妄想や幻覚のたぐいと断じられ、連想するのはその不健全な精神状態であり、神経症の疑いだ。薬物を濫用したとか、潔癖症が行き過ぎたとか、疑いに至る過程は多々あれど、結果として妄想や幻覚だと断定されることに本作はコメディライクに接している。フリードキンは例によって俳優たちにボソボソと喋らせ、思い出したかのように大声をあげさせる。この手法はコメディのそれであり、コメディが行き着くところのブラックジョーク、黒い笑いに到達させる手法である。 自分は、その手法が本作の根幹であることを理解し、狂ったように喜んだ。声をあげて笑い、ポップコーンを撒き散らした。この愉悦は「妄想と幻覚」という黒い笑いの通俗的テーマに起因する。ここで笑わなければ、本作の表現手法やテーマの完成を語ることはできない。乱歩が『蟲』の作中で「蟲、蟲、蟲……」と繰り返したように、この映画では視覚的に『虫』が繰り返される。だが、『虫』自体が画