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  • 相撲の歴史は意外の連続~1500年前に始まり明治維新で滅びかける

    の国技といえば、やはり相撲でしょう。 法整備のもと「国技です!」と正式認定されてるワケではありませんが、相撲が他のスポーツと一線を画していることは皆様なんとなく感じていることでしょう。 ただし、記事のタイトルにある「1500年の歴史」というのは、さすがに盛っているんだろうなぁ、と思われたかもしれません。 なぜなら、そのころ日は古墳時代。 相撲、あるワケないやん。 なんてツッコミが聞こえてきますが、後述します通り、それぐらいは歴史がある可能性が濃厚です。 奈良時代には豊作を祝うための宮中行事とされ、中世では源頼朝や織田信長にも愛され、江戸時代となると庶民の間でも大人気。 大相撲史上最強では? なんて囁かれる雷電為右衛門(らいでんためえもん)も江戸期に258勝14敗(勝率9割4分8厘)の驚異的な数字を残して今なお伝説になるなど、日歴史と共に歩んできてました。 文政8年(1825年)

    相撲の歴史は意外の連続~1500年前に始まり明治維新で滅びかける
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    bushoojapan 2017/12/30
    相撲の存在自体が問われている昨今、その歴史を振り返ってみるのも意義があるかとm(_ _)m
  • 槍で左胸を突かれた戦国武将は最後の会話をできる?おんな城主直虎考

    そのまま息絶えるかと思いきや、高橋一生さん演ずる政次は、息も絶え絶えに直虎を睨みつけながら、口から血を吐きながら、最期のセリフを絞り出す。 「お前こそが井伊の未来だ! 生き抜け! 家老の俺がいなくとも生き残れ。絶対にやり遂げろ。地獄の底から、見届けるぞ……」 あまりに壮絶なこのシーンに視聴者の多くはボーゼン。 放心して翌月曜日は仕事が全然はかどらなかった――と、私の周囲では溜め息が漏れておりましたが、一人、小憎たらしいばかりに冷静だったのが、その担当編集サンです。 冒頭で述べたように、 「なんで話せるの? 即死じゃないとかファンタジーwww」 とまぁ世の中にはヒネくれ者がおるもんですね。 わかりましたよ。 だったら、担当編集さん、アナタで実践してみましょうか(・∀・) なんて冗談はさておき、ここは医学的見地からあの名シーンを分析してみたいと思います。 今回のテーマは「小野政次の死因を考える

    槍で左胸を突かれた戦国武将は最後の会話をできる?おんな城主直虎考
  • 真珠湾攻撃陰謀説に迫る! その日、東京で起きた密かなスパイ戦とは!? | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    20世紀の歴史に於いて、真珠湾奇襲は屈指のエピソードでしょう。第二次世界大戦の分岐点になっただけでなく、孤立主義志向のアメリカが、世界の警察官を志向する結果をも生み出したのですから。 同時に、大きな謎が残ったままでもあります。参戦を望んでいた当時のルーズベルト政権は、奇襲を知りながらハワイの陸海軍に、わざと警報を怠ったのではないのかとの疑惑がそれです。いわゆる「ルーズベルト陰謀説」。 ウィキペディア日語版 にも真珠湾攻撃の記述で項目があるぐらい。やや長くなりますが、一部を引用させて頂きます。 陰謀論 詳細は「 真珠湾攻撃陰謀説 」を参照 須藤真志 によると真珠湾攻撃及び日米開戦にまつわる陰謀論について、整理すれば次の3つのバージョンとなるという [190] 。 ルーズベルト政権が日の真珠湾攻撃を予測していながら、それをハワイの司令官たちに伝えなかった ルーズベルトが個人的に日の真

    真珠湾攻撃陰謀説に迫る! その日、東京で起きた密かなスパイ戦とは!? | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
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    bushoojapan 2016/12/28
    安倍首相の訪問を機に、あらためて考察してみたく……
  • 又兵衛の首は誰がドコへ?東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み

    ◆戦国武将 後藤又兵衛 最期を示す古文書見つかる NHK 特集ダイジェスト(→link) ◆又兵衛の最期、克明に 大坂夏の陣、豊臣方の書面発見 朝日新聞(→link) ◆最期、詳細に 岡山県立博物館、書付を確認 毎日新聞(→link) 郷「あれ? あれれ? あれれれれ?」 姫「どうしたのよ、いったい。なにキョドってるの?」 郷「いや、この前後藤又兵衛の最期を示す、っていう古文書を取り上げたじゃない? でさあ、ぼくは新聞報道を鵜呑みにして、いろいろ言ってたんだけれどね。今回、何の気なしに文書の写真を取り寄せて読んでみたら、えええっ! ということがでてきたんだ」 姫「あらあらあら。必ず資料を見なけりゃあ、だめじゃない。で、どのへんがヘンなの?」 郷「とりあえず、全文を読み下しにしてみるね。脇差し、脇指し、みたいに字が異なっているのは、原文書になるべく忠実に書いたせいなんだ。というわけで、

    又兵衛の首は誰がドコへ?東大教授・本郷和人の歴史ニュース読み
  • 1941年11月25日午後10時、ワシントンが受けた電報の本当の意味するものとは?【前編】 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    20世紀の歴史に於いて、真珠湾奇襲は屈指のエピソードでしょう。第二次世界大戦の分岐点になっただけでなく、孤立主義志向のアメリカが、世界の警察官を志向する結果をも生み出したのですから。 同時に、大きな謎が残ったままでもあります。参戦を望んでいた当時のルーズベルト政権は、奇襲を知りながらハワイの陸海軍に、わざと警報を怠ったのではないのかとの疑惑がそれです。いわゆる「ルーズベルト陰謀説」。 ウィキペディア日語版 にも真珠湾攻撃の記述で項目があるぐらい。やや長くなりますが、引用させて頂きます。 陰謀論 詳細は「 真珠湾攻撃陰謀説 」を参照 須藤真志 によると真珠湾攻撃及び日米開戦にまつわる陰謀論について、整理すれば次の3つのバージョンとなるという [190] 。 ルーズベルト政権が日の真珠湾攻撃を予測していながら、それをハワイの司令官たちに伝えなかった ルーズベルトが個人的に日の真珠湾攻

    1941年11月25日午後10時、ワシントンが受けた電報の本当の意味するものとは?【前編】 | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
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    bushoojapan 2016/12/08
    未だ根強い真珠湾攻撃の陰謀論。その関連性が高いと思しき重要資料が公開されている!?
  • 2018年大河ドラマ『西郷どん』は第二の『花燃ゆ』になる!? 大河ファンが不安視する幾つかの理由 | 日刊SPA!

    9月8日、2018年の大河ドラマは『西郷どん』に決定したと発表されました。 この年、西郷隆盛が主役になるのは、 ・明治維新150周年の節目 ・ローテーション的にみて、2010年土佐、2015年長州となると、消去法で薩摩 ・熊地震の復興のため、熊が舞台になる作品 と考えてゆけば、ごくごく想定内でした。 ところが、発表直後から大河クラスタには悲痛な空気が漂っています。「吉田松陰の妹」が発表された時よりも、今回の方が体感的にはより酷いようにすら感じます。 それは何故なのか。そしてその前に『西郷どん』は成功するのか占ってみたいと思います。 答えは「大凶」です。 こんなことは言いたくありませんが、我々は目撃することになるのかもしれません。第二の『花燃ゆ』悲劇を。 前述した通り、2018年という明治維新百五十周年の節目に維新の立役者を大河のテーマに選ぶことは、自然なことと言えます。そう、来であれ

    2018年大河ドラマ『西郷どん』は第二の『花燃ゆ』になる!? 大河ファンが不安視する幾つかの理由 | 日刊SPA!
  • 石田三成が関ヶ原の戦いに負けたのは下痢だったから!? 【歴女内科医・まり先生の歴史診察室】 | 日刊SPA!

    ― まり先生の歴史診察室 ― 忍者とメガネをこよなく愛する歴女内科医・馬渕まりが、偉人たちを歴史的状況から診察し医学に基づいてまじめに論じる! ●今回のテーマは「石田三成と下痢」 大河ドラマ『真田丸』で関ヶ原の戦いが一瞬で終わったことが話題になりましたね。 敗戦後、西軍の実質的大将である石田三成は伊吹山中へ落ち延び、数日後に捕らえられますが、実はこの戦いの趨勢に、ある病気が影響したかもしれない――という話をご存知でしょうか? 石田三成は永禄3年(1560年)の近江生まれ。天正2年(1577年)頃から父・兄と共に羽柴秀吉に仕え始めました。 奉公前の三成がまだ寺の小僧だった頃、当時長浜城主である秀吉に3杯のお茶を出した逸話は戦国ファンには大変有名でしょう。鷹狩りでノドが乾いていた秀吉が寺に立ち寄った際、最初はぬるいお茶、次にやや熱いお茶、そして最後に熱いお茶を出し、その細やかな心遣いを買われた

    石田三成が関ヶ原の戦いに負けたのは下痢だったから!? 【歴女内科医・まり先生の歴史診察室】 | 日刊SPA!
  • 『真田丸』感想レビュー第39回「歳月」 ただ崩されるためのジェンガを積む、切なくも幸せな日々だった

    こんばんは。先週の真田昌幸、多忠勝、加藤清正の退場にはかなりの反響があったようです。 中でも「昌幸ロス」はまさに今作最大のもので、もう見る気をなくす人もいるのでは?なんて話もチラホラと。 いいえ、それは違います。昌幸の死は始まりに過ぎません。ここからが、偉大な父の影に隠れていた信繁が活躍するのです。父や兄、周囲のいろいろな人の影から、信繁が踊り出るのはこれからです。 昌幸はここ数年の大河でも屈指の人気人物になったと思います。 ここで考えていただきたいのが、彼はまったく理想の父親とは言えないような、個性が強くてとんでもない危険人物だったということです。大河にせよ朝ドラにせよ、過剰なまでに聖人君子的な父親像を求める傾向を感じますが、そうした傾向へのアンチテーゼといえるのではないでしょうか。 そしてまだ引っ張る50秒関ヶ原問題です。 三谷さん人も、朝日新聞に連載中のコラムで丸一回この解説に費

    『真田丸』感想レビュー第39回「歳月」 ただ崩されるためのジェンガを積む、切なくも幸せな日々だった
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    bushoojapan 2016/10/03
    今回の平穏な日々は、儚く消えていく前触れでしかなく、切ないっす(´・ω・`)
  • 井伊直親の妻にして直政の母でもある【ひよ(しの)】という女性

    女ながらにして地頭(城主)となった井伊直虎。 もともと井伊直親(ドラマおんな城主直虎では三浦春馬さん)という許婚者がおり、来であれば彼と結婚し、井伊家を盛り立てていくハズであった。 しかし、時は戦国、相思相愛の物語など世情が許さない。 井伊家が属する今川家に命を狙われた直親は信州(長野県)へ逃げることとなり、これに悲嘆した直虎が出家。 幼かった2人の淡い恋は露と消えてしまい、そしてそのまま時が平穏に過ぎれば直虎も静かに一生を過ごしたのかもしれない。 が、戦国乱世が再びそれを許さなかった。 直親が逃亡先から帰国し、新たにを娶ったのである――。 直親の・ひよ(ドラマでは“しの”・貫地谷しほりさん)の史実にスポットを当ててみよう。 井伊直虎や直親とは幼馴染だった「おひよ」ひよは奥山朝利の長女であり、奥山家文書にも「おひよ」と記されている。 生年は不明。 小説等では、井伊直虎・井伊直親・小野

    井伊直親の妻にして直政の母でもある【ひよ(しの)】という女性
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    bushoojapan 2016/09/15
    柴咲コウさんと三浦春馬さんの間に入る重要な役どころ・ひよ(しの)とは? ※貫地谷しほりさんが演じます
  • 三成が関ヶ原で負けたのは三成腹のせい?重圧で腹痛や下痢を発症

    慶長5年(1600年)9月15日は、日の戦国大名を東西真っ二つに切り裂いた【関ヶ原の戦い】が起きた日です。 東軍の総大将は徳川家康。 西軍は実質的に石田三成。 総勢20万を超えるともされる空前の規模の戦いであり、驚きだったのは決着スピードもそうでしょう。 これだけの大軍にもかかわらず、戦いはわずか半日で終了し、敗れた三成は伊吹山中へ落ち延び、数日後に捕らえられました。 と、惨めな最期を迎えてしまう西軍ですが、この戦いでは、三成のある病気が趨勢に影響したかもしれない――という要因があります。 今回のテーマは「三成腹(石田三成と下痢)」です。

    三成が関ヶ原で負けたのは三成腹のせい?重圧で腹痛や下痢を発症
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    bushoojapan 2016/09/13
    ご本人のメンタルに影響を与えていた一因はあるかもしれませんね
  • 『真田丸』感想レビュー第34回「挙兵」 家康を激怒させたこの煽り、この直江状、絶品なり

    ◆【高畑裕太容疑者逮捕】高畑容疑者、NHK「真田丸」に出演予定だった…“親子共演”かなわず 淳子さんは引き続き出演(→link) 信繁のも思い込みがキツい!さて、編です。 徳川家康襲撃を企画するも、かえって家康を天下人として覚醒させてしまった石田三成。 しかも謹慎処分となってしまい、踏んだり蹴ったりです。 真田信繁は、それでも自宅で黙々と書類仕事に励む三成の元を訪れ激励します。 三成の・うたは、夫と屋敷で過ごせることが嬉しそうな様子です。この人も出番は少ないものの、その少ない出番で夫婦の情愛をしっとりと表現しています。 そこで信繁は、心の隅に引っかかっていたあることを聞き出しました。 信繁のである春(大谷吉継の娘)には苦労するぞ、と三成が評しましたが、あれはどういうことですか、と。この会話を聞いて、うたは席をはずします。 昔、三成は大谷屋敷を訪れた折、軽い気持ちで筆を春に贈りました

    『真田丸』感想レビュー第34回「挙兵」 家康を激怒させたこの煽り、この直江状、絶品なり
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    bushoojapan 2016/08/29
    関ヶ原に向けていよいよ熱くなって参りました!
  • 江戸時代に1400人もの死者を出した永代橋落下事故がヤバすぎる

    文化四年(1807年)8月19日は、永代橋落下事故が起きた日です。 隅田川の下流にある橋で、現在もまだ残っており、湾岸タワマンエリアの入口に位置するようなところに立っていますね。 非常に鮮やかな夜景にもなっていて、ご存じの方も多いかもしれません。 夜は青くライトアップされていて、美麗な姿で街を彩っています。 そんな橋で、かつて起きた大事故とは一体どんなものだったのか? 事故の話だけでも何ですので、まずは永代橋が架けられたキッカケから見てまいりましょう。 富士山や筑波山なども見えた絶景ポイントだった初代の永代橋は元禄十一年(1698年)、ときの将軍・徳川綱吉の50歳祝いに作られたものでした。 隅田川にかかる橋の中では一番海側にかけられたということで、満潮時の対策などもキッチリ整備。 当時は橋の上から富士山・筑波山・箱根山・房総半島の海を四方に見ることができたそうで、高層建築がない時代でまさに

    江戸時代に1400人もの死者を出した永代橋落下事故がヤバすぎる
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    bushoojapan 2016/08/19
    永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼 という大田南畝さんの狂歌が……
  • 「おとわ」が次郎法師を経て井伊直虎そして祐圓尼になるまで - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    2017年大河ドラマの主人公は「井伊直虎」である。 戦国ファンや同時代のゲーム好きには割とよく知られた名前だが、その一方で主役を演じるのが柴咲コウさんだと聞いて驚かれた方も少なく無いだろう。 直虎って女性なのか!? 答えは、イエス。彼女は幼名を「おとわ」、出家して「次郎法師」と言い、最終的には地元・井伊谷(いいのや)の女地頭になって「井伊直虎」を称する。 一体、直虎という「おんな城主」はどんな人物だったのか? 幼少期の「おとわ」時代から解説していこう。 ※当連載は『おんな城主 直虎』の登場人物にスポットを当て、毎週一人ずつピックアップ! 来年の放送まで約27名を予定しております。 初回は主役の井伊直虎。 虎の目を持つ一族と呼ばれた井伊家の人々 彼女は一体、ドコでいつ生まれたのか? 井伊直虎に限らず、戦国時代の女性は、名前も年齢も分かっていないことが多い。 徳川家康の正室・築山殿ですらそうな

    「おとわ」が次郎法師を経て井伊直虎そして祐圓尼になるまで - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
  • 『真田丸』感想レビュー第29回「異変」 現実世界とリンクする心苦しいリアリティを視聴者も受け入れている!?

    ・春(吉継娘)の挨拶はちょいとピリピリ秀次の死後、政治の中心は伏見に移りました。 信繁は大谷吉継の娘・春を正室として迎えます。 これで徳川の重臣・多忠勝、豊臣の重臣・大谷吉継と姻戚になったと喜ぶ真田家の面々。 このとき信幸が、母・薫の経歴詐称疑惑について切りだします。 昌幸がネタ晴らし。 「菊亭晴季の娘ではなく、菊亭晴季の母に仕えていた侍女だ。武田信玄公にならって公家の娘をに迎えたかったんだが、誰も話に乗ってこなくて、唯一引っかかったのが薫」 アッ、ハイ。まあそんなところですよね。 田舎大名の家臣、しかも三男の嫁に来る京都の公家娘なんて、そんなわけありですよね。 それでもお姫様扱いして綺麗な服を手配する昌幸、なんだ優しいじゃないですか。 名門貴族の侍女なら、教養や気品があるのも納得ですね。 「これしゃべったって薫ちゃんにはバラさないでね、バラしたら俺殺されちゃう」と息子たちに釘を刺

    『真田丸』感想レビュー第29回「異変」 現実世界とリンクする心苦しいリアリティを視聴者も受け入れている!?
  • 直虎紀行 最終巻『そして直虎は眠り、赤鬼が生まれた』 井伊直虎ゆかりの地を歩く - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    故郷を徳川家康に奪われ、さらには三方ヶ原の戦いが起き、今度は武田に全てを奪われた井伊一族。 されど、人生は何が起こるか分からない。 戦国の巨人・信玄が程なくしてその一生を終えると、井伊の地は再び徳川家康のものとなった。 そして、 ───井伊直親が実子、取立不叶。 (井伊直親の息子・直政を取り立てずにはいられない) という家康の一言から後の「井伊の赤鬼」が生まれ、同家の快進撃が始まる。 遠江井伊氏は後に、井伊領25,000石の10倍以上の350,000石を有する近江井伊氏へと変貌を遂げるのであった───。 第23代宗主・井伊直親が掛川で討たれると、当時2歳であった虎松(後の井伊直政)の殺害命令が今川氏真によって発せられた。 ところが、こともあろうに今川庶子家の新野親矩が虎松を井伊谷の新野屋敷に匿ったという。庶子家が宗家の命令を聞かないとは、常識的にはあり得ない話。 井伊直親屋敷(祝田城)があ

    直虎紀行 最終巻『そして直虎は眠り、赤鬼が生まれた』 井伊直虎ゆかりの地を歩く - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
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    bushoojapan 2016/07/20
    そして直政へ
  • 『真田丸』感想レビュー第28回「受難」 不信という黒い渦が豊臣一派を呑み込むとき

    ◆「真田丸」の繰り上げ放送 「見逃した」と悲鳴ツイートが溢れる(→link) ◆真田丸:第27回は視聴率15.1% 参院選で50分繰り上げ放送(→link) 視聴率もワーストを更新しましたが、そのぶんBS先行放送は5%ジャストをキープ。合計すると20.1%となり、さほど落ちていません。 実は、選挙による繰り上げ放送の影響が当の意味で出るのは、繰り上げの翌週です。 一週見逃した視聴者が「まぁいいか、別に続きを見なくとも」と視聴習慣をやめるか、やめないか。その差が出るのが今週の視聴率です。 ここで落ちなければ、作は後半まで数字をキープする可能性が高いと思います。 【TOP画像】 『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』(→amazon) 大谷吉継はハンセン病ではなく皮膚病の一種さて編です。 ストレスのあまり聚楽第から失踪した秀次は、関白の座を放棄。ふらりと大坂城に来てしまいます。 きりに

    『真田丸』感想レビュー第28回「受難」 不信という黒い渦が豊臣一派を呑み込むとき
  • 『信玄の遠江侵攻と死』 おんな城主直虎・ゆかりの地を歩く~直虎紀行 玖の巻 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    元亀3年(1572)10月、武田信玄は、朝倉義景や願寺らに織田信長を包囲させると、自ら指揮をとっての「西上作戦」を決行した。 秋山隊は美濃国へ、山県隊は三河国へ、信玄隊は遠江国へ。 武田の破竹の勢いを聞いた織田信長は、家康に、 ───浜松城を捨て、岡崎城に退くように。 と指示したが、徳川家康は、使者に「頃合いをみて従う」と言って帰した後、家臣に向い、 ───この浜松から撤退するくらいなら、弓を踏み折って武士を辞める。 と言い切った。 家康にとって遠州という土地・人は大事な存在であり、何が何でも守りたいという意志を明確に表示したのであった。 「同年夏秋の頃、武田の大兵、三遠の辺境を侵掠するにより、信長、使を浜松に進らせ、『早く浜松を去て、岡崎へ退かせたまへ』といふ。君、『時宜にしたがはん』と御答有て、後に侍臣に仰られしは、『此浜松を引ほどならば、我、弓矢を踏折て、武夫の道をやめんものを』

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  • 『真田丸』感想レビュー第27回「不信」 恐怖のパワハラ政権は鬱に理解なく人材を平気で使い捨てる

    筆者はッ! 当にネタが尽きた大河を知らないッ! 当にネタが尽きた大河とはこんなもんじゃねえぜ……幕末の動乱かと思っていたら、なんちゃって大奥編が始まり、その新章でも従来通り菓子作りを続けたりするんだぜ……! と、昨年を思い出して錯乱しつつ、そこは主張したいです。 【TOP画像】 『真田丸 完全版ブルーレイ全4巻セット』(→amazon) ドラマ随一の危機察知能力 きりはいずれ大坂の陣で……さて、選挙の影響で繰り上げ放送の今週編です。 拾(後の秀頼)誕生を喜ぶ秀吉。 信繁は、秀吉の命で関白付きになることに。この先の歴史を知っていると到底そうは思えないのですが、劇中でも示されているように、当時の秀次に近づく者は勢いのある勝ち組とされていたようです。 その秀次ですが、彼は疑心暗鬼に陥りつつありました。 秀吉の言動ひとつひとつに怯えているのです。 「拾」という名は、捨て子は丈夫に育つという迷

    『真田丸』感想レビュー第27回「不信」 恐怖のパワハラ政権は鬱に理解なく人材を平気で使い捨てる
  • 現代に甦った「ガチ甲冑合戦 真田丸攻防戦」 リアルな戦いを求める現代武術家たちの激熱を感じよ

    「いざ」という場面で人々の恐怖心理や、そして武器としてはお馴染みの「刀」がまるで役に立たないなど、リアル過ぎるその報告に興味を抱いた人は少なくなかったであろう。 今回は戦闘の舞台を【真田丸】と想定し、鉄砲も用いてのガチ甲冑合戦が行われた。 代表・横山雅始氏のリポートに、再度胸を熱くされたし――。 真田丸の攻防戦とは一体どんな戦闘だったのだろう?真田丸とは、来、大坂城の南に建てられた砦(小さな城という説も)であり、大坂冬の陣で最も激しい局地戦が行われた場所だ。 最近は、大河ドラマのタイトルと勘違いされる方も多いようだが、実際はあくまでイチ砦の俗称であり、大坂冬の陣での戦闘は真田丸を含めた大坂城南側の広域で行われている。 規模や形状、構築された場所など、真田丸の詳細は未だ不明。ただし最近は研究が進み、小高い丘陵の上にあった寺社群を取り込んで建設された“独立した砦”と目されるようにもなっており

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    bushoojapan 2016/07/09
    「一番槍の功名など絵空事といえる」というセリフがなんともリアルなリポートです
  • ヒトラーにアンネの父など……第一次世界大戦屈指の激戦「ソンムの戦い」に参加した意外な顔ぶれとは? | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

    久しぶりの第一次世界大戦ネタです。 去る6月29日は、第一次世界大戦屈指の激戦とされている「ソンムの戦い」から100周年。英国の各紙が特集を組んでいたのですが、その中の1つであるインディペンデント紙が変化球を投じました。 あの激戦に参加し、その後世界的に有名となった歴史上の人物について言及しているのです( 2016年6月29日付け )。 まずは、ウィキペディア日語版より引用。 ソンムの戦い(ソンムのたたかい、Battle of the Somme)は、第一次世界大戦における最大の会戦である。1916年7月1日から同11月19日までフランス北部・ピカルディ地方を流れるソンム河畔の戦線において展開された。連合国側のイギリス軍・フランス軍が同盟国側のドイツ軍に対する大攻勢として開始し、最終的に両軍合わせて100万人以上の損害を出したが、連合国軍はわずかな土地を獲得したにとどまり、ドイツ側は被

    ヒトラーにアンネの父など……第一次世界大戦屈指の激戦「ソンムの戦い」に参加した意外な顔ぶれとは? | BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
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    bushoojapan 2016/07/05
    映画で注目度高まってます?かね……