その正論って必要? 厳しい正論を指摘するに留まるだけで、結局のところで該当者へのモラル・ハラスメントの効用しか及ぼさないような議論を見るとモヤモヤする。実際には一面でしか正しくない事が多いし、嫌な気分だけが残る。例えば居酒屋甲子園のような幻想がないと生きられない人も居るのは事実で、それが良くないことは存分に分かっている。それでも幻想を壊すだけ壊して、受け入れ先も考えずに「後は自己責任」「これが現実」と知らん顔をしているみたいな。 呪詛にしか作用しないことを言ってどうしたいのだろうか。最初から呪詛が目的なら軽蔑ぐらいはする。幻想殺しをするなら、その先を見据えたゴールも考えてほしいのに、その幻想は如何にダメかというロジックにばかりリソースを集中するのはダサいなーって思ってしまう。 北風よりも偏愛という太陽を語り合いたいわけです 要するに「あっちはいかにダメか」というところの正当性に拘るよりも、