暮らし 家族全体から反対される結婚をした妹は、離婚後に「あの時みんなが反対していた理由がやっとわかった」と言った
母子手帳の母の名前が違った。 出生時刻が知りたくて(推しの影響で占いにハマってる)親の部屋にしまってある母子手帳を見た。 ぱっと開いたページに挟まってた診察書みたいなやつの母親の欄に知らない名前があった。苗字は一緒なのに下の名前が違う。でも子供の名前はちゃんと私。 最初は医者の書き間違いだと思った。 でも、年齢もおかしかった。母は今40代なのに、そこに書いてある年齢に私の歳を足すと50歳を超えてしまう。 私は長女なのに、経産に丸が付いていた。 表紙をちゃんと見てみた。母親の苗字はそのまま、下の名前には修正テープが貼られてた。第2子って書いてあった。 表紙をめくってすぐの母親の生年月日を書くところは全部修正テープで隠してあった。 妹の母子手帳を見てみた。 表紙には母親のフルネームがちゃんと書いてあった。第1子って書いてあった。 父がバツイチなんて聞いたことが無かった。 私の一番古い記憶は3歳
私は30代前半の女である。 男性とお付き合いした経験はあるけれど、処女だ。 母親がやたらと婚前交渉を悪だと思っていて、私が10歳の頃に映画かなにかでカップルだったか夫婦だったかがセックスした感じの表現を早送りで飛ばして、映画(かなにか)が終わったあと少なくとも私にとっては唐突に「増田ちゃん、結婚するまで男の人とこういうことしちゃだめだからね。約束して。もし結婚もしてないのにこういうことになって、あんたが大変な目にあっててもお母さんは何もできないから。お母さんもお祖母ちゃんもそうやって生きてきたから、あんたも守ってほしい。守れなくて、もしだまってそういうことしちゃったら絶交する。約束守れる?」 大体こんな感じの事を言われたと思う。 私の頭に強く刻まれたのは母と「絶交」という考えもつかない状況への恐怖だった。 普通に考えればなんとも幼稚というか、なんでそこで個人として「絶交」すんねん、という謎
犬を安楽死させて後悔しているブログはよく見かけるけど、犬を安楽死させなかったことで後悔してる人っている? 今日、飼い犬の老犬が死んだ。 もう18才で、半年以上介護の末の死だった。 ただ、家族に看取られながら安らかに逝ったわけではない。 炎天下の中で水を求めて、苦しみながら死んだ。 安楽死させてやればよかったのだ。 しかし、いくら考えても、死に正しい答えなどない。 外飼いの犬の介護は地獄犬は三半規管を悪くして自力で起き上がれず、半年くらい寝たきりのオムツ生活だった。 水、エサも自力で口にできない。 水を注射器で吸い上げ、口元にもっていく。それを1日に数回しなければならなかった。 オムツは気持ち悪いのか、つけようとすると手足をバタバタさせて嫌がった。 でも、オムツをしないとコンクリートの上に糞尿がぶちまけられて掃除に1時間以上かかる。 そして糞尿にハエや虫がたかり、衛生状態が悪くなる。 嫌がる
2012年05月31日09:00 カテゴリ書評/画評/品評Love 違いと差の違い - 書評 - だからこそできること 出版社より献本御礼。 だからこそできること 武田双雲 x 乙武洋匡 やっと得心した。 「みんなちがって、みんないい」を。 なんだ。簡単なことじゃないか。 本書「だからこそできること」と「五体不満足」の違いは何か。 共著であるということである。 ほとんど差がなくて、しかし決定的な違い。 この違いのおかげで、理性では即座に理解したのに、感性では納得しきれなかった「みんなちがって、みんないい」が心に収まった。 その前に、まずは「五体不満足は不便だけど不幸じゃない」という乙武の主張を検証してみよう。あまりに立派な台詞ゆえ、これは著者の本心ではなく強がりなのではないかという疑念を読者は払拭できなかったのではないか。 特に、このような場合は Amazon.co.jp: カスタマーレビ
子育てを行政が全く支援しない(正確には古い旧態依然とした仕組みのままで、今の子育てに合っていない。予算は使ってるのに必要な人に届かない)事に対する不満エントリを書くと、これから子供作るかと思っている人を怖気づかせてしまうかもしれないので。 いい話も書く。自分の中のバランスとり。 ■子供で大変な事は慣れる 泣く喚く騒ぐ。空気を読まない。所構わずゲロを吐く。ウンコする。 これは酔っ払いや、ボケ老人を思い浮かべると良いと思う。まさにアレだ。 そしてそれが24時間体制。 自分も第一子が出来た時、正直これが3年続くのは耐えれないんじゃないかと思った。(3歳になるとオムツが外れるから多少マシに) が。慣れる。慣れてしまう。人間と言うのは慣れる生き物だから。良くできている。 子供をフロに入れたり、オムツ替えたり俺には出来ないんじゃないかと思って居たがどうにかなった。 自分の時間が無くなるんじゃないかと覚
こういう話を読むと、胸が痛むんだわ。 「少子化対策…女性は若い時に結婚を。40歳過ぎると男性と距離あく」発言に、「女性蔑視!人権侵害!」批判→那覇市議、謝罪 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1700858.html 34歳で結婚して、35歳で童貞を捨てた私としては、いま思い返すに結婚なんて出来ないと思っていたんだ。ましてや、自分に子供ができるなんてことも、思いもよらなかった。だから、金ばかりあって、しかもケチなもんだから使い方を知らない。せめて、有効に使ってもらおうと、同じく結婚できない人たちと一緒に児童養護施設に少しばかりの寄付をしていたわけだね。 でもだな、施設に来ている子供たちというのは、親から望まれない存在だったり、愛し方が分からない親を持ってしまったり、さまざまないきさつがあって、そして何らかの助けがあって施設に住んでる。帰る家が
「敬老の日」の2011年9月19日、ニコニコ生放送では敬老の日特別番組「R75~次世代へのたすき~」が放送された。番組では、"R75"世代を代表して4人のゲストが招かれ、戦争体験や高度経済成長期の思い出を語った。司会の角谷浩一氏から、戦争体験について聞かれた穐山和子さん(75歳)は、疎開先から「ランドセルにお餅やお米を入れて帰った」とき、「東京の空襲で、座敷から自宅にあった工場の台の下まで、爆風で飛ばされた」という経験を語った。 1936(昭和11)年生まれで太平洋戦争中まだ幼かったという穐山さんは、栃木県に疎開していた。そこが山奥だっただけに、防空壕はあったものの危機感を抱くまでには至らなかったという。「空襲があっても、そこに布団とラジオを持ちこんで、(戦争という)実感がなくて、遊んでいるようだった」と、当時を振り返る。そんな穐山さんが一度東京に戻ったときのことだ。 「ランドセルのなかに
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