盤を始められたのですか? OZdiscという名前が先行するようになって、つ

    円盤のライブ映像を一挙上映!田口史人、吉田アミによる『円盤上映会』9/18開催 - webDICE
  • (一一)これから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読むひとのために ── 亀山郁夫による新訳がいかにひどいか - 連絡船

    1 ここしばらく私は、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がいかにひどいかということを書きつづけています。もしあなたがこれから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読んでみようと考えているなら、この訳でなく、新潮文庫の原卓也訳になさい、と私はいいます。 私の主張はとても簡単です。訳者である亀山郁夫にそもそも『カラマーゾフの兄弟』が全然理解できて・読み取れていないので、彼の翻訳が正しいものであるはずがない、ということです。読解力のない亀山郁夫は、登場人物のひとりひとりを理解することができず、彼らの関係が理解できず、彼らが何をやりとりしているかも理解できないまま、この仕事をしました。 私は「ロシア文学の専門家・研究者」(でないとわからない)レヴェルでの亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』解釈を問題にしているわけじゃありません。私が問題にしているのは、そんな専門家・研究者レヴェルではなく、ご

    (一一)これから初めて『カラマーゾフの兄弟』を読むひとのために ── 亀山郁夫による新訳がいかにひどいか - 連絡船
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    breaststroking 2008/09/26
    亀山カラマーゾフを徹底批判する
  • 〈季語〉の幽霊性について 佐藤雄一

    高浜虚子小論 〈季語〉の幽霊性について ……佐藤雄一 一般的に、高浜虚子(1874-1959)は河東碧梧桐(1873-1937)らによる新傾向俳句に反発し、有季定型を固守したいわゆる「旧守派」の俳人とされている。 もちろん虚子の膨大な句作を概観しただけでも、そのようなイメージに回収されえない例外を見出すことは容易だ。とはいえ、子規の月並批判をおおむね受け継ぎつつ、あえて季語の温存を決意した虚子を、たとえば「季語にとり憑かれた俳人」とみなすことは、さほど不当ではないように思われる。 しかしなぜ季語だったのか。 仁平勝(1949-)は『虚子の近代』において、虚子における季語の使用について〈箒木に影といふものありにけり〉の句を引用しつつ、言及している。 「箒木」は夏の季語であると同時に、『源氏物語』や『新古今和歌集』を想起させる語でもある。緊密な読みの共同体でリファレンスの共有に終始すれば俳句

  • http://d.hatena.ne.jp/hbd/20071220

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    breaststroking 2007/12/21
    沢尻エリカ接触事故についてのアームチェア&実地のディテクティヴ