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DANROに関するcafe_petitのブックマーク (35)

  • 50歳でテレビ局を辞めた「フリーライター」どうやって稼いでいるか? | DANRO

    50歳になった瞬間、テレビ朝日を辞めてフリーライターになった鎮目博道さん。フリーになった後、どのような仕事で生計を立てているのでしょうか。仕事の内容や仕事にかける思いなどを聞きました。 【インタビュー前編】年収1500万円以上の「テレビ局プロデューサー」が50歳でフリーライターに転身した理由 メインはテレビ関連の記事 ──2019年7月に50歳でテレビ朝日を退職した後は、どんな仕事をしているのですか? 「シーズメディア」という屋号でフリーランスとして活動を始めました。仕事としては、ずっとやりたかった「ライターの仕事」、それから「テレビマンとしての仕事」と「企業系の仕事」の大きく3の柱があります。 ──まず、ライターの仕事について教えてください。どんな媒体にどんな記事を書いているんですか? 現在は「東洋経済オンライン」と「夕刊フジ」で連載をもっていて、不定期で「プレジデントオンライン」「週

    50歳でテレビ局を辞めた「フリーライター」どうやって稼いでいるか? | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/12/26
    とても面白かった。鎮目さんAbema辞めたの知らなかった!
  • 「満足なブタでいるよりも不満足な人間でいたい」台湾で「年収60万円」生活の大原扁理さん | DANRO

    社会と距離を置き、少しだけ働いて、なるべく出費を抑える生活を楽しむーー。ライターの大原扁理(おおはら・へんり)さんは、そんなミニマムなライフスタイルを「隠居」と呼び、10年近く実践してきました。 週に2日だけ働き、年収90万円で生きる。そんな隠居生活を6年間、東京で送ったのち、台湾移住。今度は1カ月働いたら2カ月休むというスタイルの「年収60万円」生活に切り替え、3年半が過ぎました。 そんな日々をまとめたが『いま、台湾で隠居してます』(K&Bパブリッシャーズ)として、12月に出版されました。現在は「コロナ禍」で一時帰国している大原さんに話を聞きました。 いずれ台湾での隠居生活を再開させたいという大原さん。台湾の人たちには、外国人や性的少数者、障害者といったマイノリティ(少数派)を「いつかは自分も当事者」と受け入れる寛容さがあると見ています。 「台湾には人間関係のグラデーションがあった」

    「満足なブタでいるよりも不満足な人間でいたい」台湾で「年収60万円」生活の大原扁理さん | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/12/23
    おもしろかった
  • 「クリぼっち」も寂しくない! コロナで様変わり「クリスマス」のフードビジネス | DANRO

    冬至を過ぎれば、クリスマス、お正月とイベントがめじろ押し。フードビジネスも稼ぎどきです。が、今年の年末年始は例年とがらり変わって、「出かけない」「帰省しない」で過ごすことが主流となりそうです。 実際、楽天インサイトがアンケート調査した「クリスマスの過ごし方」をみると、「パートナーや恋人と過ごす」という回答が6割超えで、昨年の数字を4.6ポイント上回っています。その過ごし方については「(パートナーも含めて)家族とクリスマスランチやディナーをべる」という回答が4割を占め、多数派となっています。 外チェーンも「自粛モード」のクリスマス カレンダーを見ても、クリスマスイブの12月24日が木曜日で、前後も平日となっています。すこし盛り上がりに欠ける曜日並びで、街に出てワイワイ楽しむようなムードではありません。 そこで、コンビニや外チェーンは、いち早く「おうちクリスマス」を謳い、それに対応する商

    「クリぼっち」も寂しくない! コロナで様変わり「クリスマス」のフードビジネス | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/12/23
    たしかに、おせちカタログの2人用って一人一段になってるやつあるよね
  • ぼくが毎月の3分の1を「沖縄」で過ごすワケ(沖縄・東京二拠点日記 1) | DANRO

    大好きな沖縄と東京で二拠点生活がしてみたいと思い立ったのは、今から10年ちょっと前のことだ。半年ぐらいさがしまわり、築40年の老朽化したマンションを見つけた。那覇市の国際通りにほど近い高台。そこを地元の若手建築家集団にリノベしてもらい、仕事場をこしらえた。それから毎月一人で那覇に行って、一週間ぐらい過ごして、また一人で沖縄を離れる生活が始まった。沖縄のあらゆることを楽しみ、沖縄で取材もして、こもって原稿を書き、目の前で起きるいろいろな問題に直面して悩む。そんな日々の生活を日記風に書きつづって、随時お届けしたいと思います。 沖縄のノンフィクションを初めて出すことになった 【2018年6月某日】 急遽那覇へ東京から飛ぶ。空港からタクシー乗り場に出ると、いつものムワっとした湿気に包まれて、顔が濡れたような感覚になる。かれこれ200回以上は来ていると思うけれど、このムワっを空港で感じると、ああ沖縄

    ぼくが毎月の3分の1を「沖縄」で過ごすワケ(沖縄・東京二拠点日記 1) | DANRO
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    cafe_petit 2020/12/19
    おもしろい〜
  • 金箔コーヒーで「バブル時代」を味わいたい 名古屋で飲んだ1800円の贅沢 | DANRO

    金箔をたっぷり浮かべたコーヒーを飲む。そんな贅沢が、愛知県名古屋市の喫茶店で体験できます。出張のついでに、バブルの味をかみしめてきました。 思えば好景気に沸いた「バブル時代」は、筆者のなかで金箔と結びついています。あれは、1980年代のなかごろ。小学校低学年だった筆者は、テレビのバラエティ番組で、海苔の代わりに金箔を使った巻き寿司を出すお寿司屋さんが紹介されるのを観たのです。 男性タレントが金箔寿司を美味しそうにべるさまは、同じころに見たドラマ『西遊記』(再放送)ともリンクしました。そこに登場した妖怪・金角が金の塊にかぶりつく場面と結びつき、「金をべる」という強烈なイメージとなって脳裏に焼きつきました。 「ボクも大人になったら金をべるんだろうな」。いつしか自分のなかで、大人とは金箔をべる人だという認識になっていました。 しかし、90年代初頭にバブル景気は崩壊します。「失われた20年

    金箔コーヒーで「バブル時代」を味わいたい 名古屋で飲んだ1800円の贅沢 | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/12/19
    す、すごい
  • 【WORK】「みんなより早く逃げた」負い目を感じて生きてきたリアリスト(私と東大駒場寮 5) | DANRO - TOMOKO OOSUKI

    西さんが暮らしていた東大駒場寮の部屋 「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第5回目がUPされました。 これは、旧「DANRO」掲載記事の再UPです。 danro.bar 2001年に部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は会社員をしながら、週末に中小企業診断士として活動する、西優(にし・まさる)さんのインタビューです。 特定商取引法に基づく表記

    【WORK】「みんなより早く逃げた」負い目を感じて生きてきたリアリスト(私と東大駒場寮 5) | DANRO - TOMOKO OOSUKI
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/12/04
    2001年に部屋の写真を撮らせてくれた元寮生のひとりで、現在は会社員をしながら、週末に中小企業診断士として活動する、西優(にし・まさる)さんのインタビューです。
  • 小さな箱にかわいいデザイン、300個以上あつめた「広告マッチ」の世界(マッチを集める 1) | DANRO

    小さな箱にかわいいデザイン、300個以上あつめた「広告マッチ」の世界(マッチを集める 1) 私は、マッチを集めている。正確に言えば、コレクションしているのはマッチそのものではなく、容れ物である「マッチ箱」だ。 マッチ箱は、小さい面の中にデザインの工夫があって、かわいい。それが魅力の一つだ。集め始めたのは、高校生の頃からなので、もう25年くらい集めていることになる。今、持っている個数は、自分でもよくわからない。 300個まで数えていたが、それ以上は数えていない。逆に言えば、300個以上のマッチが我が家にあるということだ。 こんなマッチを集めています 冒頭の写真は、特に気に入ったマッチを入れている箱である。野球で言うと一軍だ(何かと戦うわけではないが)。 そんなエース級の選手の中から、一部をご紹介しよう。 こちらは、東京・六木のインド料理店「MOTI」のマッチ(左上)と、東京・新宿のロシア

    小さな箱にかわいいデザイン、300個以上あつめた「広告マッチ」の世界(マッチを集める 1) | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/30
    DANROで新連載がはじまりました!どうぞよろしくお願いいたします。
  • 【新連載のおしらせ】今日からDANROでマッチ集めの連載がはじまりました。 - TOMOKO OOSUKI

    集めたマッチを入れている、私の「マッチ箱」 今日からDANROでマッチ集めの連載がはじまりました。月1連載です。どうぞよろしくお願いいたします。 小さな箱にかわいいデザイン、300個以上あつめた「広告マッチ」の世界(マッチを集める 1) | DANRO https://danro.bar/20113001/ danro.bar DANROは「ひとりを楽しむ」をコンセプトにしたWEBメディアです。 danro.bar 特定商取引法に基づく表記

    【新連載のおしらせ】今日からDANROでマッチ集めの連載がはじまりました。 - TOMOKO OOSUKI
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/30
    DANROで新連載がはじまりました!どうぞよろしくお願いいたします。
  • 男がひとりで「編み物」をすると何が変わるのか? | DANRO

    これから編み物の話をするけれど、語っているのは「編み物」についてではない。 「差別」とか「偏見」につながる私の頭の中の話である。 あなたの頭の中の話でもある。 編み物で「ある実験」をしてみた 私は編み物の仕事をしている。 「編み物」とは、あなたのおばあちゃんやお母さんが編んでいたかもしれない、 マフラーとかセーターを編む、あの編み物である。 ワークショップやイベントで編み物の楽しさを伝えたり、関連企業へアドバイスしたりなど、「編み物」にまつわる様々な局面での仕事を、私はしているのだ。 以前の話になるが、「男性の私が街に出て一人で編み物をしていたら周りはどんな反応をするだろうか」と思って、ホテルのロビーやカフェ、公園などで実験をしたことがある。 編み物はなかなか良い「ひとり時間」の過ごし方としておすすめであるが、家から飛び出して外で編んでみたらどうなるのだろう、と思ったのだ。 感覚的にはここ

    男がひとりで「編み物」をすると何が変わるのか? | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/15
    「面白いことに、集中して編んでいるとき、ジェンダーバイアスは無くなるのである。」おもしろかった
  • 【WORK】「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 - TOMOKO OOSUKI

    東大駒場寮 1Fにあったトイレ 「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 danro.bar 東大生じゃないのに、なぜか駒場寮に住んでいたという、ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんのお話です。 これは、旧「DANRO」掲載記事の再UPです。 中川さんの話の中では、「人に会うこととに会うことは一緒だと思います。」という言葉が、私にとっては驚きで、興味深いものでした。 私にとっては、「人に会う(人と出会う)」ことと「を読む(と出会う)」ことは、全然違うことだったので… 「に『会う』」っていう考え方をしたことがなかったし… でも、中川さんに、この話を聞いたあと、「を読むことも、人との出会いなのかな??」と思うようになって、の読み方が変わった気がします。 特定商取引法に基づく表記

    【WORK】「DANRO」連載「私と東大駒場寮」の第4回目がUPされました。 - TOMOKO OOSUKI
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/08
    書いた記事の紹介と、中川さんにお話を聞いて思ったことを書きました。
  • 東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にかつて存在し、2001年に取り壊された「駒場寮」。私はその寮を撮った写真集の再制作を、2011年の冬から始めていた。 2015年2月、ネットニュース編集者・PRプランナーの中川淳一郎さんから、突然メールが届いた。そのメールは、なんと「東大生ではないのに、駒場寮に2年間住んでいた。駒場寮廃寮反対運動にもちょっとだけ関わっていた」という、驚くベき内容のものだった。 今回は、中川さんと駒場寮の関わりを改めて詳しくうかがった。中川さん提供の寮の写真を交えながら紹介する。 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように ――中川さんは、大学が一橋大ですよね? なぜ東大の駒場寮に関わることになったのでしょうか。 中川:初めて駒場寮に行ったのは、大学に合格した直後です。大学受験のために通っていた予備校の講師だったAさんという人が、駒場寮の北寮9Bの部屋、「基

    東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/07
    【WORK】DANROの駒場寮連載、過去記事の中川さんの回が再UPされました。
  • 大都市のすぐそばにある無名の町「枇杷島」を歩いてみた(地味町ひとり散歩 2)  | DANRO

    僕のライブ活動歴は約40年。全国各地に行ったことがありますが、なかでも名古屋は、僕の住む埼玉から東京以外で一番近い大都市なのでツアーも組まれやすく、おそらく今までに100回近くは訪れています。 しかし、JR名古屋駅のひとつ先の各駅停車の駅「枇杷島(びわじま)」は、駅名表示板で名前はよく見ていたものの、一度も訪れたことがない地味町です。 地図を見ると、歩ける距離で名鉄の東枇杷島駅、西枇杷島駅、そしてJRの枇杷島駅があります。ここを巡って枇杷島をセーハしようというのが今回の企画です。 奇妙な名前の動物病院 さっそく最初の駅、名鉄の東枇杷島に到着しました。大名古屋に隣接してるとは思えない、ごく普通の住宅地です。この路地を歩いてみます。 まず見つけたのが「まんまる動物病院」。 これは「まんまる・動物病院」ならなんてことないペット病院の名前ですが、もしかしたら「まんまる動物・病院」かもしれない。 つ

    大都市のすぐそばにある無名の町「枇杷島」を歩いてみた(地味町ひとり散歩 2)  | DANRO
    cafe_petit
    cafe_petit 2020/11/05
    おもしろかった
  • 駒場寮には変な人がいっぱいいた「世界は広いな」(私と東大駒場寮 8) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にかつて存在していた「駒場寮」。学生の自治寮として運営されていたが、2001年に大学当局によって取り壊された。連載の第1回に書いたように、当時美大生だった私は、卒業制作として駒場寮の「写真&インタビュー集」を作った。それから約20年たった今、過去に撮影した写真を整理して、再び作品化しようとしている。 同時に、2001年にインタビューした元寮生を一人一人訪ね歩いて、駒場寮とはいったいなんだったのか振り返ってもらっている。今回は、寮委員長を務めた経験を持つ元寮生で、現在は商社に勤める多賀谷鉄平(たがや・てっぺい)さん(41)を訪ねた。 駒場寮に一目惚れ「入らない理由がなかった」 ――大学時代に一度聞いているんですが、改めて、駒場寮に入った理由や経緯などを教えてください。私からすると、多賀谷さんは他の寮生と違って、経済的な理由がないように思えたんですけど…

    駒場寮には変な人がいっぱいいた「世界は広いな」(私と東大駒場寮 8) | DANRO
  • 「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2) | DANRO

    東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にあった「駒場寮」。2001年に取り壊されたその寮を撮った写真集の再制作にあたって、当時写真を撮らせてくれた元寮生たちに話を聞いている。 ※写真集制作の経緯については、第1回の記事をご覧いただきたい。 今回は卒業後に毎日新聞の記者になった酒造唯(しゅぞう・ゆい)さんを訪ね、インタビューした。 今回は、「駒場寮での生活は、現在の仕事にかなり影響を及ぼしている」という酒造さんの近況を、酒造さんがかつて暮らした部屋の写真を交えながら紹介したい。 いまは科学記者「お上の言うことに唯々諾々と従えなかった」 ――いまはどんな仕事をしているんですか。 酒造:毎日新聞社で科学記者をしてます(2019年7月時点)。原発の取材が長いですね。大学での専攻とは直接は関係ないんですが、新聞社に入って2つめの任地が、中国電力の島根原発がある島根県だったんです。原発があれば地域が

    「寮生は次第に孤立していった」毎日新聞記者になった元寮生(私と東大駒場寮 2) | DANRO
  • 取り壊しが決まった寮に住み続ける学生たち(私と東大駒場寮 1) | DANRO

    東京大学の主に1、2年生が通う駒場キャンパス(東京都目黒区)。そこにかつて、駒場寮という学生寮が存在した。1935年(昭和10年)の竣工で、設計は東大の象徴として有名な安田講堂と同じ内田祥三。建築から約60年後、廃寮・取り壊しをめぐり、大学側と寮生が激しく争う事態となったが、2001年8月22日、裁判所の強制執行によりその歴史に幕を閉じた。 私は東大卒ではなく、武蔵野美術大学の出身である。当時、ひょんなきっかけから、大学の卒業制作として、東大駒場寮の「写真&インタビュー集」を作成することになった。そのことが未だに残る呪いの元になるとは、思いもしなかった。 駒場寮の「写真集」を封印する 駒場寮が廃寮となった翌年の1月、私は東大駒場寮の写真と寮生のインタビューをまとめた手製写真集を完成させ、卒業制作展で写真や動画とともに展示した。 そのあと、1000枚以上の写真とネガ、動画が私の元に残ったが、

    取り壊しが決まった寮に住み続ける学生たち(私と東大駒場寮 1) | DANRO