ボランティアの経験者から見た注意点もある。シャンティ国際ボランティア会(SVA)の鎌倉幸子・広報課長は、阪神大震災での支援経験を踏まえ、いくつかのポイントを挙げた。「助けたい」気持ちが強いボランティアは多い。だが、その思いをぶつけるだけでは被災者の負担になる。「こちらの気持ちをぶつけるのではなく、受け止める方が大切」と鎌倉さん。16年前の阪神大震災の頃はボランティアのなかに「来てやっているん

個人的な経験談で申し訳ないのだけれど、男女問わず「相手のしてほしいことを察知してやってあげる」行為を繰り返していると、人はそれに甘えてあたかも相手を使役していいかのような勘違いをしている風に振る舞うようになる。 初めは相手の好意から出ていることなのはお互い承知しているはずなのだけれど、途中から行動と結果の前提にある感情の意味が抜け落ちてしまって、相手が自分の為に行動するのが当たり前になってしまうんだね。 つまり増田の1〜4の要因の考察は正しい。 その一部の男性が身の回りのことや、物事の決定にあたかも女性より自分の方が優先権があるかのように振る舞うのは、ジェンダーの問題だろう。 しかし女性でも、男性に上座を譲られるのとか多少多めに出してもらうのが当たり前だったりとか暗黙のルールになっちゃってることはあるでしょ?女性の場合は家事よりこういったことにその「命令系行動」が現れるのではないかと思う。
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2009年11月02日18:00 画像ネタ 世にも珍しい29の恐怖症 高所恐怖症や閉所恐怖症などがメジャー恐怖症であれば、マイナー恐怖症と言えそうな29の恐怖症。どれも医学用語として存在するものです。※原因や症状の度合いは人それぞれです。 1.Limnophobia(湖恐怖症) :恐ろしい生物が生息しているのではないか、吸い込まれてしまうのではないかといった恐怖。 2.Catoptrophobia(鏡恐怖症) :鏡に映るもの全てが怖いという人、鏡が映し出す自分を直視できない人など。 4.Tachophobia(速度恐怖症) :事故の想像をしてしまい、一定以上のスピードを出せない。速い乗り物に乗ることができない。 5.Theatrophobia(劇場恐怖症) :辺りが薄暗くなり演目が始まると、息苦しさを覚えるなど。 6.Chionophobia(雪恐怖症) 7.Choro
人道的な理由から現在では行われていないと思いたいところですが、洋の東西を問わずさまざまな手法での「拷問」は罪を犯した人に自白をうながすという名目で長い間正当化されてきた歴史があります。しかし実際には無実の人でも拷問を受けて苦しめば苦しむほど、その姿を見た第三者にとっては「罪を犯した者」のように見えてくるという意外な効果がハーバード大学の心理学者らによる研究で明らかになりました。 もし公開で拷問を行い観衆に多数決をとれば、ほとんどの被疑者が有罪となってしまうということなのでしょうか?なんだか中世の魔女裁判などを想起させる研究テーマですが、ユニークな実験方法によって検証されています。 詳細は以下から。Pain Of Torture Can Make Innocent Seem Guilty 実験では被験者たちは「不正行為で金銭を得たと疑われる」とされる女性に会い、その後女性が氷水に手を漬ける「
南京攻略戦において歩兵第65連隊と山砲兵19連隊第3大隊を指揮した(山田支隊)歩兵第103旅団長山田栴二少将の日記(12月24日)に次のような記述がある。 一、予備兵のだらしなさ 1、敬礼せず 2、服装 指輪、首巻、脚絆に異様のものを巻く 3、武器被服の手入れ実施せず赤錆、泥まみれ 4、行軍 勝手に離れ民家に入る、背嚢を支那人に持たす、牛を曵く、車を出す、坐り寝る(叉銃などする者なし)、銃は天秤 5、不軍紀 放火、強姦、鳥獣を勝手に撃つ、掠奪 「兵の機敏なる、皆泥棒の寄集りとも評すべきか」「旅団司令部にてもぼやぼやし居れば何んでも無くなる、持って行かる、馬まで奪られたり」とあるので、“敵から奪う”の域を越えて軍紀が頽廃していたことがわかる。 研究者も予備役、後備役から召集された将兵が多かったことに注目している。 (・・・)とくに日中戦争の場合、動員された日本軍は、多数の予備役兵、後備役兵を
ある種の心理的な状態を描写して、それをひとつの概念として確立したいと思います。とりあえず、私はそれを「冷たい怒り」と名づけました。 伝統的な慣習で惰性的に続いているものに関連して起こることなので、例として社員旅行を使います。 日本では、こういう伝統を守ろうとする人たちは、「社員旅行はよい」と主張しないで「社員旅行に文句をつける奴は悪い奴だ」と主張する傾向があります。権力のある人から、繰り返しそれを受け続けると、社員旅行の好き嫌いと関係なしに、「社員旅行に文句を言えないことに対する怒り」がたまってきます。この怒りはどこに向かうかと言うと、社員旅行が好きな人ではありません。「社員旅行に文句を言うな」と言った人でもありません。「社員旅行に文句を言う人」に向かって吐き出されます。これが「冷たい怒り」です。 「冷たい怒り」を持った人に「社員旅行をやめるように訴えよう」と言うと、「社員旅行はよくない。
話題が冷めちゃわないうちに書いておく。 「昨日は飲み過ぎてなんかよく覚えていないんだよね」って言いだしたから、 私ほんとに安心したら、その次、 「ってこういう風に適当な会話をすればいいんだよね」 抜粋「http://anond.hatelabo.jp/20090331214815 より このことについて、「怖い人」と「怖がった人」どちらに非があるかとか、、ブコメやトラバではもう言い尽くされているし、そういう正否の観点からだけでなく教訓にすべきだというhrkt0115311さんのエントリーにも同意だし、そもそもどこが怖いんだという意見まであるのだが、これを読んで「怖いと思った派」の人間として僕は、この「怖い人」がなぜ怖いのか、その「怖さ」について考えてみたい。 端的に言えば、この「怖い人」の怖さとは、この元増田さんとの会話の次数がひとつ繰り上げたことにあるのである。 話は飛ぶが、恋愛における
前の記事 未来派の3輪電気自動車『2e』試乗レポート(動画) 仮面の裏側が見える人・見えない人:「ホロウマスク錯視」研究 2009年4月 9日 Lizzie Buchen Image credit: Flickr/atöm お面の裏側に存在する凹んだ顔を、普通の凸面の顔として知覚する、「ホロウマスク錯視」と呼ばれる錯視がある[Hollow face錯視、凹面顔錯視とも呼ばれる]。 下の動画でこの錯視を経験することができるが、それが目の錯覚だと分かっていても、凹面の顔を凹面と見ることができず、脳が凹面を凸面ととらえてしまう。 この錯視は、人間の脳が視覚世界を解釈する際の戦略によって起こる。それは、実際に目に見えるもの(ボトムアップ処理と呼ばれる情報処理法)と、過去の経験に基づいて見えると予想されるもの(トップダウン処理)を組み合わせて判断するという戦略だ。 「トップダウン処理では、ストック写
―― 企業による偽装や年金記録の改ざん、いじめの横行など、日本社会では様々な問題が噴出しています。今の日本を見ると、社会の信頼感や安心感が失われているのではないか、と感じざるを得ません。なぜ信頼感が喪失しているのか。その要因を社会心理学の立場から解き明かしていただけないでしょうか。 山岸 信頼感や倫理の喪失。それを述べる前に、これまでの日本社会で「安心」や「信頼」がどのように成立していたのか、そのことからお話ししましょう。 問題の理由を心に求めるのは思考停止と同じ ご質問のように、今の日本は様々な問題を抱えています。価値観が転換し、社会の一体感が失われているのは間違いありません。将来への漠然とした不安を多くの国民が抱えているのも事実でしょう。 こうした現状を指して、「日本人の心の荒廃」や「モラル低下」を原因に挙げる声は少なくありません。かつての日本人の心を取り戻すために、「品格を磨くべき」
昨日のラジオクリルタイのレポートがいろんな所であがってますね。あれをやっていた同時刻に渋谷にいたにも関わらず、別件で覗くことも出来なかった私は、歯軋りするばかりです。まあ時間が空いていたとしても出席する勇気はなかったと思うけど。レポートの中で大変興味深い(というか驚きの)事実を知ったので、書いておきます。・Latest topics > 年下・年上http://piro.sakura.ne.jp/latest/blosxom.cgi/mote/2006-05-07_junior.htm「そもそも非モテは年上と年下どっちが好きなんだ?」と。そしたら大体の人が「年下でしょ」と、そうお答えになる。「じゃあ何故年下が好きなの?」と再び問うたら、「年下の方が御しやすそうだから」という答え。えーマジで??という感じだ。間違ってる、明らかに間違ってる。いや闇雲に間違ってるとか言っちゃいけないけどさ。平坦
人をねたむ感情と人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の場所がそれぞれ特定され、二つの感情は密接に関係していた――。物語を読ませて被験者の感情を引き起こし、機能的磁気共鳴断層撮影(fMRI)で調べた。放射線医学総合研究所などのグループが、13日付の米科学誌サイエンスに発表する。 高橋英彦主任研究員らは、大学4年の男女19人に感情を引き起こす物語を読んでもらった。物語には、被験者に加え、ABCという3人の学生が登場する。被験者と同性のAは、進路や人生の目標がほぼ一緒のライバルだが、成績優秀で裕福、異性にもてる。Bは異性で優秀だが、進路や目標は重なっていない。Cは異性で普通の成績で進路は関係ないという設定だ。 物語を読んだ後に、学生ABCに対するねたみの感情を6段階で答えてもらい、脳の血流の変化をみた。ねたみの感情はA、B、Cの順に高く、身体的な痛みや葛藤(かっとう)などを処理する脳の前部帯状回
昔から思うことで 人生で何かの「被害者」になった経験のない人というのは、ほとんど存在しないと思うのですが(形而上的に高次の視点で見れば「被害者」も「加害者」もないと言えるのですが、それはここでは置きます) 人が「被害者」になるということと、その後ずっと「被害者」であり続けるということは、別問題です。 世の中には、えてしてこの「被害者で在り続けること」を選んで、そこで立ち止まってる人がいて 自分は被害者である、ゆえに加害者あるいはその他の誰かが自分の面倒を見るべきであり、自分は何もする義務は無いという信念に凝り固まっている ぶっちゃけ、大変はた迷惑な人がおいでです。 家族や身近な人の中にそういう人物がいると、そばにいる人間は逃げ場がなく、際限ないストレスに悩まされることになります。 心理学で「共依存」という言葉がありますが、子どものひとり立ちを望まない親と、親離れを望まない子どもが、互いに依
インターネット上では「趣味・嗜好に少しでも支出する人間はその時点で支援を受ける資格がない」ということになっているらしい。 「派遣村 タバコ」・「派遣村・煙草」・「派遣村・酒」(Google ブログ検索より) さておそらくこの不況は、派遣社員のみならず、早晩正社員のクビきりという事態を生じさせるだろう。気をつけた方がいい。まさかとは思うが、いまあなたは煙草はもちろんのこと晩酌さえも当然控えていることだろう。そんなことをしていたら困った時に助けられる資格を失ってしまうのだから。 煙草や酒に費やす金と時間があったらいくらでも資格を取ることも住居を見つけることも貯金することも出来るらしい。ちなみに日本人が平均で吸うタバコの本数は約7本/日なので(派遣村の人がその平均だとして)それで節約できるお金は約100円/日。3000円/月である。…なるほど。 …議論を進めよう。まさかあなたは普段晩御飯に肉や刺
少し前の番組になるが、去年12月21日に放送された「サイエンスZERO」がとても興味深かった。 人間性とは何か、信頼や満足感はどこから生まれるのか。わかったつもりでいたけれど実はほとんど知らないのだと気付かせてくれた。 「シリーズ・ヒトの謎に迫る」第3回は、さまざまな工夫を凝らした実験で「心の正体」を探る社会心理学の最前線を見る。プレゼンターは北海道大学の山岸俊男教授。「なぜ実験で心がわかる?」という質問に、山岸教授は「心と意識は別もの。ヒトの心は本人にもよくわからない。実験なしに知ることは不可能」と言い切る。山岸教授の研究チームが実施する実験は、たとえば「独裁者ゲーム」と呼ばれるもの。二人組の一方に「ふたりで分けなさい」とお金を預けたとき、どのような割合で分けるかを大勢に試して統計を取る。その結果、独り占めする人はほとんどおらず、意外に均等に分ける人が多いことがわかる。それはなぜか?その
山岸俊男「社会的ジレンマ」 氏はこれより前に「社会的ジレンマのしくみ」(サイエンス社)という本を書いた際には、“かしこい利己主義によって社会的ジレンマを解決できる”と考えられていた。これが以前の学会のいわば定説であった。つまり「自分が協力的に行動することにより他人を協力に導くことができれば、そして協力行動のコスト(短期的不利)よりも他人を協力行動に導くことの長期的な利益が大きければ、徹底した利己主義者は進んで協力行動をとるだろう」というわけである。 しかし、このような徹底した利己主義者が協力行動をとるためには、実際に長期的な利益が存在しなければダメである。協力行動をとる人が搾取される状況が現実に存在する以上、いくら「損して得とれ」と説教してもダメである。つまり「人々を教育によって愛他主義に改心させる」「お説教的教育」では問題は解決しない。 しかし一方で、筋金入りの利己主義者はそんなに多く
山岸俊男「安心社会から信頼社会へ」 第1章 安心社会と信頼社会 ここで「信頼」とは、「相手の人格や行動傾向の評価に基づく、相手の意図に対する期待」のことである。 それに対して「安心」とは、「相手の損得勘定に基づく相手の行動に対する期待」のことである。 また、「相手の行動によっては自分の身が危険にさらされてしまう状態」のことを「社会的不確実性の存在する状態」と呼ぶ。 (第3章ではさらに、「相手の意図についての情報が必要とされているのに、その情報がない状態」のことを指す、としている。) すると、「信頼」が意味を持つ場合というのは、「社会的不確実性」が存在している場合である。それに対して、「社会的不確実性」が存在していない時には、人は「安心」を感じているのである。 「相手が自分に不利になるようなことをすると、相手にも不利な状況になる」という場合、「相手の被るであろう不利益」が「社会的不確
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