佐々木俊尚 @ sasakitoshinao 作家・ジャーナリスト。 TABI LABO創業メンバー。メディアとライフスタイルの議論コミュニティLIFE MAKERS主宰。AnyTimes顧問。TOKYO FM「TIMELINE」MC。フジテレビ・ホウドウキョク「あしたのコンパス」アンカー。テレビ東京「未来世紀ジパング」コメンテーター。
靖國神社は明治2年(1869)6月29日、 明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っています。
1万円札の肖像でおなじみの福沢諭吉は、思想家、教育者として明治初期の国造りに大きな足跡を残した。一方、昭和日本のアジア侵略に道を開いたと、厳しく糾弾もされるのだ。 「近代日本最大の精神的指導者」と評される。慶応義塾を設立、ベストセラー作家でもある。 それでも福沢は、NHK大河ドラマの主人公にはならない。同時代の坂本龍馬や西郷隆盛が何度もドラマ化されるのとは対照的だ。司馬遼太郎は、大河ドラマになった歴史小説『花神(かしん)』で、主人公に「福沢のような軽薄才子に言ってきかせてもわからん」とまで言わせている。 福沢は、分かりやすい“英雄”ではない。居合の名人だったが、幕末の動乱期には刀をしまいこんだ。「用心に用心して夜分は決して外に出ず」(『福翁自伝』)という性格。 青春をかけて蘭学(らんがく)を志すが、世界の趨勢(すうせい)は英語であると知ると、オランダ語にこだわる同輩を尻目に、気持ちを切り替
自民党の憲法改正目的は、天賦人権論の否定もふくまれている。PDFで公開された憲法改正草案Q&Aに明記されていた*1。 http://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf 権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。 この天賦人権論をめぐる問題は、片山さつき議員の下記ツイートをきっかけとして話題になった。 ケネディ演説の表現を借用しているが、内容は正反対だ*2。演説全体との細かい差異については、下記のブログがてらしあわせている。 http://tuchizaki.blog24.fc
■2011年04月28日 (11:46 pm) JST ●地獄のサイクル 「歴史を忘れる者は、それを繰り返す羽目になる」という言葉を引用する識者が多いが、実は、この言葉自身が歴史を忘却している。大様な茂木健一郎先生なんかも使っている「名句」だから、あまり目くじらを立てる必要はないかもしれないが、これは、ジョージ・サンタヤナの誤用である。サンタヤナ自身はこんなことを言ってはいないからだ。 サンタヤナ自身が "Reason in Common Sense" (『The Life of Reason』第1巻)のなかで 書いたのは、「過去を記憶できない者は、過去をくり返えさざるをえない」(Those who cannot remember the past are condemned to repeat it )であり、ここで言う「過去」は必ずしも「歴史」のことではない。彼は、原文にあるように、人
自然に生じた吉凶禍福、これを道徳的に解釈するのは、原始民族の恐怖から起こった宗教心の遺伝で、要するに野蛮思想の発露である 造化の大脅威たりし今回の大震災について「◎◎と虚栄とで腐爛せんとした日本を天帝が首府東京を代表せしめて大懲罰を加へたのである」とか「この天誅を肝に銘じて大東京の再造に着手せよ」とか「神様の懲らしめを忘れてはならぬ」とか云った人もあるが、我輩はそれを冷笑に附して居る、自ら省て天罰と信ずる罹災者があるのならば、それも愚昧の仲間であるが、家を失い財を失い父に別れ子に別れ、夫に死なれ妻に死なれた者の中には、悪人も多かつたであらうが、又善人も少なくない、生存者悉くが善人ではなく、罹災者悉くが悪人ではない、然るにそれを一律に天罰なり天佑なりとするのは、自然の不公平を無視する善悪混合の大錯誤で、自然科学を解しない野蛮思想の有害論である 虚業家渋沢栄一が天誅説を唱へたに対し、文士菊地寛
TBSラジオ「Dig」の2010年6月7日(月)放送分でイスラエル・パレスチナ問題が取り上げられ、 http://www.tbsradio.jp/dig/2010/06/post-125.html その番組ハッシュタグ(#dig954)で琉球およびアイヌの話題に発展しました。
韓国における「親日派」とは日本に対して友好的な人々という意味ではない。植民地時代に日本へおもねった人々のこと。Arisan氏もそれは理解しているはずだが、だからこそ説明不足と指摘しておきたい。 親日派問題について - Arisanのノート 別に韓国に限らず、世界でも日本でも、歴史上の不正(暴力)によって得られた富や「私有財産」の保有の権利は尊重されても、その財産が得られた際に他の人々から不当に奪い取られた財産については、奪われた人たちの権利やその被害の大きさが考慮されることなどないのが、今の社会の仕組みである。 なぜ、前者の「財産」や「権利」や「自由」だけが尊重され、後者のそれはまったく無視されるのか。 イギリスなどが「発見」して正当な権利として大英博物館に「展示」されている美術品に対し、エジプト政府が返還を求めたりしていることは、それなりに有名な話だと思っていたが。 ともかく、是正の動き
勝間さんが人気のようですね。本は読んだことないんだけど、テレビや新聞の発言読んでる限り、「住宅ローンの問題」とか「女性の長時間労働」とか「社会保障の不備」とか「保育所の不備」で、私もいつも考えていることとあんまり変わらないし、専門の経済のところでもがんばって欲しいな。 宮本太郎先生との対談では、宮本先生が絶妙に指導していくかんじがおもしろかったかな。ちと抜粋。 http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/k-info/2009/06/post-31.html --------------- 勝間 東京都杉並区の土曜寺子屋は地域の人が運営しています。 宮本 ただ、余剰になった人がすんなり地域に入っていけるかというと、なかなかうまくいっていない部分もあって、堺屋太一さんが以前、「年金兼業型労働」といって、年金である程度経済的なベースを確保しながら、少ない謝礼で地
NEWs保存道場 彼らが最初共産主義者を攻撃したときのコメント欄よりニーメラーの言葉のパロディを引用。 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげ、 「ナチス妄想乙」と書き込んだ。 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげ、 「ナチス調子に乗ってね?」と書き込んだ。 彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげ、 「ナチスウザ杉」と書き込んだ。 彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげ、 「ナチス逝ってよし」と書き込んだ。 そして、彼らが私を攻撃したとき、 私のためにみな「ナチス氏ね」と書き込んだが、何もおこらなかった。 民主主義社会を構成する当事者が当事者として運動せずネットで嘆くだけでは何もおこらない。 民主主義社会の政治的決定には社会の構成員である一人一人に責任がある。 運動を見下し拒絶する者は、民主主義社会を自らの望む方向に動かそうとする意志と力を持つ
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