フレデリック・ハーズバーグ(Herzberg, Frederick ) フレデリック・ハーズバーグ(Herzberg, Frederick ) ハーズバーグ著作リンク一覧 ハーズバーグ著作一覧 Wikipedia ハーズバーグ著作リンク一覧 仕事と人間性(北野利信 訳. 東洋経済新報社, 1968 ① ②) 能率と人間性(北野利信 訳. 東洋経済新報社, 1978 ① ②) ハーズバーグ著作一覧 仕事と人間性 能率と人間性 Wikipedia ja.wikipedia.org にほんブログ村
近代の数学的世界と中世の神学的世界 〜自然ってなんなのだ、というところから始まってると思います 世界の数学化 自然世界の認識 神の作った物理的世界としての自然 気になったら読んで欲しい本 【クライン『数学の文化史』】 【グラント『中世の自然学』/小山宙丸『ヨーロッパ中世の自然観』 近代の数学的世界と中世の神学的世界 〜自然ってなんなのだ、というところから始まってると思います 数学化こそが世界の正しい認識だ、とデカルト以降は思っています。ちょっと前にも似たようなこと書きましたので一応載せておきますね。 https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/03/063019 https://www.waka-rukana.com/entry/2019/07/04/060037 まだ本を記載していた頃なのでタイトルが長いですね(ちょっといそがしくてリンクの貼り直し
デカルト『方法序説』と考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです 考えるための4つの順序 デカルト曰く、あらゆる問題をこの方法で考え尽くせる 証明された正しいものとしての数学 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 デカルト『方法序説』と考える方法 〜デカルト曰く、これですべて考えつくせる、とのことです デカルトは正しいことをどのように考えたのでしょうか。とりあえずヒントは『方法序説』というタイトルにもあります。方法序説って、一体なんの方法なのでしょうか。それは考える方法なのでした。 考えるための4つの順序 デカルトはあらゆるものを疑えると言い、確かなものは疑っている私しかない、とまで考えました。ではその時どうやって考えたのでしょうか。それはー 1.とにかく証明されていて自分で正しいと思われぬものはすべて正しいと認めませんでした。 2.そして考えるべき
社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デュルケームとデカルトはどちらが正しいの? 〜多分どっちも正しく、順序が違うだけ 絶対的な正しさの根拠はどこにあるの? 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』/デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 社会から与えられる認識と疑う態度 〜どちらも間違ってないのかな 懐疑と信用 デカルトが疑ったものには世の中の通念もありました。確かに世の中にまかり通っているウソというものはあるかと思います。またウソではないけど間違っていた、ということもあります。たとえば医学知識が変わって、かつて悪いとされていたものが良い、なんていうのはよく聞く話です(逆もありますね)。しかしこれはウソをついていたわけではありませんし、また古いとされる知識が当時の判断で間違っていたわけでもありません。さらに言うと、じゃあ、今正しいとされている
疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デュルケームの認識の社会起源と疑うべきもの 認識の根拠としての社会と、信用にたらぬ臆見としての社会認識 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【ベーコン『ノヴム・オルガヌム』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 疑うべきものとしての社会認識 〜フランシス・ベーコンの4つのイドラ デカルトはあらゆるものを疑いましたが、その中には当然自分たちが常識と思っているものも含まれていました。デカルトと共に近代(もしくは近世)哲学の祖と言われるフランシス・ベーコンという人がいますが、この人は物事を正しく認識するためには避けなければいけない臆見(偏見みたいなもの)があるとして、それを4つにわけています。それが種族のイドラ、洞窟のイドラ、市場のイドラ、劇場のイドラです(イドラとは臆見のことです。ベーコンはそう呼んだんで
自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に あらゆる価値観を疑ったデカルト 物事を認識するのはこの私(=自我)において他にない 個々として決定的に違う存在としての自我 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 自我の発見と個別化される人間 〜デカルトの疑問と共に デカルト以前は人間の認識能力も神から与えられていました。何故なら神はすべての創造主なので、人間の諸能力も神によって作られているからです(多分)。それをデカルトは人間の中に変更しました。その根拠が我、すなわち自我というわけですね。 ですが何故このようなことをデカルトは考えたのでしょうか。または考えなくてはいけなかったのでしょうか。 あらゆる価値観を疑ったデカルト それはデカルトがあらゆる価値観を疑ったからです。デカルトは当時最高の大学に学び、しかも大秀才だったデカルトは当時教わることの出来たすべての学問を修めま
まとめ8 命令と言葉の規則との関係と、抵抗すべき論理と言質 このまとめの要旨 書いたもの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ8 命令と言葉の規則との関係と、抵抗すべき論理と言質 このまとめの要旨 命令に従うことによって色々と問題も起こってきそうだけど、やっぱり権力関係の中にいれば命令は従わなくちゃいけないかもしれない。けどそんな命令も言葉によってなされるわけで、言葉の規則を知ったり利用することによって対処することもあるかも、というようなお話のまとめ。 書いたもの一覧 www.waka-rukana.com アウシュビッツに従事したアイヒマンが、なぜそんな残虐なことが出来たのか、と裁判で問われ、命令だったから、と応えた、という話から、盲目的に命令に従うことの問題について書いてみた、ーそんなお話。 www.waka-rukana.com 命令に従うこ
社会からの認識の問題と、それに対する自我 〜まずはデカルト 社会の価値観と危険性 デカルトと自我と疑うべきあらゆるもの 気になったら読んで欲しい本 【デカルト『方法序説』】 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 【トマス・アクィナス『神学大全』】 社会からの認識の問題と、それに対する自我 〜まずはデカルト 社会の価値観と危険性 デュルケームの言う通り人間の認識が社会(集合表象)から与えられるのだとすれば、色々と問題が出てきそうです。社会(もしくは世の中と言った方がいいのかな)から価値観を与えられて正しいものだと思っていても、間違っているということなどしょっちゅうありそうです。 たとえば世の中で誰かを犯罪者に仕立て上げてしまった時、事実として間違っていても世論が沸騰していれば違うと言いにくいかもしれません。また別に犯罪でもないスキャンダルで苛烈に指弾されているのを塗りかえようとするのも至難
人間の認識の根源としての社会 〜集合表象っていいます 社会学的な宗教の在り方と社会の在り方 人間の認識は社会(集合表象)から与えられる 私たちの価値観もまた世の中によって形作られている? 内と外の価値観の正統性と異端 気になったら読んで欲しい本 【デュルケーム『宗教生活の原初形態』】 人間の認識の根源としての社会 〜集合表象っていいます 社会学的な宗教の在り方と社会の在り方 こうしたデュルケームの考え方は宗教を対象として生まれましたが、なんだか社会そのものの在り方とも似ているようにも思えてきます。別段特定の宗教を信じていなくても、同じように集合表象があってそこにある価値観などを当たり前のものとして受け入れている気もしますからね。となると、宗教も社会の一部、と考えられるかもしれません(まぁ社会学者が考えるんだから、そうなるのも当たり前かもしれませんが)。 人間の認識は社会(集合表象)から与え
まとめ7 他者とは異なる規則を持つ者 このまとめの要旨 書いたもの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ7 他者とは異なる規則を持つ者 このまとめの要旨 他者=自分と異なる規則によって生きる存在をもとにして、様々な問題について書いてみたもののまとめ。 書いたもの一覧 www.waka-rukana.com 自分と異なる規則によって生きている存在を他者として説明したもの、ーを紹介して書いてみたお話。 www.waka-rukana.com 他者性を無視したところに現れてくる問題の在り方をセクハラを例にして書いてみたもの、ーのお話。 www.waka-rukana.com セクハラのみならず様々な問題も他者性の欠如によって起こっているのではないか、ーというようなお話。 にほんブログ村
知られたものと知られていないもの 〜でも、それと中身は一緒じゃないかも 立場を超える普遍的価値観のある大思想 普遍思想はどこにある? ユーラシア大陸産の普遍思想 特殊地域と独自性 気になったら読んで欲しい本 【トッド『新ヨーロッパ大全』】 知られたものと知られていないもの 〜でも、それと中身は一緒じゃないかも 立場を超える普遍的価値観のある大思想 人が集まればまとめるために決定権を持つ人間が現れて政治が成り立つ、ととりあえず考えてみるとして、でもその一人だけでみんな決めてしまわれたら周りも困ることがあるよ、という異議申し立ても現れてくるんじゃないかな、とも考えてみました。そこでこうした対立関係があると仮定してみまして、上でもなく下でもないような、みんなひっくるめて考えていけるものとして普遍的な思想、というものがあるかもしれない、ともまた考えてみましょう。 普遍思想はどこにある? こうした思
偉い事と学びと拒絶 〜次の時代の日本の態度は…? 偉いことと他を拒絶すること 過ぎ去っていく偉大さ 学ぶことに強みのある日本 偉いことによって失敗しないために 【アドラー,チャールズ『本を読む本』】 偉い事と学びと拒絶 〜次の時代の日本の態度は…? 偉いことと他を拒絶すること 日本を偉いと思って何故悪い、と思われるかもしれません。別に偉いのはそれでいいのです。しかし偉いと思うことによって、他の利点を学ぶことを忘れてしまってはいけない、ということなのです。 中国が近代化に遅れヨーロッパに敗れてしまったのは、まさに中国が偉いからでした。 https://www.waka-rukana.com/entry/2019/08/06/193019 そして、事実中国は偉いのです。北京五輪で非難の的になりましたが、オープニングセレモニーで文明の発祥はすべて中国みたいに演出しても、そういって押し切れないこと
日本の偉さと原理原則 〜自己把握と基準による次の一手へ 日本とはなんぞや、という切実性 日本賛美の問題点とは? 優れている点については問題ない 理由の不明瞭な偉さは問題がある 優れている原理原則を探り確立すること 【加藤周一『雑種文化』/三島由紀夫『文化防衛論』】 日本の偉さと原理原則 〜自己把握と基準による次の一手へ そんなわけで私が日本の文化について書いていることは、加藤周一たちの述べていることを質を下げて水を薄めてお話ししているだけに過ぎないのですが、出来ればちゃんとそれぞれの本を目にしてくれたらなぁ、と、僭越ながら望んでいたりします。私の目的はそうした本を読んでもらえるような誘い水になれれば、ということなのですが、それは読んだ方々の決めることですからなんともしようがありませんね。そもそも誘い出せるほど魅力的なことが書けているかもわかりませんしね。 日本とはなんぞや、という切実性 と
まとめ4 難しい問題をわかるための方法とは このまとめの要旨 書いたもの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ4 難しい問題をわかるための方法とは このまとめの要旨 難しい内容を理解するというこ自体が難しいのであって、それがどうして起こってくるか、またどうすれば出来る限り正確に伝えられることが出来るのか、といったお話のまとめ。 書いたもの一覧 www.waka-rukana.com マルクスの考えは大変難しいけど、そのためもあってかマルクスの考えを受け継ごうとした人はマルクスとはちょっと違ったものとして考えていることもあるようで、マルクスは、私はマルクス主義者ではない、と言ったらしく、このズレは他の場合にも起こってきそうだなぁ、ーというようなお話。 www.waka-rukana.com そして難しい内容であればあるほど伝えられる情報はズレていくだ
日本の取り入れと中国の拒絶 〜中国はあまりに偉大だったから衰退した? 外国文化と日本文化 自家薬籠中のものとする 超大国からやってくるものをずっと取り入れている日本 あまりに偉大で自足している中国 文化としての中国 偉大すぎて取り入れるのがちょっと苦手な中国 参考となる本 【橋爪大三郎,大澤真幸,宮台真司『おどろきの中国』】 【橋爪大三郎,大澤真幸『げんきな日本論』】 【ウェーバー『儒教と道教』】 日本の取り入れと中国の拒絶 〜中国はあまりに偉大だったから衰退した? 手塚治虫とアニメの関係をお話ししていたのですが、どんどん話がズレていってしまいました。いつのまにか富野由悠季の話にまでなってしまって…え〜と、なんだったっけな。そうそう、もとは日本の文化の話をしていたんでしたっけ。 外国文化と日本文化 アニメや漫画が日本文化化したのは、過去の日本文化からアニメや漫画を説明し、意味づけていったか
まとめ3 コミュニケーションと齟齬の関係とは このまとめの要旨 書いたもの一覧 現在時間がなくリンク切れのままとなっております。申し訳ありません。 まとめ3 コミュニケーションと齟齬の関係とは このまとめの要旨 人が人に何かを伝えようとするとどうしてもズレや齟齬が起こってくるように見えますし、またそれが拡大すれば拡大するほど落差も広がっていくように思えるけど、それがどうして起こるのか、またどうすれば対処出来るのか、といったことを考えてみたお話のまとめ。 書いたもの一覧 www.waka-rukana.com マルクスは自分はマルクス主義者ではない、と言ったそうですが、このようにもとの考えとなるものに対してその当の本人から見て違うと思われるものが正統として受け継がれていく、ということはなんだか不思議ですね、ーというお話のはじめ。 www.waka-rukana.com 案外人から教わるという
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日本文化の原点 ~超大国のお隣さん 超大国中国 超大国中国のお隣さんとしての日本 超大国の影響下の日本と、自国文化への取り入れの熱心さ 完全一致の同化を避け、独自性を残す日本というお国柄 参考となる本 【福田和也『オバはん編集長でもわかる世界のオキテ』】 日本文化の原点 ~超大国のお隣さん 福沢諭吉の猛勉強ぶりはわかりましたが、これは単に昔の日本人は偉かった、というだけなのか、日本独特の文化として偉いのか、ちょっとわかりかねますね。そのお話を少ししてみましょう。 超大国中国 日本はお隣に中国があります。昨今評判が悪いことこの上ないですが、古代から今日まで超大国であったことは変わりありません。むしろ低迷していたのはヨーロッパが世界化した一時期だけであって、着々とヨーロッパから学んでいった中国はとうとうもとの地位に返り咲くだけの力を蓄えたのかもしれません。 超大国中国のお隣さんとしての日本 中
昔の日本の外国語習得の様子 福沢諭吉による時代との直面 緒方洪庵の適塾での外国語習得の様子 とにかくなんでも徹底して読み、一度徹底して読めば他の語学は楽になる 文字通りの寝食を忘れた学習 余談:手塚良庵と剣の達人としての福沢諭吉と母 参考となる本 【福翁自伝】 【手塚治虫『陽だまりの樹』】 【福田和也『超・偉人伝』】 昔の日本の外国語習得の様子 渡部昇一が模範としたような文法の水準からの外国語理解、というものはどのようなものでしょうか。実はこれもちゃんと昔の本に書かれていたりします。 福沢諭吉による時代との直面 それはかの有名な福沢諭吉の自伝にあります。福沢諭吉は幕末に日本の外に中国やインドを越えた、未知の世界であるヨーロッパが存在することを知った人です。幕末人の衝撃ですね。 この衝撃は現代の我々からすると、今さら教えられるほどのこともないような気がします。散々映画ドラマに再現VTRと見さ
日本語もまた外国語のように鍛える しゃべれるだけの馬鹿は困る? 母国語の水準 日常会話と話芸の違い 〜同じ日本語でもレベルが違う 日本語としての現代語や古典語 鍛えられるべき母国語 母国語と思索と社会 【渡部昇一『渡部昇一小論集成』】 日本語もまた外国語のように鍛える しゃべれるだけの馬鹿は困る? 渡部昇一が述べていることは、極端にすれば喋れるだけの馬鹿では困る、といえないこともありません。これは英語を代表とする外国語だと喋れるだけで理知的に見えてしまうのですが、母国語である日本語に当てはめて考えてみればごくごく普通の主張であるかと思います。しかし当たり前に喋れる日本語ではそのようなことを意識せず、わざわざ学ばなければならない英語であれば喋れるだけで評価してしまう錯覚を生んでしまうことにもなります。 母国語の水準 私たちは誰しも母国語を自然に操りますが、その母国語の水準についてはあまり考え
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