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陰謀論は、論理学的な意味でのロジックを飛び越えて、近接性(接点がある)や類似性(見た目や性格や関係が似てる)を使って、色々な要素を縦横無尽につないで、世界に対するひとつの説明体系を作りあげる。これってフレーザーの提起した初期魔術の2つの形式、つまり感染呪術(接触したものは影響を与え合う)と類感呪術(似ているものは影響を与え合う)と同じもの。一神教の神がブイブイ言わせるよりずっと前に、人類の普遍的な思考様式として、あらゆる文化で広くみられた。つまり陰謀論は、現代化された呪術的思考。 その意味では、神が死んだから陰謀論が力を得たんじゃなくて、人間は元々ほっとけば陰謀論的な思考様式に傾斜していくようにできてるんだと思う。人類史の経験から言えばそうなる。近接性や類似性を使って、さまざまな要素をとめどなく繋いでいく思考様式(これを神話でやると、レヴィ=ストロースの神話論理になる)。それを押し止めて、
地球平面説者たちを宇宙に送って、彼らに地球の形を見せることはできないのですか? - Quora https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.quora.com/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E8%AA%AC%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%82%92%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AB%E9%80%81%E3%81%A3%E3%81%A6-%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%AB%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AE%E5%BD%A2%E3%82%92 ここの記事とブクマ見てて思ったんだけどさあ。 やっぱ近代以降のインテリが神を殺しちゃったのが良くないと思うんだよね。 科学は正しいし多くの恩恵をもたらしているのはそうなんだけど、救われてない人にとっ
浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい
今日、最も印象に残った言葉。とある大学の先生の言だという。 「女を説得なんかできない。女を説得できると思っている時点で、お前はまだ若い」 仰るとおりです先生。 「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶である。 昨日の日記に照らすと僕はおそらく「説得できるような女」を求めているのであって、それというのはじつに無茶な要求であろう。 この言葉を教えてくれた相手が、もう一つ興味深い話をしてくれた。 それは「新興宗教にはまってしまった友人」の話。 彼は実際にその宗教団体を訪れ、儀式を見聞きし、「これはまずいだろう」と思って、友人を「説得」しようと試みたらしい。「これは真っ当な宗教じゃない。いわゆる“怪しげな新興宗教”だ」と。 が、「そういうことじゃないんだよなぁ」とか「やっぱり神ってのはいると思うし」とか、よくわからない、的外れな
宗教にはどんどん入信すべきだよ。 信者の死後の幸福ってものは、たぶんほぼすべての宗教が教義に入れてると思う。 輪廻転生な宗教にしても、ちゃんと信仰したら転生先は幸せですよ、って言うと思うのね。 ところで、我々は自分の死後がどうなるかについて合理的に判断することはできない。 だから、ある宗教の保証する死後の幸福がホントかウソかは、せいぜい五分五分だろうと判断するのが妥当です。だって7:3とかって差をつける根拠がないもんね。 ならば、なるべく多くの宗教に入って、"真実の"宗教にアタる確率を高めておくのが、死後の幸福を得たいのならば合理的。 もちろん、ほかの宗教を信仰したら地獄行きです、みたいに、多くの宗教を信仰するのを妨げるような宗教は避けなくちゃいけない。 というわけで、現世で自分が宗教に費やせるコストの範囲内で、なるべく多くの宗教を信仰するのが、合理的判断というものです。 だよねっ、パスカ
私にとっての神とは精神の安定を図る為の触媒のようなものだ。 神は自分の内側に存在する、徹底的に相対化されたもう一人の自分だ。 社会の中で生きて行く中で、思いもしない矛盾や理不尽に見舞われる事は沢山ある。それに対して自分が反射的に返すのは、怒り、憎しみ、絶望などの、負の感情だ。でもそれをいちいちむき出しにしていては社会の中で平和に生きてはいけない。 精神的な安定と慰めは、愛する家族や友人がいればその人達によって与えられるかもしれない。どんなにその人達が矛盾した存在であっても、その人達を愛することには関係しないだろう。 だがそういった人達が存在しない場合は?あるいは絶対的な信頼を寄せられるだけの愛を感じられない場合は? 最後に残るのは自分だけだ。だが自然状態の自分は負の感情で一杯になっている。 そこで自分の中で神という存在を作り出す。自然状態の自分から徹底的に相対化するために、仮想の人格を与え
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