タグ

ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (3)

  • 丸善京都の熊代亨選書フェア@はてなブログ編 - シロクマの屑籠

    ・丸善京都店、『人間はどこまで家畜か』刊行記念・熊代亨選書フェア ご好評いただいている『人間はどこまで家畜か』にまつわるや問題意識が近いを集めたフェアを、丸善京都店さんで開催していただいています(ありがとうございます!)。そちらで紹介されているについては、京都丸善店さんで実際に手に取ってみていただければと思います。 このブログでは、ぎりぎり選外になったや、値段が高すぎたり難易度が高かったりして紹介をためらった、諸事情から選外に漏れたなどをまとめて紹介したいと思います。 1.ちょっと重たいかもと思って紹介しなかった ヘンリック『文化がヒトを進化させた』 文化がヒトを進化させた―人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉 作者:ジョセフ・ヘンリック白揚社Amazonハーバード大学の進化生物学教授が書いた刺激的な。ヒトの進化が文化を創りだしたのは昔から言われていることですが、この

    丸善京都の熊代亨選書フェア@はてなブログ編 - シロクマの屑籠
  • ある研修医が見た就職氷河期の記憶 - シロクマの屑籠

    芽吹いてきた新緑を眺めていて、ふと、昔話がしたくなった。 別に珍しい話ではない。 一人の研修医から見た、就職氷河期当時の思い出話についてだ。 1. 私が研修医になる前から、それは始まりかけていた。私は医学部にこもりっきりなのが性に合わなくて、他学部の学生がたむろしている場所に好んで出入りしていた。そこで出会った他学部の先輩たちが「就職活動が大変だよ」と言っているのを耳にしたりもしていた。とはいえ1994年度、1995年度に卒業した他学部の先輩がたの就職先はなかなかのものだった。ゲームと登山に熱狂して留年しまくっていた先輩が、大手自動車メーカーに入社できた話を聞いた時はびっくりした。あのゲームばかりやって山ばかり登っている先輩ですら大手自動車メーカーに入社できる。そういう希望があった。 1996年。1997年。 この頃から様子がおかしくなってきた。私と同学年に相当する彼らは就職活動に苦戦して

    ある研修医が見た就職氷河期の記憶 - シロクマの屑籠
  • なるほどオタクは死んだわけだ。なぜなら、1人ではいられなくなったから。 - シロクマの屑籠

    オタクが死んだ」という言葉は、今までにも散々語られてきたことだし、今更、オタクなどという言葉に拘ってもあまり意味は無い。 ただ、ここ2~3年、「オタクがカジュアル化した」というお決まりの言葉ではカヴァーできない次元でオタク的ライフスタイルが難しくなったと感じる場面が増えたので、そのあたりについて今の考えを述べてみる。 【オタク=1人で過ごす時間の長い愛好家】だった 1970~90年代からオタク的な愛好家生活をしていた人には当たり前で、2010年代からオタク的な愛好家生活をしていると思っている人には当たり前とは言えない、大切なことがある。 それは、オタク趣味生活とは、長い時間を、1人で楽しむものだった、ということだ。 漫画オタクであれ、ゲームオタクであれ、アニメオタクであれ、オタクというのは自分1人でも楽しめる趣味を1人で楽しみ、好きに追いかけていくようなライフスタイルだった。 それがた

    なるほどオタクは死んだわけだ。なぜなら、1人ではいられなくなったから。 - シロクマの屑籠
  • 1