昨日の書き込みで日本は、遣唐使貿易システム→平安鎖国→宋銭輸入システム→徳川鎖国→加工貿易システムという変遷をたどってきたという仮説を提示しました。 対外交流が活発だった時代に輸入したのは、文化、と外貨でした。近代の日本の貿易の目的が外貨というのは少し説明が必要かと思います。 日本は国土が狭く資源が少ないので貿易して生活必需品を手に入れなければならないという説明がよくなされますが、それは正確ではありません。江戸時代でも、そして現在でも食糧だけならば自給は可能です。近代の日本とそれを真似したアジア諸国が貿易黒字を積み上げてきた理由は、ドルと兌換可能な国内貨幣を発行するためというのが私の考えです。 日本は大正までは欧州、昭和以降は米国に対外資産を積み上げました。これは結局返してもらってないのですが、そのような必要はありません。外に積み上げた資産の分だけ、円に国債流通性が付与されます。これにより
八月二十八日 今の世界経済の不調は、全て経済学で簡単に説明がつきます。バブルが弾けて資産価値が縮小し、資金の借り手がいなくなって需要が縮小した。それに対して供給力は過剰であるのでデフレになっていると。 日米欧、文化の違い、政治体制の違い、小さな政府と大きな政府の違い、輸出国と輸入国の違い、それらを全て超えて、債務・需要・供給の三点セットだけで説明がつきます。これほど経済学がきれいに当てはまるのも珍しい。 これは経済学の勝利です。ですから経済学者やエコノミストは、自らの学問に自信を持って、この不況のメカニズムを説明するべきでしょう。 しかし現状はその反対で、経済学者とエコノミストは元気がなくなっています。なぜでしょうか?それは彼らが経済の研究をしたくて経済学をやっているのではなくて、政治に口出しがしたくて経済学をやっているに過ぎないからです。 だから小さな政府が失敗したと言っては落ち込み、増
八月十八日 ギリシャは将来もユーロ圏か・・・ 損切りをした方が損害が小さいと思うのだが。 手続き的には通貨解体は面倒だろうけれど、混乱したとしても負債の総量は変わらないのだから、最終的な損害は早く損切りする方が少なくて済むというのは不良債権を処理するときの基本のはず。 生産性というのは金額で計るもので、がんばり度ではかる物ではない。だから、南欧の人たちはいくら頑張ったところで、ドイツマルクが多少安くなったに過ぎないユーロを使用していて、あの技術力で生産性が上がるはずがない。 南欧の人たちの労働時間は確かに少ないかもしれないが、増やしたからってどうなる物ではない、だからサボタージュで抵抗している南欧の人たちの認識は正しい。もっと頑張れば立ち直るはずというドイツ人のいっていることはひどい。 本当に南欧の人たちの生産性を伸ばしたいのなら、インフラをドイツ並みにし、ドイツの技術を根こそぎ移植しない
一月十日 エジプトのムバラク大統領が退陣し、軍部に政権を委譲しました。チュニジアに続いての市民革命です。軍が後ろ盾になった革命ですので、左翼がイメージする市民革命とは多少違いますが、英国の名誉革命や明治維新やトルコのアタチュルク革命では軍事政権が樹立されましたので、これらの政変を市民革命の一種と考えれば、チュニジアとエジプトの政変も市民革命と行っていいと思います。 私はムバラク政権はそう簡単には倒れないだろうと思っていたのですが、北アフリカの人たちの意識の高さについて認識を改めなければと思いました。強権的政権を倒した民衆もさることながら、内乱を避けて自発的に身を引いた独裁者も見識が高いといえます。今のところ権力を濫用していない軍部も立派です。 チュニジアとエジプトの軍部の中にはおそらく軍事政権が近代化と民主化を前進的に進めたトルコのアタチュルクが模範としてあるのでしょう。 さて私が急に支那
八月四日 【二百十日】 尖閣諸島で違法操業をした上に海上保安庁に攻撃を仕掛けてきた支那の漁船が拿捕されました。当然のことです。 どう考えても、与党の党首選で指揮系統が混乱している隙を狙った工作活動ですが、日本の武力組織というのは中央の統制がきかない時ほど攻撃的になる傾向があり、中央の統制がきいている時は猫のように従順になる傾向があります。 支那人の場合は、中央の統制がきいている時でないと攻撃的にはなりません。そうでないといざというときの助太刀が期待できませんからね。 中共は日本の強硬姿勢にビックリしていろいろやっているようですが、これは満洲事変や日華事変でわかっているはずだと思っていたのですが・・・
本来の均田制は収税単位は個人で、個人に土地が配分されて、その個人が年貢を払います。ですが、個人の力量を無視した一律の税率では実態にそぐわないために裕福になる人と困窮する人が生じてくる上に、災害や疫病などで農村が荒廃してくると、決まり通りに土地を配分することが不可能になり、担税能力を持つ生産力がある農民が、複数の土地の経営を請け負って税金を納めるようになります。 それでも官庁の帳簿上は「個人」が生きていて、担税能力を持つ農民が帳簿上の個人を複数兼ねて徴税を請け負うようになります。この帳簿上の個人を「名」といいます。 「名」というのは元々は古代の均田制の徴税単位で、これがやがて土地の耕作権となっていくのです。 律令国家は戸籍を作って人間の数を把握して土地を配分して農業生産をさせて収税をするのが本来の姿ですが、唐や新羅の脅威が薄れて徴兵をする必要がなくなると、人口を把握する必要性も薄れて、朝廷の
陰暦 一月二十一日 【啓蟄】 今の先進国の経済の大きな問題の一つとして「雇用につながらない経済成長」が挙げられると思います。これまでの経済成長は雇用の拡大と生活水準の向上と必ずセットでしたので、豊かさにつながらない経済成長へのとまどいが先進国の人たちから出ています。 第二次世界大戦後の経済成長が雇用の拡大と生活水準の向上につながっていたのは、まず第一に人口の拡大があったこと。戦後の30年間で先進国の人口は1.5倍くらいになっています。1.5倍の人口に商品を提供するために製造業もサービス業も規模が拡大したというのがまず一つ。 さらに今までになかった新しい商品が次々と生活に加わっていったからと言うのが一つ。テレビ、自動車、洗濯機などどれもこれまでにはなかった商品です。新しい商品を生産するために純粋に新しい雇用が生み出されました。 現在の先進国の経済成長が雇用につながっていないのは以上二点の裏返
民主党が行っている事業仕分けなる物が、財務省のシナリオであることが明らかになりました。事業仕分けで極秘マニュアル=財務省の視点を指南−政治主導に逆行・行政刷新会議(時事通信) 財務省というのは使う金を削るのがお仕事ですので、ガリガリ削ります。無茶な理屈をつけてでも削ります。これは仕事ですので当然です。それに対して使う側の省庁は当然の事ながら弁を奮い事業の有用性を解いて予算を確保します。これも仕事ですので当然です。 今回の事業仕分けなるもの、財務省の仕事ぶりを表に出したという意味では意味がありますが、それだけでは片手落ちです。きちんと使う側の省庁に事業の有用性を訴える場を作らないと公平ではありません。即ち復活折衝を今回の事業仕分け並みのパフォーマンスの場にしないと不公平です。 現在のメディアは財務省の理屈の肩をばかり持っています。そりゃあ財務省の官僚は頭がいいですから、いくらでも大向こう受け
陰暦 九月二十六日 今の民主党のやり方は、あれは組織いじりとか経費節減とかですので行政府の現場の改善レベルの仕事ですよね。国会というのは国家における取締役会だと思うのですが、取締役が便所の紙の長さを測るようなことばかり(たまにはそう言うことも必要ですけれど)していては会社の経営は硬直化します。 そりゃ経営がうまくいっている会社は現場の改善活動が活発であるかもしれませんが、それだけで会社が動いているわけではありません。経営者がしっかりとグランドデザインを描いた上でその目標へ至るための現場の活動があるわけです。 経営者が現場の改善活動の監視をするだけで会社がうまくいくのは、会社のグランドデザインの見直しの必要が全くない、すごく幸せなときだけです。 今の日本の場合、そもそも会社の本業を変更しなければならないのではないかとか、従業員の給与や取締役の賞与を大幅カットしなければとか、社運をかけて新商品
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