なんと今回は憲法の話だ。もちろんブログのポリシー通り、本文には一切触れない。 1889年(明治22)2月11日、大日本帝国憲法が発布された。その華やかな式典のウラで、3つの珍事件が起きたことが伝えられている。 ・伊藤博文枢密院議長が、式典で使う憲法原本を官邸に忘れてきた。 ・森有礼文部大臣が式典に来ないと思いきや、なんとその朝に暗殺されていた。 ・憲法の上諭に日付の誤記があった。 こんなドタバタな幕開けでも、憲政はここから130年間続いてきたのだから、世の中なんとかなるものだ。 しかしこの3つのうちでも、憲法上諭誤記事件は、多少あとを引いたためか、諸書でよく取り上げられる。諸書の記述をまとめると事件の顛末は以下のようになる。 ①憲法上諭(前文とされる場合もあるが正確ではない)のうち、「明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履踐シ」とすべき部分を、「十月十四日」と誤記した。 ②式典で天皇が誤記をそのま
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