1.うつ系サイトについてちょっと考えてみる えー、今回はちょっと微妙な話。というか、当事者が見ているかもしれないところで書くのはどうも気が引けるし、まったく見当外れなことを書いてしまうリスクもあるので書いていいものかどうか迷ったのだけれど、一応私なりの理解、ということで書いてみます。 なんだかまどろっこしい書き方になってしまったのだけれど、何の話かというと、ネット上にあまた存在する「精神系」とか「鬱系」とかいわれるサイトのことである。彼ら(明らかに女性が多いので、「彼女ら」としてもいいか)は一様に抗うつ薬や睡眠薬など薬の名前に詳しく、毎日の虚しさや、自傷行為や大量服薬を繰り返す日々について詳しく記した日記を書いている。中には、ショッキングなリストカットの写真を載せている人もいたりする。 なぜ、こうしたサイトがこんなに多く存在するのだろう、というのが私が感じた疑問である。なぜ、彼らはサイ
見出しは演出です。 これは以下の日記の続きです。 →司馬遼太郎伝聞の「(戦車で)ひき殺していけ」異テキストを読んでマルクス主義の人がこれをあまり引用しない理由を知る(1) ということで、『NHK人間講座・半藤一利/清張さんと司馬さん』(2001年10月刊行・NHK出版)も探して来ました。以下の引用はp109-112です。 「ひき殺していけ」 司馬さん自身が書いたり話されたりしているので、よく知られた話から今日ははじめます。 昭和十二年(一九二三)生まれの司馬さんは、昭和二十年八月の大日本帝国の敗戦を迎えたとき、二十二歳の若さでした。戦車第一連隊の、学徒出身の陸軍少尉で、きたるべき本土決戦に備えて栃木県・佐野のとある小学校に駐屯していました。この部隊はこの年の早春にソ満国境から移動してきた虎の子の清栄戦車部隊でした。 このころ、大本営は、この年の秋口に本土防衛線に追い込まれると覚悟していまし
見出しは演出です。 これは以下の日記の続きです。 →司馬遼太郎伝聞の「(戦車で)ひき殺していけ」はいつどこで誰が言ったのか 今日はものすごく面倒くさかったので、そのつもりで頑張って読む人も読んでみてください。 「(戦車で)ひき殺していけ」という記述であれこれ論争があったのは、以下の記述がどうもはじまりだったみたいです。今から4年近く昔ですか。 雑誌「正論」2002年3月号、「NHKウオッチング」(中村粲)(平一四・一・一七)より引用。p212-214 「人間講座」、実は反日講座 もう一つ、ここまで反日放送をするのかとわが目わが耳を疑つた教育番組がある。一月三日〈人間講座アンコール〉。半藤一利講師の「司馬さんと昭和史」(十一月十二日放送)だ。 この中で半藤氏は司馬遼太郎の次のやうな話を紹介する。「昭和二十年、栃木県佐野市で司馬さんが戦車小隊長として、東京湾から上陸する米軍を迎へ撃つため決戦に
ちょっと異論を唱えてみる。 月も見えない夜に。 - 世界史履修漏れ問題少し 必修科目とされている公立ですらこうなのだから、私立などは調べてみるも恐ろしいし、現代史を知らない日本人ということで、盛んに中韓などから批判されていたことが、実は現代史の次元の問題ではなく、世界史全体の欠損という、トンデモな結果になっていたということは、何ともいやはや。 世界史が必修化されたのは2003年度1994年度からに過ぎないので、それ以前の学生であれば、世界史を履修していない学生は当然もっと多かっただろうと思われます。私の同級生にも多数いますし、それがルール違反というわけでもありませんでした。今回の未履修問題にしても全体から見れば少数なので、世界史を学んだ高校生は確実に以前より増えているのだろうと。 考えてみれば不思議なことですが、歴史の授業と言うのは教科書を全て終えずに終了してしまうことが多いように思われま
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