Tokyo, August 11, 2024 — "NEO: The World Ends With You" is a highly anticipated sequel that continues the legacy of the beloved original game. As a follow-up to the critically acclaimed "The World En...
2010年03月05日08:00 カテゴリValue 2.0 笑い事ではなくなってしまった都市伝説をみっつを論破するを一つ論破する 他の二つはとにかく、真ん中の一つが破綻している。 金融日記:笑いごとではなくなってしまった都市伝説みっつを論破する 都市伝説2: 派遣労働は派遣会社が派遣社員の給料をピンハネして搾取するので禁止すべき ひとことでいえば、ピンハネで搾取されていると思うなら辞めればいいじゃんということです。 先進国はどこでも職業選択の自由が保障されているので、何人たりとも強制労働させられることはありません。 この論法のどこが詭弁かというと、本来は定量的な「自由」というものを、あたかも定性的なものであるかのごとく語っていること。私自身の実例を上げると、実家が全焼して大学を中退したての時の私と、404でぐぐっても 弾でぐぐってもトップに来る今の私とでは「自由」の量が違うのに、どちらも
自分よりすごくない奴に興味を持てない。 自分と同じだ~って思える人がいない。 自分よりすごい人は見上げてるだけで接点がない。 結局、誰とも何も共有することなく、ただ自分よりすごい奴ばかり見てると 気力あるときは「よしオレもがんばるぞ」と気合はいるが 弱ってるときは「オレってなんでこんなにダメなんだ」と鬱ってしまう。 しかし弱っている時に限って、ネットとか見てしまう。 トータルで見ると、ネット見るようになってからダメになってしまっている気がする。 一般論でネットがダメとかいう話じゃなくて、 どうやったらうまくネットと付き合っていいのかいまだによくわかんない。 ネットの上では、「いいところも悪いところもある人」じゃなくて 「いい人のとくにいいところ」「悪い人のとくに悪いところ」ばかり見えるので 時々人間じゃない人工物の中に紛れ込んだような錯覚を覚えて気持ち悪くなる。 「僕と同じようなタイプだ~
このところ、江藤淳の痛みのようなことをぼんやりと考える。彼も自決だった。そして、その自決は三島由紀夫と同質でもあったかもしれない。 江藤は32年生まれ。昭和7年だ。三島は1925年(大正14年)。私の父が26年生まれ。 父は大病で結果的に戦死を免れ、私がこの世にいる。彼の兄、つまり私の伯父はインパールで戦死した。つまり、殺された。父は私をその兄に似ていると見ていたふしがある。私は伯父の転生かもしれない(冗談ですよもちろん)。 三島も実質戦争を免れた。そのことを内心、忸怩たる思いがあっただろう。彼は団塊世代の上にあたり、GHQの所作も見てきたし、戦後日本の欺瞞も見ていた。耐えられなかったというのはわからないでもないが、それより、自身の確立がGHQなるものとそれに結託する日本的なるものに耐え難かったのだろう、というのはわからないでもない。天皇崇拝みたいなものは、偽悪的に言えば、そうした仮託の偽
地球号食堂というテレビ朝日の番組で、「凍みこんにゃく」なる食物が取り上げられていた。 凍み豆腐と同様に天然のフリーズドライをしたこんにゃく。好き好みで言えば、俺の好みではないっぽいんだけど、こういう食文化が日本にはあった、という話。 で、例によって後継者難。老夫婦が作ってるけど、半人前の商売にしかならないから息子は継がないし、老夫婦も継がせたくない。 日本中でこういうものは多いと思うんだよね。老人が年金をもらいながらほそぼそと守ってるようなものが。 幻の凍みこんにゃく(12枚) 年寄りが守ってる伝統文化だけじゃない。若い衆が作ろうとしている新しい文化だって、それじゃ半人前しかメシが食えないから結局断念して消えていく。 じゃあ断念した若い衆がどんな仕事をしてるかって、労働力市場のダンピング競争に参戦させられて、むりやりゼニを使って経済を回そうという無駄遣い政策にタカってる。 もはやこの国では
インターネットは五〇年代から六〇年代にかけての二つの事件の影響を受け、ここまで育ってきたものだといえる。第一は五七年に起きたスプートニックショックだ。・・・アメリカは焦り、六〇年代は科学技術へ重点的に投資した。そしてそのなかの一つが、ARPAネットプロジェクトである。 第二は、ベトナム反戦運動や学生運動に端を発する反体制運動である。こちらは、インターネットの文化をつくりあげる原動力となった。・・・「コンピューティングパワーを、民衆のもとへ」というわけだ。 政府や大企業がコンピュータと情報を独占しようとしていたのに対し、ハッカーたちは世界大で情報共有を実現するネットワークをつくりあげた。情報公開、共有こそ民主主義を支える根幹であり、そのためのツールとしてコンピュータを使うのだ。 その結果、サイバースペースという新しい世界に出会い、彼らの興奮はまたさらに高まる。ふつうの市民生活では出会えないよ
自分が天才じゃなくてただの凡人だってことに、いつ気が付いた? Tweet 3 名前: ドリルドライバー(静岡県)[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 20:56:35.89 ID:vXypHXiE 精子のときに 【日本語は天才である】 8 名前: 霧箱(東京都)[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 20:57:04.24 ID:vbjotgRt まだ 【新作!シューティング × MMORPG】(今までにない超斬新なMMO。爽快感溢れる弾幕ゲー) 12 名前: ミリペン(関西地方)[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 20:57:25.55 ID:BK9eWMpf ゆうくんは小学校のテスト満点ばかりだったよね やればできるんだよ 始めるのがおそいだけなんだよね 16 名前: 輪ゴム(神奈川県)[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 20:57:5
晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)という本の背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して
今のうちに宣言しておくがもしブロガー将棋大会なんてものが行なわれるとしても私は絶対に出ない。もし出て自分の棋譜がネット上に晒されたら、もう恥ずかしくて二度と将棋のことを書くことができなくなってしまう。それくらいヘボなので絶対に出ないよ。 でも、ヘボでもプロの将棋を鑑賞して楽しむことはできる。大きな対局では棋譜中継というのがあって、ブラウザから解説付きでリアルタイムの棋譜を見ることができる。Kifu for iPhone というソフトを使うと、iPhoneから見ることもできる。 当然、盤面だけを見てもチンプンカンプンなのだが、プロ棋士の解説がつくと、単に勝ってる負けてるだけはなくて、何が争点になって、それがどういうふうに推移していくかよくわかる。勝負の決め手となる重要な場面で何が起きたのかもだいたいわかる。 電車の中でワクワクしながら、固唾をのんでiPhoneを見てたりして、「本当にいい時代
東大准教授「なぜ日本人は労働に人生を捧げるのか?過労死とかあり得んだろ常識的に」 Tweet 1 名前: イカ巻き(大阪府)[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 23:04:28.09 ID:PBMYrjX1 BE:653654063-PLT(12056) ポイント特典 社会のなかで「希望」を考える際に、希望を失った層について分析することが不可欠だ。 昭和40年代半ばから現れ始めたとされる「ひきこもり」の人たちや、長期間、定職を持たず アルバイトを繰り返すフリーターと呼ばれる人たちのなかにも、「希望を持たない人」が 多くいる。 ひきこもりに詳しい大阪大非常勤講師の井出草平氏(29)=社会学=は「ひきこもりの 自殺のことを最近、聞くようになった」という。 ひきこもりは、いまや数十万人の規模と概算されている。昭和40年代前半に生まれた 「ひきこもり第一世代」が40〜45歳になった。
寝坊した。産経新聞一面の梅田さんのコラムが興味深いものだった。思索を深化させていくと逆に読む人が限定されていく。その限定を緩和させると、単純化・図式化が進む。しかたがないとは言える。ネットに掲載されているかと見るとあった(参照)。この問題視点は難しい。 これからのウェブ世界は、こうした欧米の価値観やイデオロギーに強く牽引(けんいん)された「共有地たるグローバルウェブ」(主に英語圏)と、「政治体制や文化・言語圏に閉ざされたローカルウェブ」がせめぎあい、分断されて林立する時代を迎えるのであろう。グーグル中国問題は、そんな21世紀のウェブ進化のひとつの方向性を示唆するものである。 私の考えでは、Google+英語がもたらすインパクトは、文化圏や政治体制のクローズにおけるダイコトミーとは完全に重ならない。私の思索のキーワード「滑らかな浸潤」をふと想起するが、そこまではわからない。ただ、Google
自分はずっと普通の人間だと十九年間思ってきたわけだけど、 割と最近、「俺って頭いいのかもなぁ」ってそう思うようになってきた。 わかりやすいところで言うと学力がある。自分はなぜかやらなくてもできてしまう。 予習、復習もしてないし、ノートの取り方が上手いわけでも、特別な暗記術があるわけでもない。 普通にけっこう聞き流したり、よそ見していたり、落書きしたりしていても、 なぜか頭に入っていてテストで上位に入ってしまう。 それで塾とか予備校とか行ってる人を見ると「うーん、この人たち変なの」って思ってた。 「一年勉強して日大って……」と割と本気で思っている。 だって普通に一日八時間、いや六時間は勉強していたらもうちょっといいとこ受かるでしょう。 特別なことをするんじゃなくて普通に、例えば英語なら 単語、熟語、文法、構文を暗記していく。これだけだと思うんだけどね……。 といっても、このくらいの意見でもか
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