自作の小屋で、低コストな生活を実践する高村友也さん。これまで小屋暮らしをしながら様々な著書も出版してきたが、そんな暮らしの中で体が悲鳴をあげたことがあったという。何が起こったのか、次のように明かす。
職場でも友人同士でも、 なかなか「本音が言えない」という人も多いだろう。 一方、テレビでもどこでも「本音」で語るのが、 先日『本音で生きる』を刊行した堀江貴文氏だ。 いつでも「本音」で語り、 やりたいことを凄い勢いで成し遂げてきたホリエモン氏に、 その生き方について聞いた。 本音で生きるために必要なことは、3つあると思っている。 1つは、「言い訳」しないこと 2つめは、「バランス」をとろうとしないこと 3つめは、「自意識」と「プライド」を捨てること 少し概要を述べてみたい。 ■「言い訳」をやめる 本音で生きるために、まずやるべきは、 「言い訳をしない」ということである。 僕はメルマガを含め、 人から相談を受けることも多いが、 せっかく答えても、 「でも○○だから、それはできないんです」 と言われることがかなりある。 その「でも」が、自分自身を不自由にしていることに 気づかないのだろ
知り合いの経営者に、 「将来、◯◯をやってみたいと思ってます」と言うと、すぐに、「で、今は一体何やってるの?」と切り返す人物がいる。 まあ、嫌なやつである。 だが、彼の言うことは本質を突いている。 彼が言うには、「やってみたい」と、「やってみた」の間にはとてつもなく深く広い溝があるのだそうだ。 「その2つは、全く違う次元の話だ」 と、彼は言う。 「本気か、本気じゃないか、と、そういった陳腐な精神論ではない差がある。」 ■ 「将来、独立したいんです」と、その若手ビジネスマンは彼に言った。 彼は「で、今は一体何やってるの?」と聞く。 その若手は、「今は、独立するための勉強をしています」と言った。 彼は、「勉強するなら、今すぐサラリーマンやめて、独立するのが一番勉強になるよ。」と、冷たく言う。 若手は「嫌なやつだ」というような顔をして、「いや、独立するんじゃなくて、独立して成功しなきゃ意味が無い
岡山県で出逢った女性のFさんの話が非常に面白かった。Fさんには小学生の男の子の子供がいて、ある日、アート系ワークショップに親子で参加する機会があった。当日の内容は「紙袋をつかって自由に服をつくってみる」というもので、当日、会場では親にも子供にも幾つもの紙袋が手渡された。 正解を求めて、身動きがとれなくなってしまう。Fさんは手渡された紙袋を前に「さて、どうしたものか」と思い悩んだ。これで服をつくれと言われても、どうやって作ればいいのかまるでわからない。しばらく思い悩んだのちに、Fさんは「自分が正解を探してしていた」ことに気づいた。本来であれば、紙袋でつくる服の作り方には正解も何もない。『自由につくる』というテーマなのに、それでも正解を求めてしまう(そして正解が見つからないからこそ身動きが取れなくなってしまう)自分自身に気がついて、愕然としてしまったのだと言う。そして、その後に最も愕然とする瞬
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直近で自分と食事を共にした5人の平均年収が自分の年収である。という話を聞いたことがある。付き合う人が自分を映し出す鏡である。という説を僕はわりと信じている。 最近友人と「自分がスーパーサイヤ人を目指すと仮定した際に、クリリンとも付き合うべきなのか?」という議論になった。この比喩が意味するところは、本誌読者なら理解してもらえると思う。 確実に燃えそうなお題であることはわかっているので前提条件を置いておきたい。僕自身はスーパーサイヤ人なわけではなく、スーパーサイヤ人を目指したい人。どんなにエクスキューズしたとしても、この記事は傲慢と捉えられることは百も承知であえて書きます。 冒頭で述べた通り、付き合う人が自分を映し出す鏡である。成長意欲が高い人は自分よりレベルが高い人と接する機会を増やすべき。そういった相手からリピートしてもらえるように自らの魅力を高める努力をすべき。会食なりビジネスを共にする
2013-12-19 職業に貴賎はなくても、職業ごとに形成されるコミュニティとそこに所属する人への好悪はある 先日こんな記事を書きました。ブルーカラーと一緒に仕事してると自分がどんどんブルーカラーに近づいていく気がしてブルーになるのでつらい - grshbの日記僕はちょいちょい派遣のバイトで小遣い稼ぎをしていて、その中でブルーカラーの世界を見て感じた気持ち悪さとそれ故に自分はその世界に入りたくないという話。それからそういう世界が普段意識しないが実は常に隣に在り続けていることに対する言葉では表現しきれないような恐さを書いた記事です。この記事に対して幾つか反応をいただいたので、その反応を受けて思ったことをちょっと書いてみようと思います。 id:Domino-R この「彼ら」に対する視線って、自分自身に対する否定的な感情が投影されたものなので、癖になってるなら気をつけないと。それは自分ではな
『無私の日本人』磯田道史(プレジデントオンライン) 歴史とは無数の人の人生の束でできている。そう語る磯田道史さんは、歴史家として史料を読むことで、何万人という日本人に出会ってきた。その中に「どうしても頭にこびりついて離れない人たちがいる」と言う。本書は、そんな忘れ難い3人の江戸人の生涯を描いた評伝集だ。 武士に貸した金の利子で、貧しい故郷を将来にわたり救おうとした商家・穀田屋十三郎。清貧を貫き庶民とともに生きた儒者・中根東里。そして絶世の美女に生まれながら辛苦の日々を送り、庵で陶器を作り続けた大田垣蓮月。彼らに共通する「無私」という生き方とは、どのようなものだったのか。 (中略) だからこそ「無私」を貫いた彼らの生き様、は「いま」の時代に照らし出されて輝きを増したのだろう。史料を読みながらときに涙さえ流し、磯田さんは突き動かされるように書いた。その輝きを伝えることが、数多の人生の糸を手繰っ
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