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増田と宗教に関するcastleのブックマーク (11)

  • 『陰謀論は神が死んだ現代の宗教なのではないだろうか。』へのコメント

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    『陰謀論は神が死んだ現代の宗教なのではないだろうか。』へのコメント
    castle
    castle 2021/05/12
    「陰謀論は「失われた全体性を回復したい」という欲望~現代社会の複雑性(見通しの悪さ)によってますます人気が」「不遇は神への呪詛になり~社会に反発」「悪意とか支配とかの結集を、人為の力でなせるという過信」
  • 陰謀論と呪術とSNS

    陰謀論は、論理学的な意味でのロジックを飛び越えて、近接性(接点がある)や類似性(見た目や性格や関係が似てる)を使って、色々な要素を縦横無尽につないで、世界に対するひとつの説明体系を作りあげる。これってフレーザーの提起した初期魔術の2つの形式、つまり感染呪術(接触したものは影響を与え合う)と類感呪術(似ているものは影響を与え合う)と同じもの。一神教の神がブイブイ言わせるよりずっと前に、人類の普遍的な思考様式として、あらゆる文化で広くみられた。つまり陰謀論は、現代化された呪術的思考。 その意味では、神が死んだから陰謀論が力を得たんじゃなくて、人間は元々ほっとけば陰謀論的な思考様式に傾斜していくようにできてるんだと思う。人類史の経験から言えばそうなる。近接性や類似性を使って、さまざまな要素をとめどなく繋いでいく思考様式(これを神話でやると、レヴィ=ストロースの神話論理になる)。それを押し止めて、

    陰謀論と呪術とSNS
    castle
    castle 2021/05/12
    「ロジックを飛び越えて、近接性や類似性を使って、色々な要素を縦横無尽につないで、世界に対する一つの説明体系を作りあげる~(フレーザーの)感染呪術と類感呪術と同じもの~陰謀論は、現代化された呪術的思考」
  • 陰謀論は神が死んだ現代の宗教なのではないだろうか。

    地球平面説者たちを宇宙に送って、彼らに地球の形を見せることはできないのですか? - Quora https://b.hatena.ne.jp/entry/s/jp.quora.com/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%B9%B3%E9%9D%A2%E8%AA%AC%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%82%92%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AB%E9%80%81%E3%81%A3%E3%81%A6-%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%AB%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AE%E5%BD%A2%E3%82%92 ここの記事とブクマ見てて思ったんだけどさあ。 やっぱ近代以降のインテリが神を殺しちゃったのが良くないと思うんだよね。 科学は正しいし多くの恩恵をもたらしているのはそうなんだけど、救われてない人にとっ

    陰謀論は神が死んだ現代の宗教なのではないだろうか。
    castle
    castle 2021/05/10
    「救われてない人にとっては科学は救いを与えてくれていた神を殺した論理~学者は神を殺す前にちゃんと代替物つくっといてくれよって~庶民には科学を科学として見せずに神秘だと胡麻化しといてほしかったって」
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
    castle
    castle 2021/01/14
    「死者に出会うという事は、まだ生きている自分自身と出会うという事~やがては我が身も命尽きてゆく存在~近しく親しい者の死を前にでもしなければ、そうした厳然たる事実さえも忘却してしまうのが私達人間の本質」
  • 女を説得なんかできない

    今日、最も印象に残った言葉。とある大学の先生の言だという。 「女を説得なんかできない。女を説得できると思っている時点で、お前はまだ若い」 仰るとおりです先生。 「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶である。 昨日の日記に照らすと僕はおそらく「説得できるような女」を求めているのであって、それというのはじつに無茶な要求であろう。 この言葉を教えてくれた相手が、もう一つ興味深い話をしてくれた。 それは「新興宗教にはまってしまった友人」の話。 彼は実際にその宗教団体を訪れ、儀式を見聞きし、「これはまずいだろう」と思って、友人を「説得」しようと試みたらしい。「これは真っ当な宗教じゃない。いわゆる“怪しげな新興宗教”だ」と。 が、「そういうことじゃないんだよなぁ」とか「やっぱり神ってのはいると思うし」とか、よくわからない、的外れな

    女を説得なんかできない
    castle
    castle 2009/12/22
    「「説得」っていうのはつまり「理屈で攻める」であって、理屈の通用しない相手に向かって「説得」をしようってのは無茶」「女の子ってのはみんな「自分の聖書や神様」を持ってんだろう。だから説得がきかないんだ」
  • 無宗教の信仰の対象は何?

    1、お金 2、権力 3、恋人 4、科学 5、音楽 6、自分自身の心 7、サヨク&ウヨク そんなのは宗教ではないといわれそうだけど、ひとが信じる対象は形の上の宗教法人だけとは限らない。 そういう意味ならばそれを信じるひとには広義の意味では信仰なんだろう。 猜疑から生まれる客観は、信仰とは相反するものなのだろうか?それとも、猜疑することを信じるという意味では、客観もまた信仰だろうか?

    無宗教の信仰の対象は何?
    castle
    castle 2008/08/31
    「お金、権力、恋人、科学、音楽、自分自身の心、サヨク&ウヨク」「猜疑から生まれる客観は、信仰とは相反するものなのだろうか?それとも、猜疑することを信じるという意味では、客観もまた信仰?」「かわいさ」
  • [暴論]無宗教は非合理的です

    宗教にはどんどん入信すべきだよ。 信者の死後の幸福ってものは、たぶんほぼすべての宗教が教義に入れてると思う。 輪廻転生な宗教にしても、ちゃんと信仰したら転生先は幸せですよ、って言うと思うのね。 ところで、我々は自分の死後がどうなるかについて合理的に判断することはできない。 だから、ある宗教の保証する死後の幸福がホントかウソかは、せいぜい五分五分だろうと判断するのが妥当です。だって7:3とかって差をつける根拠がないもんね。 ならば、なるべく多くの宗教に入って、"真実の"宗教にアタる確率を高めておくのが、死後の幸福を得たいのならば合理的。 もちろん、ほかの宗教を信仰したら地獄行きです、みたいに、多くの宗教を信仰するのを妨げるような宗教は避けなくちゃいけない。 というわけで、現世で自分が宗教に費やせるコストの範囲内で、なるべく多くの宗教を信仰するのが、合理的判断というものです。 だよねっ、パスカ

    [暴論]無宗教は非合理的です
    castle
    castle 2007/05/23
    「現世で自分が宗教に費やせるコストの範囲内で、なるべく多くの宗教を信仰するのが、合理的判断」現世利益な宗教を否定している宗教もあったっけ。三大宗教とか。このロジックが適用されると収拾つかないからかも。
  • いやいや、それだからこそ役立つんだって。 ・不条理のない世界を作った神..

    いやいや、それだからこそ役立つんだって。 ・不条理のない世界を作った神がいる場合 不条理で苦しまない→(役立たない) ・不条理のない世界を作った神がいない場合 不条理で苦しむ→神を信じて受け入れる(役立つ)

    いやいや、それだからこそ役立つんだって。 ・不条理のない世界を作った神..
    castle
    castle 2007/05/23
    「・不条理のない世界を作った神がいる場合:不条理で苦しまない→(役立たない) ・不条理のない世界を作った神がいない場合:不条理で苦しむ→神を信じて受け入れる(役立つ)」
  • https://anond.hatelabo.jp/20070521050438

    castle
    castle 2007/05/21
    「仏教ではとっくに神様には見切りをつけて、現実をどう認識するかという問題に腐心しています。「諦めるために神がいる」というのも全然アリだと思いますが、仏教の方にも目を向けてやってください」
  • 私の神

    私にとっての神とは精神の安定を図る為の触媒のようなものだ。 神は自分の内側に存在する、徹底的に相対化されたもう一人の自分だ。 社会の中で生きて行く中で、思いもしない矛盾や理不尽に見舞われる事は沢山ある。それに対して自分が反射的に返すのは、怒り、憎しみ、絶望などの、負の感情だ。でもそれをいちいちむき出しにしていては社会の中で平和に生きてはいけない。 精神的な安定と慰めは、愛する家族や友人がいればその人達によって与えられるかもしれない。どんなにその人達が矛盾した存在であっても、その人達を愛することには関係しないだろう。 だがそういった人達が存在しない場合は?あるいは絶対的な信頼を寄せられるだけの愛を感じられない場合は? 最後に残るのは自分だけだ。だが自然状態の自分は負の感情で一杯になっている。 そこで自分の中で神という存在を作り出す。自然状態の自分から徹底的に相対化するために、仮想の人格を与え

    私の神
    castle
    castle 2007/03/23
    「答えのない問いに対してなお答えを求めて神に問いかけているうちに、時が経って頭は冷えて、答えらしきもののかけらも見つかって精神的安定が訪れる」「だから私の信心は私だけのものであり、非常に個人的で大切」
  • いいかげん宗教なんてやめたほうがいい

    castle
    castle 2007/03/16
    「一神教は争いの元だ」「洗脳で集団をつくる行為を、法的に保護する必要は無い」宗教やめろ教が増田にまで進出してきた。
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