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宗教とfinalventに関するcastleのブックマーク (127)

  • [書評]「正法眼蔵随聞記」: 極東ブログ

    「正法眼蔵随聞記」は不思議な書物である。これに魅せられた人は生涯の書物とするだろうし、私も40歳を過ぎて絶望の淵にあるとき、ただ読みうるといえば、このだけでもあった。このから生きることを学びなおした。 「正法眼蔵随聞記」は鎌倉時代の僧・懐奘が師・道元の教えを記した書とされている。懐奘にこれを公開する意図があったかはわからない。現在の「正法眼蔵随聞記」という書名があったわけでもない。それでも「正法眼蔵随聞記」という書名は、道元の主著「正法眼蔵」を連想させ、その正法に「随い聞く」という主旨が反映されている。 懐奘が30代半ば、新しく得た、そして真実の師である道元の教えを書き出したのは、その学び始めのころ、文暦元年(1234年)ごろとされている。北条泰時執権の時代である。書き記した文は、懐奘の死後、その弟子によって書写されていたが、広く世間に知られるようになったのは、現在の岩波文庫が採って

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    castle 2011/07/09
    「道元は本当に懐奘が苦悩から救われることはただ禅にしかないと確信していただけなのでは。禅のみが人の苦悩を救う、その一点にのみ立つ道元には懊悩する者への優しさがあり、正法眼蔵随聞記はそれを伝えている」
  • 多文化主義は完全に失敗したとメルケル独首相: 極東ブログ

    ドイツのメルケル首相が16日、彼女の母体でもある与党キリスト教民主同盟(CDU)の青年部会議で、ドイツの多文化主義は完全に失敗したと述べ、欧米で波紋を呼んでいる。日での報道は、CNN翻訳記事を除けば、産経新聞記事がある程度で、なぜかあまり見かけない。ブログで補足しておく意味もあるだろう。 問題だが、CNN記事「「多文化主義は完全に失敗」 メルケル独首相が発言」(参照)が簡素に伝えていたが、問題点はややわかりづらかった。 メルケル氏は演説の中で、「『さあ、多文化社会を推進し、共存、共栄しよう』と唱えるやり方は完全に失敗した」と語った。 メルケル氏は先月、CNNのインタビュー番組「コネクト・ザ・ワールド」でもこうした考えを示していた。9月27日の同番組でドイツのイスラム系住民について質問された同氏は、「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)彼らは同じ言語を話し、ドイ

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    castle 2010/10/22
    「今や誰もが、移民は我が国の構成員であると理解している。(しかし)彼らは同じ言語を話し、ドイツで教育を受けるべきだ(メルケル氏)」「ドイツは不安定な連立政権に依っていて、医療保険や税金問題で紛糾して」
  • コーラン焼却騒ぎはなんだったのか: 極東ブログ

    コーラン焼却騒ぎはなんだったのか。主導者テリー・ジョーンズ(Terry Jones)とその教会、「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター(Dove World Outreach Center)」とは何か。 話は1970年代に遡る。米国のキリスト教ペンテコステ派世界最大派のアセンブリーズ・オブ・ゴッド教団に所属した青年部牧師、ボブ・ワイナー(Bob Weiner)(参照)は州立マリー大学内に大学生布教集会「マラナタの家」を1972年に設立した。後に「マラナタ・キリスト教会」と改名したが、大学を拠点化した布教活動であった。大学に浸透するペンテコステ派のこの布教運動は「マラナタ・キャンパス・ミッショナリー(MCM: Maranatha Campus Ministries)」と称された。次第に影響力を持ち出したMCMは1980年代に入り、権威主義的な傾向からカルト的な様相を持つと批判され、キリスト

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    castle 2010/09/14
    「反イスラム主義を煽るためにこの手のばかげた報道を米国がしていると見るイスラム圏での見解」「中間選挙を控え、劣勢にある米国民主党が、共和党支持と見られるキリスト教根本主義者の愚昧さを強調する意図も」
  • チェルシーの結婚: 極東ブログ

    少し旧聞になる。7月31日、ビル・クリントン元米大統領とヒラリー・クリントン現国務長官の一人娘、チェルシー・クリントン(Chelsea Clinton)さん(30)がニューヨーク州ラインベックにあるアスター・コーツ(Astor Courts)という豪邸で結婚式を挙げた。 米国民主党政権の中枢ともいえる要人の娘さんの婚礼なので注目された。そのためか、あるいはそれに比してと言うべきか、結婚式の準備は極秘に進められた。当日も式場上空は飛行禁止となり、会場に至る道も封鎖された(参照)。要人の娘さんとはいえ民間人なのでプライバシーは守られるべきだろうが、物々しい印象を与えた。CNN「クリントン夫の一人娘チェルシーさんが結婚式」(参照)はこう伝えている。在任中にユダヤ人であることが判明したマデレーン・オルブライト(Madeleine Albright)元国務長官の名前も注目のこと。 ウエディングドレ

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    castle 2010/09/11
    「メズビンスキー家の謎は解けたかというと、単に保守派で富豪のユダヤ人ファミリーというだけではない~新郎の父は巨額の詐欺事件を起こし5年服役」「その「政治の臭い」がなんであるかがこの結婚の本質であろう」
  • ドイツ連銀ザラツィン氏の失言: 極東ブログ

    ドイツの中央銀行に相当するドイツ連邦銀行のティロ・ザラツィン(Thilo Sarrazin)理事が人種差別発言をしたとして問題になった。日でも報道されているが各紙に微妙な差がある。その差違に問題の核心が関連しているようにも思えるので、メディア検証の意味もかねて見ていこう。 一番興味深いのが2日付け日経新聞記事「独連銀、ザラツィン理事解任へ 人種差別発言で」(参照)である。なにが書かれていないかという観点からあえて全体を引用する。 ドイツ連邦銀行(中銀)は2日、移民などへの差別的な発言を繰り返したザラツィン理事を解任する方針を固めた。任命権を持つ連邦大統領に対し、「解任を提案した」との声明を発表した。理事が「イスラム系住民のせいでドイツの知的水準が低下した」などの趣旨に言及したことで、中銀の信認が揺らぎかねないと判断した。 独連銀は高い独立性があるため、理事を解任できるのは健康上の理由や、

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    castle 2010/09/10
    「(イスラム系移民と)インタビューでユダヤ人の遺伝子に言及したことが問題となった」「逆鱗に触れたとしてザラツィン氏を追放することで問題の本質である移民問題を封じ込めたとドイツ人の多くが感受している」
  • [書評]ロスト・シンボル(ダン・ブラウン): 極東ブログ

    読書の少し捻くれた楽しみの一つは、上手に期待を裏切られることだ。ロスト・シンボル(ダン・ブラウン)(参照)はエンタテイメントの小説だからこの程度の仕立てに違いないという期待を持って読み進めると、ぽろぽろと崩れ落ちる。予想は微妙に外れる。期待は小気味よく裏切られる。その都度、シニカルな笑いが襲う。やられた。面白いじゃないか、これ。 テーマはフリーメーソンの謎だから、これは欠かせないという一連のネタが出てくる。お約束だ。出るぞ出るぞと思っていると出てきて、きちんと肩すかし。さすがによく練られている小説だ。犯罪小説ではないが十分にミステリー仕立てにもなっていて、誰が味方で誰が敵かは話の進展で変わっていく。 実質的な主人公である全身入れ墨の怪人マラークにはもう少し深みが欲しいところだったなと下巻半ばで思っていたら、どんでん返し。追求者ラングドンも一巻の終わりかというところで思わぬ逆転。純文学だった

    castle
    castle 2010/08/09
    「予想は微妙に外れる。期待は小気味よく裏切られる。その都度シニカルな笑いが襲う。やられた~(フリーメーソンのお約束が)出るぞ出るぞと思っていると出てきて、きちんと肩すかし」「秘密はいかにして死ぬかだ」
  • マリアンヌとコロンビア、国家の擬人化、理性教というカルト: 極東ブログ

    昨日のエントリの続きみたいなもの。昨日のエントリも、もう少し整理してもよかったのだけど、とりあえずそこまでは書いておくかな、さてその先はどうしようかなと少しためらっていた。 くだらない話から簡単に先につづけると、自由の女神は日全国ラブホの象徴だろという話だが、それは知っていた。というかそれが普及するのは吉祥寺の像の移転の時期と重なるのではないか、という時代の問題の端緒として考えてみたいかなというのがあった。 さて続きだが、「アメリカ的進歩(American Progress)」の女神について、「あるいは、これは自由の女神とは別なのだろうか。だとすると、それは何か(たぶん次回に続く)」ということだが、絵のタイトルのなかに答えは隠れている。 「アメリカ的進歩」と訳すと誤訳ではないがわかりづらくなる。"American Progress"は、「アメリカなるものの前進」で、この女神がアメリカなの

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    castle 2010/08/03
    「ベルタス神復活における「自由」の意味は、ローマ時代のそれではなく「理性」と同義になって」「理性という神に従って破壊を行うことが自由という意味」「エンゲルスによって「理性」は「科学」に書き換えられる」
  • プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記

    池信先生⇒Twitter / 池田信夫: いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけ ... いまだに「プロ倫」を学生に勧める先生が多いみたいだけど、あれはウェーバーの作り話 プロ倫は実証的に見ればゴミですよ。その点ではレヴィストロースがトンデモさんというのとあまり変わらない。 じゃなぜプロ倫かというと、人間行動における合目的性の概念にあって、それが理解社会学となるのだけど、この内面の「理解」を、いわゆる文学的な人間の内面ではなく、モデル的に、つまり理念型的に取り出したところがポイント。だからこの先にパーソンズの構造機能分析が出てくる。だからプロ倫が基礎とも言える。 ただ、これもちょっと特異な発想で、現代知性にとって重要かというとちょっと微妙かもしれない。 あと ⇒[書評]プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神(マックス・ヴェーバー): 極東ブログ ⇒[書評]マックス・ヴェー

    プロ倫は実証的に見ればゴミですよ - finalventの日記
    castle
    castle 2010/06/22
    「人間行動における合目的性の概念にあって、それが理解社会学となるのだけど、この内面の「理解」を、いわゆる文学的な人間の内面ではなく、モデル的に、つまり理念型的に取り出したところがポイント」
  • 釣られちゃうんだけど間違い指摘しておきますよ。 - finalventの日記

    これ⇒失業者マックス・ヴェーバー、負け戦から「天職」をつかむ:日経ビジネスオンライン 簡単に要点だけ指摘すると。 だから、失業者ヴェーバーの心を苦しめたのは、神経疾患だけではなかった。 「オレは『天職』を持たない男、つまり、やるべきことをやらない失格者だ」。 きっと自分で自分を蔑んだ。 それ日語の「天職」。ヴェーバーが「天職」というときは、現在の仕事を神がこの世で定めた仕事だと思って、不平を言わず専心しなさいということ。 つまり、「生涯を終えるまで堅く信仰を守り、キッチリと義務をこなし続けること」だけが救われる人の証拠なのである。ならば、信者はそうするしかない。 まあ、「証拠」と言えないこともないけど、ちゃんと引用のところを読めばわかるけど、確認なのな。自分が、信仰が守れたということは神が自分を選択したことの自分なりの確認。 信者たちは生活全般を「合理化」する、つまり非合理的な衝動を抑え

    釣られちゃうんだけど間違い指摘しておきますよ。 - finalventの日記
    castle
    castle 2010/06/22
    「ヴェーバーが「天職」というときは、現在の仕事を神がこの世で定めた仕事だと思って、不平を言わず専心(合目的性)しなさいということ」「自分が、信仰が守れたという事は神が自分を選択した事の自分なりの確認」
  • 雑感 - finalventの日記

    たぶん真理は宗教の中にはない 倫理的な意味ではあるかもしれないが。 以前というかもう随分昔になるが、大森荘蔵のエッセイを読んでいて仏教への批判というか、ごく普通に仏教の考え方を疑問視しているのがあって、ああ、仏教が必ずしも真理ではないのだろうなと思ったことがある。いやそれだけいうと稚拙だが、こういうスキームではいつも仏教とはなんぞや、仏教における真理とはという問いかけに転換する(おまえの仏教理解は全然違う正しい仏教はなんたら議論)が、それはそもそも間違いだろうなという含みである。哲学は、数学なんかと同じで、実は、けっこう真偽が問えるものも多く、意外と宗教的な真理も包括して偽を下せるのではないかと思った。私は宗教には別段真理などないんじゃないかと思っている。 まあ、いわゆる仏教、とするしかないが、縁起説と無我説がある。前者は時間と因果と意識をどう含めるかで実際には多様な議論があるが、無我説が

    雑感 - finalventの日記
    castle
    castle 2010/04/03
    「人間の苦が存在と運動と記憶の錯誤から生まれると道元は説く。~無我の体験性に依存して、哲学ではなく宗教に変わる」「記憶が生成される過程を無と観じる」「悟りが記憶になることは仏教がもっとも戒めるところ」
  • [書評]ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン): 極東ブログ

    昨日のエントリ「「ローマの休日」でアン王女のベッドシーンが想定されている箇所について: 極東ブログ」(参照)で、「ローマの休日」の話に触れ、それの解釈のある「ニホン語、話せますか?(マーク・ピーターセン)」(参照)を引用したが、同書は非常に面白いなので、もう少し触れてみたい。 余談だが、昨日田町駅の前の虎ノ門書房に寄ったら、「日人の英語 (岩波新書)」(参照)が、現代人の必読書のように陳列されていた。「続・日人の英語 (岩波新書)」(参照)と併せてそうかなとも思うが、書、「ニホン語、話せますか?」のほうは、ピーターセン氏の文学的な資質が浮かびあがってきて興味深い。ネタバレ的な話になるが、はっとさせられた話の印象を書いてみたい。 以前、「国民による国民のための国民の政府: 極東ブログ」(参照)というエントリを書いたことがある。the peopleは「人民」じゃなくて「国民」でしょ、と

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    castle 2010/02/12
    「the peopleは「人民」じゃなくて「国民」~「人民による人民のための人民の政府」は誤訳なんじゃ」「"nation"は「国家」として使われるが、基本的には、慣習や起源、歴史、言語等を共有する「人間の集まり」という意味」
  • [書評]ヒトラーの秘密図書館(ティモシー・ライバック): 極東ブログ

    文藝春秋の今月号でも紹介記事があったが、新刊の「ヒトラーの秘密図書館(ティモシー・ライバック)」(参照)を読んだ。内容に間違いがあるというのではないし、トンデモということでも、まるでない。が、一種、微妙に、変なであった。 読みながら、こういうって他にあるだろうかと、なんどか思った。書かれている事実や考察は、普通に興味深いのだが、ふと、奇妙に、なんか変だなあ、という印象を残す。おそらくそれは通念としてのヒトラーと絶妙にズレた何かを読み解くことが可能なエピソードに満ちているからだろう。さらにそのズレは、およそ読書家というものの質に関わるものであるように思えてくる。読書家を密かに自認する人ならば、自虐的な意味を込めて、書は必読書である。読むと、痛いよ。 邦題は「秘密図書館」になっているが、オリジナルタイトルは「Hitler's Private Library: The Books Th

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    castle 2010/01/27
    「30歳を過ぎ、年上のメンターというのだろうか師匠筋からその考え(反ユダヤ主義)を吹き込まれてから傾倒したようだ」「(ヒトラーに影響したドイツ思想は)実存主義の祖とも言われるフィヒテ(Johann Gottlieb Fichte)」
  • finalvent on Twitter: "世界の事象に意味を見ようとするとき多分対人的なスキームが同時に発生する。陰謀論や神様から人は逃れれられない。"

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    castle 2009/12/15
    「世界の事象に意味を見ようとするとき多分対人的なスキームが同時に発生する。陰謀論や神様から人は逃れれられない」
  • [書評]Nの肖像 統一教会で過ごした日々の記憶(仲正昌樹): 極東ブログ

    80年代のニューアカ系譜にある浮薄な現代思想の分野で一番まともな仕事をしているのが金沢大学法学類教授仲正昌樹氏ではないだろうか。あるいはその独自のアイロニカルな舌鋒が私の好みに合うというだけかもしれないが。彼の学究の根底には若い日の統一教会信者体験が関わっていることは、自身も各所で述べていた。それはどういうことなのか。そこに関心を持つことは、対象が思想家であるなら、そうプライベートな領域を覗き込む下品なこととも言えないだろう。思想というもの根幹にも関わる秘密には独特の魅了性がある。だが、その、社会的に異質な宗教の信者であったという、仲正氏の過去の体験に正面から立ち向かった著作はこれまでなかった。「〈宗教化〉する現代思想」(参照)などを読んだ印象からすると、その部分は語られないのかもしれないとも思っていた。 しかし、仲正氏は書で語りだした。私は書が出たと知ったときにためらうことなく読み始

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    castle 2009/11/27
    「米欄:洗脳されるのは、もてなさそう、異性にふられた直後の人が多かった。とても魅力的な女性が洗脳クライマックスに○○明がでてくる。青年期の異性への欲求不満を利用しているのは彼らにとって当然の戦略です」
  • 科学と信仰は脳のなかでは同じ、あるいは極めて同じ: 極東ブログ

    科学と信仰は脳のなかでは同じらしいという研究の話が一日のニューズウィークに載っていた。「Fact Impact」(参照)である。リードは「New study of the brain shows that facts and beliefs are processed in exactly the same way(最新研究によれば、脳は事実と信仰をまったく同様に処理している)」というものだ。トマス・クーンの科学論以降の知識人にしてみれば、科学と非科学の差というものはなく、どちらも信仰の差であり、ようするにその知識集団の政治的差異に過ぎないというのはごく当たり前ことのようだが、かといって、現実社会にあって非科学と科学を一緒にするわけにもいかないので、社会的な便宜で線引きはしている。それでも、「極東ブログ:[書評]正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)」(参照)で扱った、微妙だけど決定的な問題と

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    castle 2009/10/06
    「科学と非科学の差というものはなく、どちらも信仰の差であり、その知識集団の政治的差異に過ぎない」「信仰命題と非信仰命題は命題内容に依存していない」「非科学への過激な非寛容さ自体、あまり常識的ではない」
  • God Bless You, Mr. Aso, or Father in secret: 極東ブログ

    衆院選が終わった。事前にマスコミが想定したとおり民主党の地滑り的な圧勝となり、政権交代が実現する。自民党は大敗した。国民選択の結果である。それがもたらす成果も国民が享受していくことになる。日国憲法に書かれているように(そう書かれているのを知ってましたか?)、民主主義とはそのような制度だという以上はない。個人的には、二大政党による政権交代を目指し、自民党を割って出た小沢一郎氏を長期にわたり、それなりに共感をもって追ってきたので、達成の日を見ることには感慨がある。が、政治とは所詮妥協の産物であるとはいえ、ここまで大きなを国家を志向する政府の実現を素直に喜ぶこともむずかしい。 私は前回の小泉郵政選挙を支持した。いわゆる小泉改革も、それが小さな政府を志向している面において支持した。その後の自民党政権は、小さな政府志向から逸脱し、しかも年ごとに入れ替わる短期政権でもあり、期待感は失せた。麻生政権が

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    castle 2009/09/02
    「(麻生は)経済をどん底に落とすことを防いだ政治家」「米欄:麻生さん的潔さってのは~。いい人なんですよ。きっと/『失言』とか『顔つき』とか、当時の人には重要でも後世になればあまり意味をなさなくなる」
  • 日経春秋 春秋(8/26) - finalventの日記

    春秋子、オリジナル発言を聞いてないんじゃないかな。 先行きが不安なら結婚をためらうのも無理はない。就職氷河期は晩婚化や少子化を加速した。 と学生に言われて、「俺もそう思う」って麻生さんは答えたんだよ。春秋子と麻生さんは同じだよ。 経済はわれわれが立て直すから安心して結婚準備をとなぜ言えないのだろうか。 国家というのは民間の税を吸い上げてできたもので、経済の根幹は民間にある。若者を前にして、きみたちにがんばってほしいと政治家が言っていけないのだろうか。 麻生さんはぼんぼんだけど、昭和の貧しい世界を見てきた。あの時代、手鍋一つで結婚を始める人がいた。惚れたからでしょ。惚れるっていうのは尊敬できるってことだし、貧しさのなかで生きるっていうことは一生懸命稼ぐことだった。一生懸命稼ごうとすれば貧しくたって結婚はできるよというのは麻生さんのみならず、昭和の貧しい光景を見た人には自明のことだった。 ⇒Y

    日経春秋 春秋(8/26) - finalventの日記
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    castle 2009/08/29
    「昭和時代、手鍋一つで結婚を始める人がいた。惚れたからでしょ。惚れるっていうのは尊敬できるってことだし、貧しさのなかで生きるっていう事は一生懸命稼ぐ事。一生懸命稼ごうとすれば貧しくたって結婚はできる」
  • 毎日社説 社説:新疆自治区暴動 民族政策に寛容さ欠く - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記

    ウルムチはウイグル人の居住地区と漢民族の居住地に分かれている。言語、宗教、生活習慣が違うだけではない。民族の違いによる所得格差が歴然としている。同じことはチベットでも言える。民族自治区域において、その土地の少数民族が貧しく、外来の漢民族が豊かなのは、民族政策に問題があるのではないか。 そう言いたいのはわかる。しかし、現実において民族紛争に見えるものは、宗教的・文化的な対立ではなく、直接的な政治や利害の対立であることが多い。左派の理念が世界認識をしくじるのはそこだ。

    毎日社説 社説:新疆自治区暴動 民族政策に寛容さ欠く - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記
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    castle 2009/07/08
    「しかし、現実において民族紛争に見えるものは、宗教的・文化的な対立ではなく、直接的な政治や利害の対立であることが多い。左派の理念が世界認識をしくじるのはそこだ」
  • 産業資本主義と金融資本主義 - finalventの日記

    今朝の朝日新聞社説の与太を読みながら、そういえば、産業資主義と金融資主義の区別みたいのはあまり見かけなくなったなと思った。私が経済学を学んだころはごく基というか、重要でもあったと思うが。 雑駁に以下。 マルクスには多面性があって、現代的な意義はよく言われるように初期で、後期の、経済学的な集成である資論は、古すぎてなんじゃこれみたいになりつつあるというか、ローマーあたりの議論が面白いのかもしれない。それはそれとして。 資論には、これもいちおう言われてもいるのだが、初期哲学とは別の哲学が込められていて、そこが難しい。松尾さんとかの議論を見ていると、疎外論として取り出したいのだろうと思うが、私はちょっと違うかなと思っている。 資論の最大の問題は、1巻で全貌が見えるようでありながら、実際には3巻の、市場の問題が反映している。市場をどう捉えるかなのだが、雑駁きわまりなくいえば、マルクスの

    産業資本主義と金融資本主義 - finalventの日記
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    castle 2009/06/22
    「マルクスの言う市場は、「公」の経済幻想として必然的なプロセス概念を包含しており、価値は市場を介さないと生まれない~生態学的な、ポランニの原型のようなもの」「実は複式簿記は「プロ倫」から生まれている」
  • [書評]イスラムの怒り(内藤正典): 極東ブログ

    もう15年ほど前になるが私がトルコ旅行をした後、内藤正典のトルコ滞在記「トルコのものさし日のものさし」(参照)を読み、自分と同世代で、普通のムスリムの生活をやさしく見つめるこの論者に関心を持ち続けてきた。近著「イスラムの怒り(内藤正典)」(参照)も、普通のイスラム教信者の視点から、西洋が彼らに浴びせる非難について、イスラムの心がどう受け止めているのかをわかりやすく解き明かしている。 特に書名が暗示するように、普通のイスラム教信者が、異教徒の言動の、どこに怒りを覚えるのかという問題に重点が置かれている。日が今後、対外労働者をどの程度まで入れていくのか現状では不明だが、世界最大のイスラム教国インドネシアとの人的交流が活発化するなか、同書で述べられているイスラムの「常識」は普通の日人も理解したほうがよいだろう。できることならイスラム教と限らず、異文化における生活人の思考様式のごく常識的な部

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    castle 2009/06/21
    「寛容は「自分たちに干渉しなければ(他者は好きではないが)我慢できる」」「それ(イスラムの平和的性格)が一瞬にして暴力もいとわない怒りへと激変する」「近代合理化・脱宗教化は、それ独自の力と運動を持つ」