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ブックマーク / kmiura.hateblo.jp (31)

  • 本日オープン飲み会@新宿 - kom’s log

    突然ですが、今夜6時30分から、新宿にて恒例の年末オープン飲み会を開催します。今回は私が言いだしっぺで『id:rnaを囲む会』をやろうとのことでしたが、場所の予約等、rna氏におんぶにだっこという形になってしまいました。柔軟ながら古武士のごとき論客にして自称非モテアイドル鑑賞家でもあり、生物専攻にしてシスアドのrna氏とまみえ、激動の2010年をふり返りたい方は(そうでなくても当然可)是非、ご参加ください。*1 場所 味王: http://bit.ly/eVc9PF 参加希望の場合には、rna-festa-2010@horobi.comまでご連絡ください(ケータイでの連絡もこのアドレスでOKです)。 - 簡単な後日の報告。『味王』はアングラ気分溢れる小さな台湾居酒屋で、実によいロケーションでした。メニューのオススメは豆苗炒め。そばのようにうことができます。話題は例のごとく最近の時事だけ

    本日オープン飲み会@新宿 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2010/12/31
    「柔軟ながら古武士のごとき論客にして自称非モテのアイドル鑑賞家でもあり、生物専攻にしてシスアドのrna氏」いいなー
  • 秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log

    英語を喋りながら車に近づき、運転席に入ろうとすると自動的に体は車の左側に向かってしまう。扉をあけようとするとハンドルがないので、反対側に苦笑しながらぐるっとまわって右側のドアを開ける。日語を喋りながらだったらこんなことはまずない。妙なものである。何回かやってしまってからは意識して間違えないようになったけれど。 わすれないうちに彼女のことをいろいろ書きとめておこう、とおもっているうちに死んだ日から半年もたってしまった。書こうと思うとはた、と止まってしまう。まったく書けない。書きたくないのではなく、彼女のことを書こうとするとその存在のリアルさに圧倒されて書けない。死が生のリアルさを際立たせてしまうのかもしれない。文字にできない。ならない。でもなぜか英語だったらできる。日語だととても難しい。でも日語で書きたい。彼女と日語を喋っていたからかもしれない。そうこうするうちに忘れてしまうか

    秋葉原 20080608・20090927 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/09/30
  • 続・ノルウェー - kom’s log

    ノルウェーの滞在先のホストマザーの家には、死んだ私の彼女も訪れている。94年のことで、留学中の妹に会いにノルウェーを訪れた。お礼状をかねた彼女の95年の年賀状がキッチンの壁に飾られていた。幾種類かの模様の和紙で縁取った手作りのA4サイズのカードで、真ん中には年賀の文句、和紙の日人形が添えられている。下のほうには小さなアルファベットの几帳面な字面で、英語の礼が教科書的に丁寧に述べられている。その判読しやすさに重点が置かれた字面に、彼女が肩をすくめてマウスを細かく動かしながら図面をひいている様子などを思い出して、その礼状の一文字一文字を彼女が丁寧に書いている様子が目にうかんだ。心がちくちくした。94年のころの彼女を私は知らない。09年の今、彼女はこの世にいない。知らなかった存在と、失った存在。その礼状は目の前にあるのに、どうにもありえない存在のような気がしてしまう。 - ノルウェーにいる間に

    続・ノルウェー - kom’s log
  • ノルウェー - kom’s log

    息子のデイケアが二週間ほど改築のため休みになる、とのことで二週間ぶっつづけで家にいるのもな、と思ってオスロの知人のところに行った。知人といっても実ははじめて会う人で、義理の妹が高校時代、一年ホームステイしていた先のホストマザーである。ホストマザー、ではあるのだが、生涯独身の弁護士。独身って、ホストマザーになれないんじゃなかったけ、とおもったりしたが、当時やり手でブイブイいわせていた彼女は、ラジオでホストマザーの募集を聞き、その足でベンツをAFSの建物に乗り付けてホストマザーになったのだそうである。その話をきいて、なるほどー、このなんとなく「ヤッピー」という言葉が似合いそうな雰囲気はそこからきているのか、と合点した。私が結果として彼女が死んでいく過程を書いていくことになった英語のニューズレターの200ぐらいのメールあて先のひとつで、何度も親身なメールを送ってくれたので、私は知り合いになった。

    ノルウェー - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/09/08
    「海はちょっと怖かったようで、波頭を見て泣いていた」かわええ
  • ムカシのネット - kom’s log

    院生のころネットに載せたおちゃらけ文章が出てきたんで掲載。 ロング・インタビュー - なぜ、三浦氏はシャツを燃したのか。 インタビューアー・冬木 - F:シャツを燃すのが趣味なわけ? M:いや、そーゆーわけじゃないんだけど。あのときはたまたま。というか、ある程度、必然的ではあったと思うんだけど。 F:必然的っていうと。 M:久しぶりに svnseedsにあった日だったし、IとかKとか荒くれな人間がいたしなあ。 山河でさんざん真露飲んだあとだったし。  真露はすげー酒だよ。つるつる飲んで、うまいよこれ、とかいってると腰くだけるからなあ。 F:ようはメンバーと、酒っつーことかなあ。 M:それだけじゃなくて、ミヒャエル・エンデが死んだことも関係しててさ。 F:へえー。 M:ミヒャエル・エンデは物欲が全くなくて、結局自分の肉体に対する未練もなくなって、死ぬ瞬間まで精神としての自分の存在を死とは無関

    ムカシのネット - kom’s log
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    cham_a 2009/08/27
  • 承前「反日上等」 - 2009-08-08 - kom’s log

    近況 仕事のスタイルがすごく変ってしまった。激変である。 ケータイをポケットにいれたまま洗濯してしまった。いままで燃したことと川に投げ捨てたことはあるのだが、かようなるウッカリははじめてなので情けない。デシケータで低圧下にしばらく放置する予定。 水村美苗の「日語が亡びるとき」をついに読んだ。仲俣さんの詳細な批判がほぼあたっているし、日人は全員読めって某売れっ子ブロガーが絶叫していたが、これはやはり間違い。後半に行くにつれ、神がかってきて大変な状態。最後の章などはしかられているような気分で、なんでオレがおこられなきゃいけないんだ、という気分になった。なお、村上春樹批判であると仲俣さんもいっているが、この点を私も強く感じた。 しかしながら「小説」における主人公である東太郎のヨウコとの関係は、自分と母語である日語の関係の隠喩であるという記述。水村美苗の小説の大ファンである私はこの部分に

    承前「反日上等」 - 2009-08-08 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/08/08
  • 2007-07-17

    三日前から猛暑。昨日は34度まで上がった。 昨日の短い記事(『ラストサムライの虚妄』)のコメント欄について、ブックマークの方で”「知り合い」ソースの応酬”(id:welldefined)てな言葉があったり、"Web怪文書、つうのはこういう形で出回るんだろうなあ"(id:shidho)といったコメントがあったこともあり、ちょっと考えていて先日話題になっていた北田暁大さんを思い出した。どこで接続させればいいのかは今はわからない(というか、下まで書いてから思うが、関係がない)。 だから、「メディアを疑う」というのは、実はそれほど容易な態度選択ではないのだ。「メディアを疑う」ことはつねに権力に対する距離を保証してくれるわけではない。むしろ、知らず知らずのうちに権力の掌のうえで躍らされる危険だって少なくない。「北朝鮮」へのステレオタイプを拡大再生産している一部の2ちゃんねらーが、「メディア・リテラシ

    2007-07-17
  • 2007-07-18

    フランス人の友達の家にいったら、巻き寿司がでてきた。寿司がでてくることは最近よくあるのだが、今日はすし酢を使っていないみたいで、ちょっとなー、と思った。 このエントリー 2007-07-09 『WEB2.0時代』のアーティスト代表例(おっさん向け) http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070709/p1 そのあとにこれ 2007-07-14 「アキハバラ解放デモ」への批判に関する雑感。 http://d.hatena.ne.jp/inumash/20070714/p1 というのは、実はとてもおもしろい。なにがおもしろいか、と説明しようとすると、触発されて考えることが多い、というだけなのだが、 そもそも、「レコード」が「ライブ音楽を収録する為に使われていた」なんて何十年も前の話。現在では、「ライブ音楽をレコードに収録する」という手法と「レコード音楽をライブで再現す

    2007-07-18
  • 年金制度の男女差別について - kom’s log

    某所にある社会保険局にいって彼女の死亡届をした。国民年金をマジメに払っていた人だったので、どのぐらい還付されるのかな、と思っていたのだが、300万円これまで払っていて、遺族に支払われるのは死亡一時金なる12万円である。のこりの288万円はそのまま国のもの。ろくなものではない。あまりに腹がたったので、「詐欺ですね、これ」といったら係の人が絶句してもうすこしエライ人がでてきた。生命保険だって元は補償されますよね、普通、といったら「国がみんなでやっている制度なので、ご理解ください」とのこと。国がみんなで、という言葉に”國體”というおどろおどろしい旧字があたまをかすめた。文句をいうならば、選挙で、とまでいわれた。まあ、そうだろう。 もし私が死んだ場合には、遺族年金なるお金がでて、毎年70万円だかがに支払われるそうである。しかし、私が生きていてが死んだ場合には死亡一時金12万円のみ。男だからど

    年金制度の男女差別について - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/06/29
    うちも自営でビンボの中、ずっと真面目に払ってたのに一時金のみだったもんなぁ…/やはり窓口で早死にするんなら払う意味ないですねとつい言ってしまった/せめて遺児には継続的に支給するべき
  • 彼女が死んだ。 - kom’s log

    一ヶ月の間一緒に住んだ。二ヶ月の間、病院で過ごした。短い結婚生活が終わった。 脳幹の梗塞、ということで一度医師団に見放された後に奇跡的に復活したという話はここに書いた。その後の脳の機能回復は私からみるかぎりかなり目覚しく、瞬きを使ってどの曲を聴きたいか、などのコミュニケーションを交わすことができるようになるまで回復した。一方で脳ではなく体の予後が思わしくなかった。初期の激烈な血圧上昇剤投与を停止したことによる副作用と思われる虚血による後発性肝内胆道炎を起こし、おそらくそのことが原因となった肝膿瘍が発症からちょうど2ヵ月後に発見された。細菌の感染も軽微ではあるが、抗生物質で完全に排除することができなかった。脳、肝臓、感染の三つ巴のなかで、治療方針は難航を極め、集中治療室を出ることができずに時間ばかりが過ぎた。この間に私はリハビリについて調べ、特にリハビリの専門家であるバーバラ・ウィルソンの著

    彼女が死んだ。 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/04/07
  • 挨拶のキス - kom’s log

    フランス (向かって)左 → 右 イタリア 右 → 左 (→右) ポーランド 左 → 右 → 左 そんなわけで、フランス人とイタリア人が顔をぶつける場面を時々みかける。

    挨拶のキス - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2009/01/05
    「左→右だけで止めると、”ツキが落ちる”とか言われます」へぇ
  • 悪の社会 - kom’s log

    要は「いまの社会は悪の社会だ」という認定をしている。 http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20081223/1230004277 社会というとどのスケールの社会を指しているのかにもよると思うのだけど、この結論を眺めたときにすぐにオウム真理教のことを思い出した。オウム真理教は日国家に対してハルマゲドンを設定した。このことから察するに「日社会」を「悪」とみなして問題設定をおこなった。これは私からみるととても極端で、社会を批判する上での間のステップをいきなり踏み越えている。 一方、目下のfuku33氏にとっての問題設定はトラブルシューティング的な内容なのだろうな、と想像する。システムの駆動に不良が生じており、その不良には欠陥があるのだからそれを修繕してシステムを復帰すべし、というような問題。あるいはシステムの漸次的改善。などとこのところの記事をいくつか読んでいて思った。

    悪の社会 - kom’s log
  • 難詰 - kom’s log

    セリア。なんでこんな50年代風のファッションなわけ。とわたしはいつも思うのだが、髪のまとめ方からの先まで50年代な雰囲気で統一しているので私は感服。アメリカの50年代の「LIFE」とかに出てくるヨーロッパ人のおしゃれなパリジャンヌ。現代パリのすかっと瀟洒な女子大生の服を粋にまとっているヴァージニアが、コーヒーを飲みながら、あの人ってすごく特殊、なんであんなに昔風の格好しているのかしら、とイヤミっぽく耳打ちしたりするのだが、私はセリアのファッションにシモーヌ・ヴェーユのパンクな生涯を想って、あー、だけどいいじゃん、あれだけ揃えるのってそれなりになんか意識しているはずだよ、とうわごと交じりに応える。セリアのあの格好のどこがいいのかしら。現代のパリジャンヌは50年代のパリジャンヌに負けずともおとらず女の闘いを隠さず、憚らず。 セリアはアルザスの出身である、ヴァージニアはパリの郊外出身。セリアの

    難詰 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/12/17
    セリアさんていくつくらいなのかな
  • ■ - kom’s log

    今の生物学って女がすごく多い。少なくともわたしの周りでは。そうなると、論文書くのにまわりが女ばっかりで議論することになるのだが(オレひとり)、これが実におもしろい、というか、違うのだよね、わたしが受けた日のマッチョ理系議論教育と。これでいいのかー、というオバチャン話の中で論理が構築されていくわけなのだけど、そのおそるべき混沌(わたしからみたら)のなかで彼女たちはボトムラインをどこにするかというのがわかっているわけで(なにげなくみちびかれる)、議論はあくまでもオバチャン。そのなかにいるわたしはもう、どうしょもないオバチャンになるしかないのだけど、これでどうにかなる、というか、サイエンスというのはそこまで幅が広いのであるというのは、実に信頼してもいい原理、方法論なのである。日のみなさま、武張ってないで、自由奔放にやりましょうね。*1 *1:なんてこと書くと性差別主義とかいわれそうだけど、ほ

    ■ - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/12/15
    「オバチャン話の中で論理が構築されていく」
  • ボクタチの闘争 - kom’s log

    「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基的な態度をとるべきなのである。 同じではないから、対話が必要なのであり、理解できる部分とできない部分を見極め、合意を形成し、ボトムラインの線引きを行う。ここからここまでは合意に達しましたね、ということで。同じ人間はそもそもありえない。同じ、ということはありえないと絶望しつつも合意が形成できることに僥倖を感じつつそこに社会関係がうまれる。 たとえばこのあたりにみられるように大騒ぎしている某府知事。バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。人がたと

    ボクタチの闘争 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/10/28
    「戦う」にしてもやり方があまりにも卑怯すぎるんだな/懲戒請求煽動では自分は安全圏で他人に戦わすとか/高校生をへ理屈で言い負かして悦に入るとか/スネ夫式戦いこそが正しいという信条らしいから仕方ないのか
  • 中学教師 - kom’s log

    後輩がちょっと会って話してやってくれ、と頼んできたので、日の公立中学の教師で、目下日人学校に派遣されている若い人にあって散歩したり夕べながら半日おしゃべりした。雑誌やネットでその様子を知ることはできるけれども、新任から5年、悪戦苦闘してきたそのディテールをことこまかに聞いたのは実にはじめてなので、とてもおもしろかった。また、日人学校での教育に関しても、自分の二十年以上前の補習校経験と比較しながら、あー、先生の立場ってこんな感じだったのだろうな、といろいろなことを思い出した。 日の公立中学の問題に関しては、机を投げつけられて、打撲ではなくどうせなら骨が折れれば傷害で訴えることができた、とかストレスでこんな病気に、あんな病気に、などなかなか過激な話があるものの、だったらなぜ教師を続けているのかということをきくと、小さなことで生徒に「ありがとう」といわれたときのうれしさや、渡航寸前

    中学教師 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/10/23
    コメ欄「「ムジャヒディーンのおじさんたちに会おう!」とかだとおもしろくていい」いやホントこれなら教育的価値もあるし
  • ベタがベタでなくなったとき - kom’s log

    紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。 近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえな

    ベタがベタでなくなったとき - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/09/17
    ホームレスを「人間」として扱っていいのか?/女性に教育をして意味があるのか?/黒人は人間というより動物に近いんじゃないか?奴隷を解放して何の益があるのか?etc…/ホント逆戻りする事ないよなー
  • 2008-08-25 - kom’s log- あたまのわるさリターンズ

    子供のころを思い出すと、前回書いたような意味であたまのわるい教師や親ほど偏差値がどうの、塾がどうの、ということにこだわっていたように思う。平均値の範囲の中で上下を決定するのに、わかりやすいスケールが必要なのだ。多次元の能力の原野に散在するようなあたまのよさをそれぞれの子供に獲得させようと思ったら、教師ないしは親である人間にその進む先、生き方が理解できるはずがない*1。あたまのわるい人間によって設定された「普通」の中におけるスケーリングでは、その狭いスケーリングの限界を超えることはないのである。困ったものだ。これに抵抗し、反発しえた子供はそのスケーリングからようやく離脱し、スケーリングを広げることに成功する。ひどい努力である。逆に反発できなかった人間はあたまのわるいスケーリングを再生産する。ましてやそのスケーリングでシステムが構成されるとなれば、狭いスケーリングによる安心システムの駆動はさら

    2008-08-25 - kom’s log- あたまのわるさリターンズ
  • 口笛はなぜ - kom’s log

    ドイツ人の女の子から聞いた笑い話 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080828/1219913596 ドイツ人の国民的教養としてのアルプスの少女ハイジ http://d.hatena.ne.jp/Britty/20080829#p3 ドイツ語版アルプスの少女ハイジは、始まりのうたとおわりの歌がドイツ語のまったくべつの曲に差し替えられている。ドイツのアニメだと思われてきた背景にはこの差し替えがあると思われる。というか日のアニメだって私がいっても信じてもらえなかったことがなんどもある。「ソース示せ」である。一方、スペインでは日語のまま「口笛はなぜ〜♪」と流れていたのだそうで、よっぱらってアルプスの少女ネタになるとおもむろに日語で「クチブッエワナッゼー トオクマッデキコエッルノアノクモワナッゼー」歌いだす人がいる。しばし一緒になってビール片手にがなった末

    口笛はなぜ - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/08/30
    「この歌詞の意味はなんなんだ、ときかれて説明するのに四苦八苦」ドイツ語か英語で説明できるようにしといた方がいいのだろか
  • 可視化と不滅 - kom’s log

    興味にかられて私も新宿をGoogle Street Viewで散策してみたのだが(なおドイツの地図にはこの機能は追加されていない)、クリックして移動・見回すその感覚は現実の時間経過のおまけがついているためにとてもリアルな経験である。しかし不気味。来私の移動にともなって世界もまた勝手に動いているはずなのに、静止している。写真なのだからあたりまえではある。「世界よとまれ!」と叫んだ人間は歴史の中にいくらでもいるだろう。けれども実際に体験した人間はこれまでいなかった。でもいまや私は、静止した世界をヴァーチャルに体験できるわけである。でもその世界は死んでいる。一方、まったく別の話であるが、死体とその輪切りをを営利目的でさらすことが公然と行われている。 『人体の不思議展』の不思議 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20080808 あなたや私は死後どこかの町の美術館で輪切

    可視化と不滅 - kom’s log
    cham_a
    cham_a 2008/08/28
    この「美しい誤解」のおかげで愛想が良かったつー話はよく見かけたもんだったが…哀しいなぁ