中絶が違法だった1960年代のフランス。労働者階級に生まれたが、努力を重ねて大学に進学したアンヌは、大切な試験を前に予期せぬ妊娠をしてしまう。第78回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した映画『あのこと』は、中絶が認められていなかった時代の女性の12週間の苦しみを描いた。原作は、ノーベル文学賞を今年受賞した82歳のアニー・エルノーが、自身の経験を元に描いた『事件』だ。「それは堪え難いサスペンス」と語るオードレイ・ディヴァン監督に話を聞いた。 妊娠中絶を真っ向から扱った映画はとても少ない。「中絶」という言葉はいまだタブーの響きがあるし、世界にはまだ法的に中絶が認められていない国が複数ある。 オードレイ・ディヴァン監督による新作は、フランスで「あのこと(中絶)」が認められていなかった60年代、大切な学位試験を前に、予期せぬ妊娠で人生の選択を迫られるヒロインを描いた原作の映画化だ。自らの体験を
(2023年1月20日、一部表現を推敲しました。) 〈白人至上主義者、ナチス、大量銃殺事件、差別など、刺激の強い内容です。必要に応じて読むのをお控えください。〉 アメリカの右派内での反ユダヤ主義的な論調は、ここ数年で勢いを増し続けています。特に(保守)共和党の議員は、"Globalist""International Banks"といった表現で、遠回しにユダヤ人を示唆する、ということをしています。(こうした隠れた差別表現のことを犬笛と呼びます。)ユダヤ系のジョージ・ソロス氏を、社会運動の黒幕だと主張することなどもそうです。ドナルド・トランプでさえこうした発言を行っています。(https://www.heyalma.com/a-list-of-antisemitic-dogwhistles-used-by-donald-trump/) こうした動きは、ナチスなどを敬愛する、オルト・ライト(ほ
Published 2022/12/07 12:54 (JST) Updated 2022/12/07 13:11 (JST) 安倍晋三元首相の国葬を巡り「反対のSNS(交流サイト)発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ている」とツイッターに投稿した三重県の小林貴虎県議(48)について、所属する自民党三重県連が来年4月の統一地方選に向けた一次公認から除外していたことが7日、関係者への取材で分かった。 県連は9月、小林氏を含む現職全員の公認申請を決めたが、10月に小林氏がツイートを投稿すると、差別を助長するとして批判が殺到。辞職勧告決議案が提出された。決議案は1票差で否決されたが、小林氏の公認に反対する意見も多く「党本部への申請まで至らなかった」と判断した。
2021/02/18 最新更新2021/10/05 3月4日の「トランプ大統領就任式」 2021年1月6日の連邦議会襲撃を煽動したQAnon陰謀論は、世界中で大きな注目を浴びている。そのQAnonたちが懲りずに持ち出している話題が、3月4日に「トランプ大統領就任式」があるというものだ。 なぜ3月4日か?その根拠としてQAnonが挙げているのがソブリン市民運動だ。ソブリン市民運動とは、今の政府は法的に正当ではないと考えたり、あるいは一部の社会契約以外は従う必要がない主権(ソブリン)市民であると自称する「無政府主義」運動である。 そのソブリン市民運動がなぜ3月4日に大統領就任式をするという話の元になったかというと、ViceによるとQAnonの物語では1871年に制定された法律が密かに米国を企業に変え、米国政府を廃止した。そして、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が1933年に金本位制を終了し
記事:春秋社 魯迅 書籍情報はこちら 魯迅――親しくて疎い存在 多くの日本の読者にとって、中国近代文学の第一人者である魯迅(1881-1936)は、親しくもあり、また疎い存在でもある。魯迅の著したいくつかの小説(例えば『故郷』)はいまでも日本の中学校や高校の国語教科書に収録されている点からして、誰もが比較的に早い段階からこの文豪に接しているはずだ。しかし他方で、魯迅が人々に――とくに若者に読まれているかというと、おそらく「否」である。魯迅という「他者」は、いったん国語の授業で現れ、また忘れ去られてしまう、そうした存在である。話を「世界文学」のレベルにまで拡げてみても、魯迅を含む中国近代文学が、同時代のフランス文学やドイツ文学を凌ぐ若い読者を獲得しているかというと、やはりそうとはいえない。これはまず、認めなければならない事実である。 もちろん、戦中・戦後において竹内好や丸山昇などの知識人が築
11月中旬のある日、清冽な青空のなか、東京・市谷の防衛省内の急坂を上る元自衛官の姿があった。寺尾克美(86)。 「あの日も秋晴れだったなあ」。短躯だが、がっちりとした厚い胸を張り、青空を見上げた。 45年前のあの日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室で益田兼利総監の身柄を拘束した三島由紀夫=当時(45)=ら5人と自衛官との間で格闘になり9人が負傷、うち6人が入院した。寺尾もその一人だ。三島に銘刀「関の孫六」で腕を一太刀、背中を三太刀斬られ、瀕死の重傷を負った。 事件現場となった総監室は今、「市ケ谷記念館」として残されている。 その総監室のドアに今も残る刀傷を指さしながら、「最初に踏み込んだ自衛官が斬られたときのものだ。総監の机がこのあたりにあった。窓の外のバルコニーで三島さんが演説した」。寺尾は当時の凄惨な記憶が蘇ってくるように話した。 ■ ■ 寺尾は当時、会計課予算班長の3佐で41
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