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ブックマーク / sivad.hatenablog.com (11)

  • 科学政策に関する公開質問状、雑感 - 赤の女王とお茶を

    いよいよ明日に迫ってまいりました、衆議院選挙。 皆さんもそろそろ投票先を決められていることとは思いますが、せっかく質問状を出した手前、投票前に感想でも書いておこうと思います。 まず、わたし個人が科学技術政策に対して抱いている方向性はこんな感じ。 国家プロジェクトは目的を明確にし、妥当性のあるロードマップを描き、人材を使い捨てにしない 教育は国民に対して最大限開かれているべきで、ここに出し惜しみするのは日の自殺行為 基礎研究は種まき、応用研究や実用化は収穫から調理まで。種まきは多様性を大事に、調理までは出口をしっかり見て 大学の役割は一つではないし、教育から研究までいろいろな重点を持った大学があってよい いろいろな立場があるとは思いますが、わたしが評価するのならこういう観点かな。 質問状はメールと郵送(配達記録)双方で各党部に送付したので、そこまでの到着は間違いないと思います。 回答をい

    科学政策に関する公開質問状、雑感 - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2009/08/29
    「小さなNPOとブロガーが書いた科学に関する質問状に3野党が返信してくれた、という事実はそれほど悪くない」 「こういう活動が続いていけばやがてはどの党も無視できなくなってくるのでは」
  • 研究とは「パンク伝統芸能」である - 2009-02-23 - 赤の女王とお茶を

    そのこころは、「過去からの蓄積や文脈を踏まえつつ」、「誰もやっていない新しいことをしなくてはならない」。 どんなことにおいてもある程度はいえることではありますが、仕事としての研究にはこの2点が特に強力に求められます。 矛盾? まあ最初はそう感じます。どんなにたくさん勉強しても知識を得ても、その知識以外のことをやれ、でないと意味がない、と言われるのですから。 大量の教科書や論文を読み、「そこに書かれていなくて、かつ重要なコト」を自然や現象の中から見つけ出すのが研究です*1。 徒労を感じます。 処世の効率を考えれば、すでにある知識を編集してそれっぽくした方がよっぽど早いでしょう。 しかし、現実の出来事をそうした「使える知識」として産みなおすには、研究のこういう泥臭い格闘がどうしても必要なのです。その意味では、研究の仕事というのは「知識の一次産業」なのでしょうね。 どうすればこんなしんどい仕事

    研究とは「パンク伝統芸能」である - 2009-02-23 - 赤の女王とお茶を
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    carrion-crow 2009/02/23
    「研究を教える、ということは 1.自分の背骨を見出させる 2.(少なくとも)分野の背骨を体感させる 3.自分の背骨を分野の背骨の中で位置付けることを学ばせる  4.その具体的形式的方法について教える」
  • ミーティング@つくば終了しました - 赤の女王とお茶を

    なにげに初つくばでした。地面が開いてウルトラ警備隊出てきそうですね〜、いい意味で。 参加者はもろもろ含めて40名程度。ちょうどいい人数だったんではないかな。 流れとしてはまずサイコムの榎木さん、富田さん、秋田清陵学院の瀬々さんのプレゼン。 やはり瀬々さんの現場体験には関心が特に集中していました。 「生徒の成長を第一に考えることができるかどうか」 博士が中等教育で活躍する余地は十二分にあるけれど、一番重要なのはこの点だとおっしゃっていたのが強く印象に残っています。 確かに、研究活動の中ではまず自分のことを考えてしまう。しかし教育の場では自分の成長もまた、生徒のためにあるべきだということなのでしょう。 その後、オープン形式のグループ・ディスカッション。 これが今回のちょっと変わった趣向でして、 オープン・スペース・テクノロジー ~5人から1000人が輪になって考えるファシリテーション~ 作者:

    ミーティング@つくば終了しました - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2009/02/09
    「「生徒の成長を第一に考えることができるかどうか」 博士が中等教育で活躍する余地は十二分にあるけれど、一番重要なのはこの点」 ロゴがかわいい。
  • やれやれvsやれやれ - 赤の女王とお茶を

    承前。 村上春樹 「ドロップ・ターゲット、キックアウト・ホール、ロート・ターゲット……、最後にボーナス・ライトを点けてしまうとやれやれといった顔付きでボールをアウト・レーンに落としてゲームを終えた。そしてジェイに向かって何も問題はない、という具合に肯いて出ていった。」(1973年のピンボール) 「やれやれ」と僕は言った。やれやれという言葉はだんだん僕の口ぐせになりつつある。これで一ヵ月の三分の一が終り、しかも我々はどこにも辿りついていない」(羊をめぐる冒険) 荒木飛呂彦*1 「おれが時を止めた…… 9秒の時点でな… そして脱出できた… やれやれだぜ…」→オラオラ 「よく見たら やれやれ 趣味の悪い時計だったな… だが そんなことは もう気にする必要はないか… もっと趣味が悪くなるんだからな… 顔面の形のほうが…」→オラオラ 「康一くん… 君は 当に頼もしいヤツだ この町に来て 君と知り合

    やれやれvsやれやれ - 赤の女王とお茶を
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    carrion-crow 2009/02/03
    村上春樹と荒木飛呂彦の「やれやれ」比較。
  • 倫理の根拠とお水のセカイ(本編) - 赤の女王とお茶を

    こちらの編。 まだまとまりきっていない話ですし、分かりやすくかけるか怪しいところですが。 「水伝」など多くのニセ科学批判の文脈で基となる考え方の一つに、「科学は倫理を与えない」というものがあります。あるいは、「である」は「べき」を導かない。ヒュームの法則、または自然主義の誤謬、とも表現します。 科学はセカイが”How”「どのように」「ある」かを明らかにするものであって、どのようにある「べき」か、つまり倫理や規範を定めるものではない、ということです。もちろん、ゴーヤの佃煮を作るときは五倍酢をつかう「べき」だ、コーヒー豆は封を開けたら冷蔵庫にいれる「べき」ではない、というように、ある状態を達成するための手順について科学が「べき」を与えることはあります。 しかし、どう生きるか、のような根源的なレベルにおける、向かうべき「目的」を科学知識そのものが規定することはないよ、というのが科学的思考にお

    倫理の根拠とお水のセカイ(本編) - 赤の女王とお茶を
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    carrion-crow 2008/10/06
    「「科学は倫理を与えない」はそれなりに理解されるのですが、それと対になるはずの「倫理は科学を必要としない」はなぜか受け入れにくい」
  • 日本はバイオをやるのか捨てるのか白黒つける時期だ - 赤の女王とお茶を

    にわかに学歴論が盛り上がっているようですが、正直あまり指が動かないなぁ。知ってる京大の人も大概ちゃんと就職してるし、おもろいことやってる人も多いよ。官僚タイプってそんなにいるの? 仙人は何人か知ってますが。 で発端かどうか分かりませんが、ちょうど朝日に博士の話が出ていて、酵母研究の大御所柳田先生も日記で触れていることだしそっちの話をしてみます。 博士っても沢山あるのですが、現在いろいろな意味で最も問題が深刻なのはバイオ系といわれています。 メディアではips細胞をはじめいろいろな成果が報じられていますが、少なくともバイオ系博士課程に進学する学生は順調に減りつつあるようです。どこかに数字があったかな? 問題点は二つ。 1.今現在博士課程にいる学生やポスドクの進路 2.日のバイオ戦略 お互いに絡み合った問題なのですが、まずなぜバイオ系が激増し、そして余ったか、という点について。 基的には

    日本はバイオをやるのか捨てるのか白黒つける時期だ - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2008/08/01
    「こちらの記事では、「バイオブームに踊らされた」と表現されていますが、日本以外ではバイオは「単なるブーム」に終わっていません」 泣ける。
  • マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を

    ケーキ 「かわいそうなぞう」はなぜ「かわいそう」か 別に誰を批判というわけではなく、これらを読んでふと思いついたことですが。 fuku33さんのエントリにhokusyuさんがナチズムを持ち出してきて、確かにいきなりの飛躍のように思えるのですが、考えてみるとそもそもfuku33さんの教えておられる経営学、創始者はかのピーター・ドラッカー。 そしてドラッカーのキャリアはナチズムへの批判と分析から始まっていたりするのです。 ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2007/11/16メディア: 単行購入: 2人 クリック: 58回この商品を含むブログ (30件) を見るナチズムを体験したドラッカーはアメリカへ渡ってこの書を出版し、二度とあのような事態を引き起こさないための組織・社会運営の方法について考え始めます。

    マネジメント、トリアージとドラッカー - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2008/05/27
    「そしてドラッカーのキャリアはナチズムの批判と分析から始まっていたりするのです。」 へー。読んでみよう。 「経済や経営はあくまでも社会のための「手段」」だといいなぁ…。
  • 文字通りのLife Huckかぁ - 赤の女王とお茶を

    こちらとか読んで。 マニアックな話をすると、今現在一番ハックしやすい多細胞生物は線虫(C. elegans)ではないかな。 ぶっちゃけ私も学生の頃、「その場でクルクル回転し、熱を与えると緑色の斑点が光りだすC. elegans」、なんてのを作って遊んだことはあります。専門の人間から見ると全然大したことないんですが、フツーの人が見ると驚くでしょうね。 一応は研究の一環でしたし、これらの生物の遺伝子操作は手間もコストも大してかかりませんので、学生の片手間でもなんとかいけます。遺伝学の伝統も長くて知識の蓄積がありますし、ゲノム配列だってネットでフリーで読み放題。遺伝子ノックアウトはRNA干渉を使えば三日で出来るし、遺伝子の導入もうまくやれば一ヶ月もあればいける。ウイルスなんか使いませんし。飼育はちょっとした餌と恒温インキュベータがあればOK。もちろんやればやるほど深いんですが、コスト的な敷居はか

    文字通りのLife Huckかぁ - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2008/04/15
    「今現在一番ハックしやすい多細胞生物は線虫」光らせて遊ぶとか…。 「こんな風にバイオ系の人間がネットにどんどん出てきてくれると面白い」 ですね。
  • 人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を

    だから、他人があーだこーだいう筋合いはないし、自分ですらその「責任」について思い悩む必要はないと思います。趣味ならいいんですが。 今現在の人生は、自分と、他人と、環境との相互作用によって形成されていて、これからの人生もそう。 まずコントロールできるのは自分であるとはいえ、結果は相互作用によって生まれるので最終的にはカオスです。 そして、そういうカオスなリスクをある程度ヘッジするために、人間は社会を持っている。 出来る限りのリスクを社会を使ってヘッジしながら、自分は自分で選択を積み重ねていく、というのが人類が21世紀までに積み重ねてきた人生のノウハウです。 アリやハチといった社会性昆虫では、おのおのの「個体」があるとはいえ、もはやそのコロニー自体が一個の生物と考えても良いくらいの徹底した機能分担が成されています。社会機能が生存に必須になっているため、「進化」ですら今後は個体レベルでなく、集団

    人生選択の責任は、その人生を生きているということ自体ですでに果たされている - 赤の女王とお茶を
    carrion-crow
    carrion-crow 2008/03/02
    「「お前のアリ生は全てお前が決めているのだ」 と語るのはなんだか滑稽な風景に思えます。」
  • 赤の女王とお茶を - なぜ研究者は貧乏なのか

    似たようなことを最近よく思う 週末の記録 研究って面白い? 「研究」という仕事には、人生を狂わせる危険な構造が潜んでいます。 まずはこちらをごらんあれ。 ハンス・アビング『金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか』 ここでの「芸術」を「学問」だとか「研究」に変えてみると・・ 何だかんだいって学問には威信があり、愛好者は無論のこと、それを需要しない人々でさえその権威を認める。ゆえに市場ベースでは採算がとれずとも研究には支援や公的助成がなされる。そして人材は供給過剰となり、一部の勝ち組を除けば貧困に甘んじざるを得ない。その貧困にもかかわらず研究者志願は、一部はそのリスク愛好性ゆえに、また一部は学問そのものの威信へのより強いコミットメントゆえに、市場からなかなか去らない――。 あら不思議。なんの違和感もありません。 真理の探究だとか学問の面白さだとか、それ自体は素晴らしいものです。 しかしそれが職

    赤の女王とお茶を - なぜ研究者は貧乏なのか
    carrion-crow
    carrion-crow 2007/12/12
    下っ端は精神論に頼らざるを得ない場合もあるが…「エスタブリシュした・システムを担うべき場所にいる人間がそれを言うべきではない。一種の責任放棄と見なされても仕方ありません。」
  • 「名誉」はゲーム続行のからくりなのかも - 赤の女王とお茶を

    なと思ったり。 囚人のジレンマによると、 ゲームの繰り返し回数nを両方の囚人がともに知っていた場合は、全ての回で囚人がともに「裏切り」を選択する事が分かっている。 不確定要素はゲームにおける戦略・振る舞いに強い影響を与えますが、特に「残り回数」というのは大きなファクターだと考えられています。 「残り回数」。 いやな言葉ですが、人間にも「残り回数」は厳然として存在します。 人間の死亡率は今のところ100%なわけで、どんな人であろうとゲーム/関係の機会は有限です。とはいえ、若い時から自分の残り人生をカウントすることはあまりないでしょうし、カウントしてもブレが大きいのでその量的な有限性を明確に意識することはありません。 しかし、40を超え、50にたどり着く辺りから、「カウント」の冷たい音がカチカチと聴こえはじめます。 もはや漠然とした有限性ではなく、確実で明確な「残り回数」が見え始める。 ここで

    「名誉」はゲーム続行のからくりなのかも - 赤の女王とお茶を
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    carrion-crow 2007/11/15
    「人間にも「残り回数」は厳然として存在します。」 なるほど。
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