ブックマーク / hiroki-hayashi.hatenablog.com (31)

  • 第2次安倍政権年表 - 手探り、手作り🐘

    次から次へと看過できない問題が起こり、それがことごとく詭弁と虚偽と「回答を控えます」と「選挙で勝った」と「いつまでやってんだ」によって誤魔化され、やがてみんな忘れてしまって、、、というのが長いあいだ続いています。 これはまずいと思ってはじめたのがこの年表ですが、あんまり細かくて、増えすぎて、また整理する能力もなく、分かりづらいものになってしまいました。 ☟もどうぞ。 第2次安倍政権年表 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年 2020年 個別事案 憲法改正をめぐって 特定秘密保護法 アベノミクス 東京五輪2020 集団的自衛権の行使容認(解釈改憲) 北方領土 防衛省 日報隠蔽 森友学園問題 加計学園問題 共謀罪法 働き方改革 原発輸出 朝鮮への嫌悪 伊藤詩織さんのこと 沖縄 辺野古新基地建設 桜を見る会 不自然な規模拡大 公職選挙法お

    第2次安倍政権年表 - 手探り、手作り🐘
  • 町中華おいしい(危機の時、5/24~5/30) - 手探り、手作り🐘

    危機の時。 1. 黒川検事長の定年延長問題は賭けマージャン発覚以後、訓告処分の妥当性と決定主体は誰かという問題に移行し、違法の閣議決定という質は忘れられてしまった。こんなふうに次から次へと関心の対象が変化して質がおいてきぼりになり、やがて忘れ、結果的になし崩しの現状肯定に落ち着くということが何年も続いてゐる。 2. 新型コロナウイスル対策、専門家会議の議事録が不作成であることが明らかになった。「日モデル」が聞いてあきれる。これでは検証不能であるから今回の経験を次に活かすことはできない。 3. 安倍政権は権力を私物化し、法治を歪め、市民社会の基盤である公共そのものを破壊してきた。反社会的勢力と言っても過言ではない。 政治は面倒だ、むづかしい、人のことを批判したくない、なんてややこしいことを考えずに、あたりまえの良識に基づいて政権を批判したらいいと思う。 権威主義と以和為貴という国民性が

    町中華おいしい(危機の時、5/24~5/30) - 手探り、手作り🐘
    cenecio
    cenecio 2020/05/31
    林さんは本当に凄いと思って感心しています。政治・社会情勢のまとめ、的確なコメントなど、貴記事を続けて読めば直近の現代史となります👍
  • 「新装版 ソウルの練習問題」関川夏央 - 手探り、手作り

    「新装版 ソウルの練習問題」関川夏央 2005 集英社文庫 1984年に刊行された「ソウルの練習問題 異文化への透視ノート」の新装版。 恐ろしく知的で、機知に富み、品の良い文章で、これぞ名エッセイストの名文と感服しきりだった。 ネットの記事、ツイッターの文章を読んでばかりの目に、こういう陰影のある文章は新鮮に映った。 80年代初頭の韓国も、21世紀の韓国もぼくは知らない。 ぼくがもつ韓国についての知識、あるいは印象は、中国で知り合ったひとりの韓国人の友人と、いくらかの韓国映画と、キム・ヨナさんのスケートから得られたほんのわづかのものに過ぎない。 それなのに、不思議なことに、このを読んでゐるあいだ、なんだかなつかしいような気持ちがずっとしてゐた。 新装版文庫のためのあとがきの最後に、著者は次のように書く。 私の現代韓国に対する感想は少なからず苦いが、そこにはこの四半世紀のうちに韓国から失わ

    「新装版 ソウルの練習問題」関川夏央 - 手探り、手作り
    cenecio
    cenecio 2020/05/28
  • 「パターソン」 - 手探り、手作り

    「パターソン」2016 米・独・仏 監督:ジム・ジャームッシュ 出演:アダム・ドライバー、ゴルシフテ・ファラハニ www.youtube.com 詩を書くバス運転手の一週間を描いた作品。 映画全体が詩のようで、詩的に世界を捉えるってこういうことなんだなと思った。 アダム・ドライバーの顔が常に最高。なんでこんないい顔ができるんだろう。 バーの客との会話とか笑ったなあ。 コロナ禍で映画館が閉まってゐてさみしい。 再開したらすぐに映画館に行きたい。 こういう静かな映画を見て、ゆっくり散歩するような時間を取り戻したい。

    「パターソン」 - 手探り、手作り
    cenecio
    cenecio 2020/05/27
    ご紹介だけで見てみたい欲求にかられます😻👏
  • 雲南省のおっちゃんのダンス - 手探り、手作り

    愉快なダンスを見つけた。 【農民大叔跳妖嬈孔雀舞 聽到音樂跟著感覺就能跳起來】近日,一農民大叔跳孔雀舞的視頻走紅。來自云南紅河州的大叔馬金,是地道的農民,自幼喜愛跳舞。只要音樂響起,無論田間地頭、山坡高崗,他都能翩翩起舞 pic.twitter.com/3cbb389Ewz — 人民日報 People's Daily (@PDChinese) 2020年5月17日 人民日報は中国共産党の機関紙なのに、なぜ繁体字で書いてあるのだろう。 まあ、それはいいとして、ツイートを意訳。 【農民のおじさんが妖艶な孔雀の舞 音楽を聞くと心のままに踊り出す】最近、あるおじさんが孔雀の舞を踊る動画が話題を呼んでいる。雲南・紅河州の馬金さんだ。彼は農家に生まれ育ち、幼いころより踊りを好んだ。音楽が流れれば、田でも山でもヒラヒラと踊り出してしまうのだ。 つづいて、おっちゃんの言葉をつなげて訳出(字幕部分は簡体字な

    雲南省のおっちゃんのダンス - 手探り、手作り
    cenecio
    cenecio 2020/05/23
    カタックのダンス、大仰な動きがなく洗練され、繊細で心を打ちます。感心しました。
  • 火事場ドロボー(危機の時、5/10~5/16) - 手探り、手作り🐘

    cenecio
    cenecio 2020/05/17
    👍👍👍
  • 現状肯定の沼(危機の時、5/3~5/9) - 手探り、手作り🐘

    cenecio
    cenecio 2020/05/10
    >政治がまともであれば「この程度」よりもっといい状況だったはずだろう。失われずにすんだ命があったはずだろう。<
  • 「井筒俊彦 叡智の哲学」若松英輔 - 手探り、手作り

    「井筒俊彦 叡智の哲学」若松英輔 2011 慶応義塾大学出版 このを読んで、井筒俊彦の「意識と質」を読もうと決めた。 「意識と質」は、長いこと、読もう読もうと思い、積読になってゐた。 今がまさに読むべきときと確信した。 若松さんのこの力作評論を読んで、準備が整ったと思う。 ウイルス感染の広がりにより仕事が休業となり、自己隔離中の身。 時間はたっぷりある。ゆっくりと読んでいきたい。きっと素晴らしい体験になる。 井筒俊彦は30を超える言語を理解し、気になるはすべて原書で読んだとか。スゴすぎてよくわかんないです。 以下、ノートをば。 「バフルンヌーン物語」に出てくる青木辰夫のモデルは井筒俊彦である。ムーサーが日を後にして、しばらく経った頃、外務省の役人が青木にムーサーの言葉を伝えた。「日には自分の弟子がただ一人いる、青木辰夫を知っているか?」ムーサーからの伝言を聞き、青木は「快速で帆

    「井筒俊彦 叡智の哲学」若松英輔 - 手探り、手作り
    cenecio
    cenecio 2020/04/23
    「井筒俊彦 叡智の哲学」若松英輔 ぜひ読んでみたいです。時間ならたっぷりありますものね。
  • ここからパンデミックか。(危機の時、3/26~4/3) - 手探り、手作り🐘

    cenecio
    cenecio 2020/04/05
    藤原辰史氏、頷けることばかりで、これまでの日本と政治を見事にまとめてくださった。クリオの審判はいかなるものか。強硬な方策で人を外に出さないことが先決。医療従事者を守ることにも繋がります。
  • 「自分の中に毒を持て」岡本太郎 - 手探り、手作り

    「自分の中に毒を持て」岡太郎 1993 青春文庫 グラスの底に顔があってもいいぢゃないか! 十数年ぶりに読み返した。 いや、すごい。爆発してます。 十八歳でパリにやってきた岡太郎は「人生いかに生くべきか」という大問題に直面した。そして、、、 残酷な思いで、迷った。ぼくはごまかすことができないたちだから。そして・・・今でもはっきりと思い出す。ある夕方、ぼくはキャフェのテラスにいた。一人で座って、絶望的な気持ちで街路を見つめていた。うすい夕日が斜めにさし込んでいた。 「安全な道をとるか、危険な道をとるか、だ」 あれか、これか。 どうしてそのときそんなことを考えたのか、今はもう覚えていない。ただ、このときにこそ己に決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだ、ぐっと総身に力を入れた。 「危険な道をとる」 いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。死に対

    「自分の中に毒を持て」岡本太郎 - 手探り、手作り
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    cenecio 2020/03/19
  • 「それでも人生にイエスと言う」V・E・フランクル - 手探り、手作り

    「それでも人生にイエスと言う」V・E・フランクル 春秋社 1993 ナチスの強制収容所で三年間を過ごした精神科医フランクルが1946年に行った講演。 フランクルはタゴールの次の詩を引用し、「人間は楽しみのために生きてゐるのではない、生きることは義務である」という。 私は眠り夢見る、 生きることがよろこびだったらと。 私は目覚め気づく、 生きることは義務だと。 私は働くーーすると、ごらん、 義務はよろこびだった。 生きることは義務であり、たったひとつの重大な責務である。人生にはよろこびはあるが、よろこびそのものを「欲する」ことはできない。よろこびはおのづから湧くものであり、幸せは結果にすぎない。 そして「人生の問いのコペルニクス的転回」を提出する。 (・・・)私たちが「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っているのです。つまり、私たちは、生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが

    「それでも人生にイエスと言う」V・E・フランクル - 手探り、手作り
    cenecio
    cenecio 2020/01/27