バカ殿に出演した台湾人に中国人激怒!志村を天皇と勘違いし「天皇に跪いた!大陸から締め出せ」 1 名前: フラスコ(福島県):2010/01/25(月) 18:30:08.06 ID:MJY5n2uT ?2BP 2010年1月7日放送のフジテレビ「志村けんのバカ殿様 初笑い!時代劇スペシャル」に台湾のマジシャン、劉謙氏が出演した。これに対し、中国のネットメディア「環球網」の掲示板には、劉謙氏が出演したシーンのキャプチャーとともに「日本の番組で劉謙が天皇に跪く」と題する書き込みが寄せられた。 書き込みでは、「劉謙氏は天皇に跪いたほか、幼少の頃から殿のファンだったと語った。劉謙氏の悪劣極まる行為は13億の中国人民の感情を傷つけた」とし、劉謙氏を中国大陸から全面的に締め出すべきだとした。 掲示板に書き込んだ中国ネットユーザーは、バカ殿を演じる志村けん氏は「天皇陛下」を演じていると勘違いしてい
こちらの話↓ 特例で天皇会見を要請 副主席訪日で中国政府 すでに背景については 「天皇陛下、中国副主席を異例のご引見→中国ネット民の反応 〜前座〜」 の記事で説明してあるので、いきなりスレ翻訳から始めることにする。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 【[時事]日中関係にまた一波乱ありそうだぜ】 原題「[時事聚焦]中日關系似乎又要起波瀾!!!」 天涯論壇 国際観察板 http://www.tianya.cn/publicforum/content/worldlook/1/243864.shtml 1 名前:名無し天涯民@人民の生活が第一 2009-12-11 20:05:00 「天皇陛下、15日に習近平中国国家副主席と会見へ」(日本共同通信中国語版) ※原文ではニュース記事が転載されているが、ここでは概要を示すに留める。 「◆詳訊:
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "魔縁" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年5月) 魔縁(まえん)とは、仏教用語で、障魔となる縁(三障四魔)のこと。また特に第六天魔王波旬を指す。また、いわゆる慢心の山伏である妖怪の天狗、即ち魔界である天狗道に堕ちた者たちを総称していう場合もある。 仏教の魔縁[編集] 三障四魔(さんしょうしま)とは 三障(梵: āvarana-traya) 聖道を妨げ、善根を生ずることを障害する3つ 煩悩障 仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き 業障 魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/22(金) 21:26:21.12 ID:FfPlzBwdO 語ろうぜ 古代史の天皇の系図 三種の神器の行方 源頼朝の死因 聖徳太子非実在説 本能寺の変の動機などなど… なんでもいいよ 117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/22(金) 23:58:36.84 ID:pzkcXDXR0 謎だからこそ歴史にはロマンがある 182 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/23(土) 12:10:11.30 ID:rjTDPj020 ところで1に書かれてる頼朝の死因の謎ってなんなの? 184 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/05/23(土) 12:18:11.64 ID:0O6VARVdO >>182 一般には落馬が元で死ん
【裁判】 「君が代強制が元で、家族を失うのと同じぐらいの喪失感…この苦痛は君が代症候群だ」…砕かれた教師倫理、精神科医が証言 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2009/02/19(木) 17:18:37 ID:??? 東京都教委の「日の丸・君が代」強制に従わなかったことを理由に処分された都立学校教職員六十六人が 処分取り消しなどを求めた裁判の第四回口頭弁論が十八日、東京地裁(中西茂裁判長)で開かれ、精神科医の野田正彰・関西学院大学教授が原告側証人として証言に立ちました。 野田氏は、一次、二次の原告十三人への面接等を通じた鑑定意見書に基づいて 「日の丸・君が代」の強制で原告が受けた精神的苦痛について証言しました。 強制によって子どもの納得のもとに教育をすすめるという「教師としての職業倫理」 が打ち砕かれているとし、「家族や自分の命を失うのと同じぐらいの喪失
小説『天地人』の最初の方に、「方法論」という言葉が出てくる。もはや時代が変わり、信長のような新しい戦いの方法論を考えなければならない、という文脈である。しかし、これは「方法」だけでいいのである。あと続けて読んだら「命題」をもろに誤用していた。 だが学者でも「方法論」を「方法」の意味で使う人は多い。「方法論」というのは、方法に関する議論のことである。「方法」だけでは、普通の言葉過ぎると思うのだろう。これと似た関係にあるのが「美」と「美学」で、「美学が感じられる」という時、実際は「美」でしかなかったりする。 - 『新ゴー宣』で、天皇を本気で神だと信じていたのは、大東亜戦争時分に子供だった「小国民世代」だけだと書いてあった。これは興味深い指摘だ。同じように、明治43年までの日本人は、それほど天皇を崇拝すべき、畏怖すべき存在だとは思っていなかったのである。 ところがここに面白い事例がある。1929
猫猫先生⇒「方法」と「方法論」 - 猫を償うに猫をもってせよ 『新ゴー宣』で、天皇を本気で神だと信じていたのは、大東亜戦争時分に子供だった「小国民世代」だけだと書いてあった。これは興味深い指摘だ。同じように、明治43年までの日本人は、それほど天皇を崇拝すべき、畏怖すべき存在だとは思っていなかったのである。 これは私の父(大正生まれ最後)の世代に人には当たり前のことだった。普通に「天ちゃん」とか言っていた。普通に、「あ、そう」とかギャグ飛ばしていた。「なるたん憲法」なんていう言葉もそのころの名残かもしれない。さらに普通に大正天皇は民衆から変に思われていた。 このあたり、しかし嘆息したのは、「大東亜戦争時分に子供だった」吉本隆明かな。彼は学生時代、さすがに天皇を神と信じていたわけもないが、現人神というか理念には従っていた。山本七平との対話でもそのあたりがずれまくっていた。 山本七平にしてみれば
日本は天皇によつて終戦の混乱から救はれたといふが常識であるが、之(これ)は嘘だ。日本人は内心厭なことでも大義名分らしきものがないと厭だと言へないところがあり、いはゞ大義名分といふものはさういふ意味で利用せられてきたのであるが、今度の戦争でも天皇の名によつて矛をすてたといふのは狡猾な表面にすぎず、なんとかうまく戦争をやめたいと内々誰しも考へてをり、政治家がそれを利用し、人民が又さらにそれを利用したゞけにすぎない。 日本人の生活に残存する封建的偽瞞(ぎまん)は根強いもので、ともかく旧来の一切の権威に懐疑や否定を行ふことは重要でこの敗戦は絶好の機会であつたが、かういふ単純な偽瞞が尚無意識に持続せられるのみならず、社会主義政党が選挙戦術のために之を利用し天皇制を支持するに至つては、日本の悲劇、文化的貧困、これより大なるはない。 日本的知性の中から封建的偽瞞をとりさるためには天皇をたゞの天皇家になつ
例によって「朝まで生テレビ」の音だけを聞きながら作業していたのだが、2008年8月30日放送の回はなかなか面白かった。何が面白かったかっていうのがなかなか伝えづらいうえに、いい加減に聞いてたんであんまり理解してるわけでもないんだけど、今時点で覚えてることを(まちがってたらごめん)ちょっとメモ程度に書いておく。 8月のテーマは「激論!これからの“皇室”と日本」。うわわっていうテーマ。司会の田原総一朗(敬称略。以下同様)によると「リベラル系の人から何人も出演を断られた」とか。で、こんな感じ。 皇太子さまが結婚されて15年、以来、皇位継承問題、雅子さまのご病状、ご公務についてなど、世間の関心も高くなっています。 そこで今回の「朝まで生テレビ!」では、「これからの皇室」はどうあるべきなのか、等を討論する予定です。 司会: 田原 総一朗 進行: 長野 智子・渡辺 宜嗣(テレビ朝日アナウンサー) パネ
ネット上に“眞子さま萌え”が広がっている。秋篠宮親王の第一王女・眞子内親王は、今年高校2年生になる16歳。そんな眞子さまに対して、ネットを中心に「かわいい!」という声が上がっているのだ。 ネット上で眞子さまが注目され始めたのは、内親王が中学校に入学した4年ほど前から。当時、真新しいセーラー服に身を包んだ眞子さまがテレビなどに取り上げられると人気が爆発し、眞子さまを模したイラストや動画が次々に投稿され、有志によって「秋篠宮眞子さま御画像保管庫」なるサイトまで立ち上げられたのである。 さらに昨年9月には、動画共有サイト「ニコニコ動画」に「ひれ伏せ平民どもっ!」というタイトルの、眞子さまをモチーフにした動画まで登場。この動画の閲覧数は現在までに34万件を超え、8万6000件ものコメントが寄せられる大ヒットとなっているのだ。 こうした動きに対し、当の宮内庁は「皇室に対する誹謗や侮辱に関しては、相手
そこでさっそくですが、アレントを離れて、匿名擁護の議論をします。 日本の公共性はどこに?や【やめて下さい!】学級会【いけないと思います!】に書いたことだが、日本には「公的領域」は確立していない。日本だけでなく、世界のほとんどの国に「参加者相互の対称性」にもとづく「討議」という概念は土着的には存在しない。 アテネでそんなものができたのがひとつの奇跡で、それがローマに継承されたのがもうひとつの奇跡である。 ただ、この二つの奇跡は既に起きて、ある程度のその効果は立証されているのだから、今は、どこの国でもそれを輸入するのは簡単だ。「アレント100回嫁」ですむ話だ。 しかし、日本では、もうひとつ別の奇跡が起きていて、別の形の「公」が確立されている。 大企業の中で(周辺で)仕事をしていれば実感できる話だと思うが、大半の大企業は事業部に分割されていて、本社がそれを統括している。事業部から本社を見る視線が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く