じゃっかん話がずれるのですが、内田樹の「下流指向」という示唆に富む本を最近読みました。 この本の中で、小学校に上がってくる子供達はすでに「消費者」として自分を確立してしまっている、 という指摘があります。だから学問が役に立つと思えば「わざわざ勉強してやる」し、学問の意義を 教師が説明できなければ、納得できないのに勉強するなんて消費者の沽券にかかわる、という説です。 このような心得違いが、小学生に限らず、くだんの道徳教師にも蔓延している、という見方は できないでしょうか。まるでバイヤーのように「科学」と「オカルト」を比較して、 子供達がより少ない努力でより大きな成果 (丁寧な言葉遣いなど) を得られる方を選んで 仕入れてくる、という考え方です。その考え方で正しい、と思っているからこそ、 前野氏の指摘に対して道徳教師は腑抜けのような反応しかできなかった、ということではないでしょうか。 人を事例