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ブックマーク / ameblo.jp/t-kazuo (58)

  • 『イラク 石油に呪われた国(12)』

    1.イラク石油の歴史(前回 のつづき) (3)イラク戦争開戦後の状況 イラクの油田の潜在力は潜在力のままであった。巨大な油田が手付かずのまま残されていた。2003年3月アメリカの対イラク攻撃が始まった。4月にはバグダッドが陥落し、5月にはブッシュ大統領が大規模戦闘集結宣言を行なった。アメリカにとって大変だったのは、ここからであった。驚くべきことに、アメリカはイラン統治のための詳細な計画を有していなかった。 首都バグダッドでは住民による政府官庁の略奪が発生したが、アメリカ軍は傍観しているのみであった。唯一の例外は石油省を守っただけであった。これが、またアメリカが石油のためにイラクを攻撃したとの疑惑を深める結果となった。アメリカはバース党、軍、秘密警察などを解体した。イラクというまとまりの悪い国家を一つにしていた装置全てを破壊した結果となった。夏に入るころには、スンニー派の多い、中部地域を中心

    『イラク 石油に呪われた国(12)』
    castle
    castle 2010/06/27
    「アメリカはバース党、軍、秘密警察などを解体した。イラクというまとまりの悪い国家を一つにしていた装置全てを破壊した結果となった」「海外からアメリカと戦うために多くの急進派(アル・カーエダ)が流入した」
  • 『イラク 石油に呪われた国(11)』

    1.イラク石油の歴史 (2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき) 1991年に湾岸戦争でイラクが敗れ、クウェートから撤退しても状況は変わらなかった。フセイン政権が存続したため、国際社会も経済制裁を続けたからである。もちろん石油生産は日量二百万バレル程度の低いレベルでは続けられたが、新規油田の開発には手がつけられない状況であったし、生産設備も老朽化する一方であった。1996年にイラク国民の困窮を救済するために、国連の管理下での石油の輸出が部分的に再開された。しかし、輸入代金は国連が管理し、料と医薬品のみの輸入が許可されたに過ぎなかった。 一部でも石油の輸出が許可されると、イラクはこれを外交上の取引材料に使った。イラク原油の購入の権利を入札で落札できたのは、ロシア中国、そしてフランスなどのアメリカの対イラク政策に批判的な諸国の石油会社が主であった。アメリカ、イギリスの各社は当然のこ

    『イラク 石油に呪われた国(11)』
    castle
    castle 2010/06/25
    「96年イラク国民の困窮を救済するために国連管理下での石油の輸出が部分的に再開~イラクはこれを外交上の取引材料に使った。原油の購入の権利を入札で落札できたのは露中仏(米国の対イラク政策に批判的な諸国)」
  • 『イラク 石油に呪われた国(10)』

    1.イラク石油の歴史 (2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき) イラクにとっては石油輸出の続行は大砲のためにもバターのためにも死活問題であった。イラクという国の海岸線は非常に短い。ペルシア湾岸にわずかに面しているに過ぎない。戦争が始まると、すぐにペルシア湾岸からの石油の輸出が止まった。イラク原油はシリア経由のパイプ・ラインでも輸出されていたが、シリアがイランと同盟関係を深めると、このパイプ・ラインは閉鎖されてしまった。イラクは北のトルコへ抜けるパイプ・ラインで輸出を続けた。また能率は悪かったが、タンク・ローリーでヨルダン経由での輸出が行なわれた。イラクからヨルダンの首都アンマンを結ぶハイウエィ、通称バグダッド街道がイラクの命綱であった。首都アンマンから南のアカバの間も一直線のハイウェイが結んでいた。アカバは紅海に抜けるヨルダンの唯一の港である。イラクからアカバへとタンク・ローリー

    『イラク 石油に呪われた国(10)』
    castle
    castle 2010/06/24
    「イラクにとっては石油輸出は死活問題」「戦争が始まると(イラクの海岸線は短いために)すぐにペルシア湾岸からの石油の輸出が止まった」「シリアがイランと同盟関係を深めるとパイプラインは閉鎖されてしまった」
  • 『イラク 石油に呪われた国(9)』

    1.イラク石油の歴史 (2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき) シーア派が多数派ながらスンニー派が支配し、しかも世俗的なイデオロギーを掲げるバース党には、これは脅威であった。バースとは「使命」という意味である。これは、アラブの栄光を復活させるという使命を意味している。その方法論としてバース党が主張したのが、アラブの統一と社会主義である。つまりバース党は世俗的な政権であった。それゆえイスラムを掲げる革命イランとは、この面でも肌が合わなかった。 イランはイデオロギー的な脅威であったが、軍事的には革命で弱体化したと見られていた。イラン軍はシャー体制の要であったので、革命政権による粛清が行われた。また1979年11月にはテヘランのアメリカ大使館が急進的な学生に占拠され、館員が人質になるという事件が発生した。これで革命政権は国際的に孤立してしまった。フセインはイランからのイデオロギー的な脅

    『イラク 石油に呪われた国(9)』
    castle
    castle 2010/06/24
    「バースとは「使命」。アラブの栄光を復活させるという使命。その方法論としてバース党が主張したのがアラブの統一と社会主義。つまり世俗的な政権。それゆえイスラムを掲げる革命イランとは肌が合わなかった」
  • 『イラク 石油に呪われた国(8)』

    1.イラク石油の歴史 (2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき) バース党政権は石油産業を国有化した。1950年代に石油産業を国有化したイランのモサデク政権は大石油会社のボイコットに苦しめられた。そしてCIAなどによって転覆させられた。だが、1970年代には産油国と石油会社の力関係は逆転していた。かつては石油会社が団結しており、産油国はバラバラであったが、今や産油国もOPEC(石油輸出国機構)というカルテルの場を持っていた。また秘密警察の網の目を張り巡らしたバース党政権は外国の諜報機関に簡単には付け入る隙を与えなかった。事実1967年にはイラクはアメリカと国交を断絶しており、諜報活動の拠点となる大使館をアメリカはイラクには持っていなかった。 この時期、イラクと同じように産油国は次々と国内の外国石油会社の資産を国有化した。かつては国有化ゆえに政権が転覆させられたイランも例外ではなかっ

    『イラク 石油に呪われた国(8)』
    castle
    castle 2010/06/22
    「秘密警察の網の目を張り巡らしたバース党政権は外国の諜報機関に簡単には付け入る隙を与えなかった。1967年にイラクは米国と国交を断絶しており、諜報活動の拠点となる大使館を米国はイラクには持っていなかった」
  • 『イラク 石油に呪われた国(7)』

    1.イラク石油の歴史 (2)フセイン体制化での石油開発(前回 のつづき) この政権の長寿の秘密は何か。飴と鞭である。まず鞭について述べると、秘密警察のネットワークを張り巡らし、国民を監視下に置いた。反対派は徹底的に弾圧された。政治犯が監獄を満たし、国民は恐怖におののいていた。飴の方をみると、1970年代初めから石油の価格が上昇し、イラクは石油ブームに沸いた。これがインフラ建設に向けられた。大学がホテルが道路が病院が続々と建設された。国民の生活水準は目に見えて上昇した。鞭も厳しかったが飴も大きかった。 このバース党支配の下で権力の階段を上った男がいた。サダム・フセインであった。この男の出世は、石油価格の上昇と歩調を合わせていた。不思議な偶然であった。1971年のリビアによる当時としては大幅な石油価格の値上げの成功、1973年の第一次石油危機、そして1978年の第二次石油危機がフセインの出世の

    『イラク 石油に呪われた国(7)』
    castle
    castle 2010/06/22
    「秘密警察のネットワークを張り巡らし、国民を監視下に置いた。反対派は徹底的に弾圧された」「飴の方をみると1970年代初めから石油の価格が上昇し、イラクは石油ブームに沸いた。これがインフラ建設に向けられた」
  • 『イラク 石油に呪われた国(6)』

    1.イラク石油の歴史(前回 のつづき) (2)フセイン体制化での石油開発 イラクの現代史の節目の一つは1968年のバース党によるクーデターである。バース党政権の意味を語る前に、1968年に到るまでのイラクの歴史を概観しておこう。イギリスは委任統治下のイラクで王制を育てた。国王としてイギリスが担いだのがメッカのシャリーフ・フセインの息子の一人であった。ちなみに、このシャリーフ・フセインは後の独裁者のサダム・フセインとは無関係である。第一次世界大戦中に敵国オスマン帝国の後方をかく乱するためにイギリスは、オスマン帝国のアラブ人地域での反乱をあおった。その反乱の指導者がイスラムの預言者の血を引くとされるメッカの名家のシャリーフ・フセインであった。そしてイギリスとフセインの連絡係りが、伝説上の人物となったロレンス、いわゆるアラビアのロレンスであった。第一次世界大戦後にシャリーフ・フセインはサウド家と

    『イラク 石油に呪われた国(6)』
    castle
    castle 2010/06/20
    「(英国の傀儡的な)王制が1958年に軍部のクーデターで没落する」「(政権交代に)終止符を打ったのが1968年のバース党のクーデター。以降2003年の米国の攻撃を受けるまで35年にわたってバース党が権力を独占した」
  • 『イラク 石油に呪われた国(5)』

    1.イラク石油の歴史 (1)神の息吹(前回 のつづき) イラク政府はもちろん石油収入の拡大を望んだが、国際石油資は「慎重に」開発を進めた。イラク政府が「切れない」程度に石油を開発し、石油収入を与えた。しかし努力している振りをするために、石油が出るはずがないと分かっている地域で油井を掘るなどした。*1したがってイラクの原油の埋蔵量は、相当なものが残されている。なにせ、国際石油資は石油のありそうな場所は外し、なさそうな場所を掘ってきたのだから。国際石油資の都合でなく、イラクの国益に合わせて石油開発が行なわれるようになったのは、バース党政権下で石油産業が国有化された1970年代以降である。1908年に開発が始まったイランに比べるとイラクの油田は遥かに若い。イランの石油の歴史は一世紀を経過した。またクウェートやサウジアラビアでも第二次世界大戦直後ともいえる1950年代に大規模な生産が開始され

    『イラク 石油に呪われた国(5)』
    castle
    castle 2010/06/20
    「(国際石油資本は)イラク政府が「切れない」程度に石油を開発し、石油収入を与えた。しかし努力している振りをするために、石油が出るはずがないと分かっている地域で油井を掘るなどした」
  • 『イラク 石油に呪われた国(4)』

    1.イラク石油の歴史 (1)神の息吹(前回 のつづき) さて、隣国のイランで石油が発見されたのであるから、イラクにも原油が眠っているだろうとの推測があった。第一次世界大戦後にイギリスがイラクという国をデッチ上げ、自らの委任統治領としたのは、石油の臭いをかいでいたからである。誰から委任を受けるのかと言えば、国際連盟からの委任である。20世紀に入ると、さすがにストレートな植民地支配というのは、はばかられた。住民が十分な自治能力を獲得するまでの間、イギリスが国際連盟の委任を受けて統治するという形式が踏まれた。 1930年代にはイラクでの原油の存在が確認された。各社は、その開発利権の獲得を目指した。結局、利権を獲得したのは国際石油資のカルテルであった。セブン・シスターズが利権を獲得したのは石油を開発するためではなく、開発を遅らせるためであった。と表現すると逆説的かも知れない。しかし、そうなのであ

    『イラク 石油に呪われた国(4)』
    castle
    castle 2010/06/20
    「第一次世界大戦後にイギリスがイラクという国をデッチ上げ自らの委任統治領としたのは、石油の臭いをかいでいたから」「セブン・シスターズが利権を獲得したのは石油を開発するためではなく、開発を遅らせるため」
  • 『イラク 石油に呪われた国(3)』

    1.イラク石油の歴史 (1)神の息吹(前回 のつづき) イランに対しての打撃となったのは、国際石油資によるイラン原油のボイコットであった。国有化という現象が自らの操業する油田にも及ぶことを恐れた世界的な石油会社は、イギリスのアングロ・イラニアンに同調した。当時の石油市場は、アングロ・イラニアンを含む七社によって牛耳られていた。この七社は俗称セブン・シスターズとして知られた。イラン原油をボイコットしたのであるから、その分を新たに供給しなければならない。セブン・シスターズはクウェートやサウジアラビアでの増産で、失われたイラン原油を埋め合わせた。 経済的に締め付けられたイランのモサデク政権が、先述の1953年のクーデターで倒された。シャーは、国有化の原則を骨抜きにした石油協定を国際石油資と結んだ。イラン原油が国際石油資の支配下に戻った。既にイラン原油の分はアラブ諸国で生産されていたので、イ

    『イラク 石油に呪われた国(3)』
    castle
    castle 2010/06/20
    「当時の石油市場はアングロ・イラニアンを含む七社(俗称セブンシスターズ)によって牛耳られていた。イラン原油をボイコットした」「経済的に締め付けられたイランのモサデク政権が1953年のクーデターで倒された」
  • 『イラク 石油に呪われた国(1)』

    1.イラク石油の歴史 (1)神の息吹 石油がもたらす富を神の恵みと考えられる国は幸福である。おうおうにして石油は紛争をもたらす呪いとなる。イラクの石油開発の歴史が、その例である。中東における大規模油田の発見は1908年のイランに始まる。イラン南西部、現在のフーゼスタン州のマスジェデ・スレイマ―ンで石油が噴出し、それはあたかも神の息吹のようであったと伝えられる。 マスジェデ・スレイマーンは、ペルシア語で「ソロモンの宮」を意味している。ここには古代からゾロアスター教徒の神殿があった。ゾロアスター教は古代のイラン高原に発し、少数とはいえ現在にまで続く宗教である。この宗教が中国に入って拝火経として知られるようになった。この宗教が火を神聖視するからである。神殿では途絶えることなく火がともされる。火を燃やし続けるのは乾燥地では大変な負担である。そもそも燃料となる樹木が少ない。そこでゾロアスター教徒たち

    『イラク 石油に呪われた国(1)』
    castle
    castle 2010/06/16
    「石油がもたらす富を神の恵みと考えられる国は幸福である。おうおうにして石油は紛争をもたらす呪いとなる。イラクの石油開発の歴史が、その例である。中東における大規模油田の発見は1908年のイラン南西部」
  • 『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(7)』

    秋のワシントン取材に基づいた記事が以下に掲載されましたので、アップします。 「イスラエルを批判するユダヤ・ロビー/Jストリート」 『季刊アラブ』第131号、2009年冬号、26~28ページ ------------------------------------------------------ 6千万ドル 対 3百万ドル ロビー組織の力量を測る基準は集金能力である。Jストリートは、2008年に大統領選挙と同時に行われた連邦議会選挙では、支持する候補者のために半年で約60万ドルを集めた。この資金が41名の上下両院の候補者に投入され、その内の33名が当選を果たしている。 既存のユダヤ組織の代表格は、エイパックAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)である。エイパックは、反イスラエル的と見なす議員の選挙区に、刺客候補を送り込む。そして、その刺客に全米のユダヤ系市民からの寄付が集中する

    『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(7)』
    castle
    castle 2009/12/30
    「ロビー組織の力量を測る基準は集金能力」「Jストリートは二つの武器で、AIPACに抵抗。第一は世論調査の結果」「第二にお金。資金面での援助によって議員たちにオバマ政権の中東政策を支持するように訴えている」
  • 『『小学生のためのパレスチナとイスラエル問題』(仮題)(2)』

    現在パレスチナ問題への入門書を準備中です。これは、その草稿です ---------- 第一部 歴史 シオニズムと三つの風(前回 のつづき) それでは問題は、いつごろに起こり、何が問題なのであろうか。誰が何を争っているのだろうか。パレスチナの地で現在にまで続く問題が起こり始めたのは、19世紀末である。ヨーロッパのユダヤ人たちが、パレスチナに移り始めた。自分たちの国を作るためにである。 ユダヤ人たちの自分たちの国を作ろうとの運動をシオニズムと呼ぶ。これはシオン山のシオンとイズムを合わせた言葉である。シオン山というのはパレスチナの中心都市のエルサレムの別名である。エルサレムは標高300メートルほどの丘の上に建てられている。イズムとは、主義という意味の言葉である。主義というのは、ある政治的考えのための努力である。 これは、つまり約120年の紛争である。ヨーロッパのユダヤ人がパレスチナに入ってくると

    『『小学生のためのパレスチナとイスラエル問題』(仮題)(2)』
    castle
    castle 2009/12/28
    「民族主義がユダヤ人迫害を引き起こした。民族主義とは、1.人類というのは民族という単位に分類できる。2.それぞれの民族が独自の国家を持つべき(民族自決の原則)3.個人は、属する民族の発展のために貢献すべき」
  • 『『小学生のためのパレスチナとイスラエル問題』(仮題)(3)』

    現在パレスチナ問題への入門書を準備中です。これは、その草稿です ---------- 第一部 歴史 シオニズムと三つの風(前回 のつづき) それでは、民族とは何だろ うか。これは共通の祖先を持ち、運命を共有していると考える人々の集団である。ドイツ人、フランス人、ロシア人、イタリア人、スペイン人などが、この民族という単位に当たる。これは客観的な基準によって成立するのではなく、あくまで集団の構成員の思い込みで決まる。同じ言葉を話したり、同じ宗教を信じていれば、この思い込みは容易になる。こうした民族主義が高まってくると、多数派のキリスト教徒は、少数派のユダヤ教徒を排除する傾向が強まった。ユダヤ人を同じ民族として受け入れようとはしなかった。宗教が違うからである。こうした流れの中でユダヤ人に対する迫害が高まった。 ユダヤ人が民族の国家のメンバーとして認められないならば、のけ者にされた自分たちだけの国

    『『小学生のためのパレスチナとイスラエル問題』(仮題)(3)』
    castle
    castle 2009/12/28
    「シオニズムの考え方:ユダヤ人が民族の国家のメンバーとして認められないならば、のけ者にされた自分たちだけの国を作ろう」「すでに人々が住んでいる土地にヨーロッパ人が移り住んで新しい国を作ろうという」
  • ユダヤ人のイスラエル離れ 『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(5)|高橋和夫の国際政治ブログ

    秋のワシントン取材に基づいた記事が以下に掲載されましたので、アップします。 「イスラエルを批判するユダヤ・ロビー/Jストリート」 『季刊アラブ』第131号、2009年冬号、26~28ページ ------------------------------------------------------ ユダヤ人のイスラエル離れ ところが既存のアメリカの親イスラエル団体は、イスラエル政府の立場を無批判に支持する余り、イスラエルの真の国益に反してきた。イスラエルを愛するのであれば、イスラエルを批判すべきである。真の愛は、時には厳しさを伴うべきである。アメリカのユダヤ人の大半は、イスラエルに批判的であるにもかかわらず、既存のユダヤ人組織は、その声を吸い上げてこなかった。とJストリートの創設者たちは考えて2008年に行動を開始した。 こうした認識は正しいのだろうか。当にアメリカのユダヤ人たちはイスラ

    ユダヤ人のイスラエル離れ 『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(5)|高橋和夫の国際政治ブログ
    castle
    castle 2009/12/28
    「既存の米国の親イスラエル団体は、イスラエル政府を無批判に支持する余り、イスラエルの真の国益に反してきた。イスラエルを愛するのであれば批判すべき」「既存のユダヤ人組織は、その声を吸い上げてこなかった」
  • 『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(4)』

    秋のワシントン取材に基づいた記事が以下に掲載されましたので、アップします。 「イスラエルを批判するユダヤ・ロビー/Jストリート」 『季刊アラブ』第131号、2009年冬号、26~28ページ ------------------------------------------------------ 2.9対4(前回 のつづき) イスラエルがリベラルな民主制を維持し、しかもユダヤ性を維持したければ、占領地を切り離すしかない。そして、そこにパレスチナ国家を樹立するしかない。その新国家とイスラエルが平和裏に共存する。それが民主制とユダヤ性を維持する唯一の方法である。占領を続けパレスチナ人の人権を蹂躙し続けるイスラエルは、ユダヤ人たちが夢見てきたリベラルな民主国家ではない。常にテロと戦争の影に怯え臨戦態勢にある国家では、民主主義的なリベラルな価値は窒息してしまう。こうした発想がJストリートの主張の

    『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(4)』
    castle
    castle 2009/12/28
    「(人口動態と出生率から)イスラエルがリベラルな民主制を維持し、ユダヤ性を維持したければ、占領地を切り離すしかない。そしてパレスチナ国家を樹立する」「イスラエル政府には和平のための譲歩は期待できない」
  • 『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(3)』

    秋のワシントン取材に基づいた記事が以下に掲載されましたので、アップします。 「イスラエルを批判するユダヤ・ロビー/Jストリート」 『季刊アラブ』第131号、2009年冬号、26~28ページ ------------------------------------------------------ 2.9対4 クルブシ氏によると、アメリカの積極的な関与による中東和平の実現が、イスラエルのユダヤ性と民主制を守る唯一の政策である。この議論の背景にあるのはパレスチナにおける人口動態である。大まかに言うと、現在のイスラエルの総人口は720万である。この内の四分の三は、ユダヤ人で、残りの四分の一がアラブ人つまりパレスチナ人である。実数では、ユダヤ人は540万で、アラブ人が180万である。そしてガザ地区に140万、そしてヨルダン川西岸に240万のパレスチナ人がいる。イスラエル市民権を持つパレスチナ人と

    『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(3)』
    castle
    castle 2009/12/28
    「米国関与による中東和平の実現がイスラエルのユダヤ性と民主制を守る唯一の政策。議論の背景にあるのはパレスチナにおける人口動態」「歴史的なパレスチナでは、540万のユダヤ人と560万のパレスチナ人が住んでいる」
  • 『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(1)』

    秋のワシントン取材に基づいた記事が以下に掲載されましたので、アップします。 「イスラエルを批判するユダヤ・ロビー/Jストリート」 『季刊アラブ』第131号、2009年冬号、26~28ページ ------------------------------------------------------ Kストリートのロビー団体 今ワシントンで話題のロビー団体はJストリートである。2008年4月に発足したばかりの組織が話題をあつめているのは、イスラエル支持をうたいながらも、イスラエルの政策に批判的だからである。たとえばJストリートは2008年末にイスラエルが開始したガザに対する攻撃を批判した。 それでは、この団体は何を求めているのだろうか。それは、アメリカの積極的関与による中東和平の実現である。具体的にはパレスチナ国家の樹立による二国家解決案による問題の収拾である。言葉を変えるならばオバマ政権の

    『『Jストリート/イスラエルを批判するユダヤ・ロビー』(1)』
    castle
    castle 2009/12/28
    「(ロビー団体Jストリートが求めているのは)米国の積極的関与による中東和平の実現=パレスチナ国家の樹立による二国家解決案による問題の収拾=オバマ政権の中東政策の支持=「イスラエル支持、平和支持」」