【茨仁唯色(ツェリン・オーセル)】 1966年、ラサに生まれ、漢語(中国語)でチベットの〝もう一つの真実〟を発信し続ける作家・詩人。中国にとってのタブーであるチベットの文化大革命の写真証言集『殺劫』などで、その勇気と見識が評価され数々の国際賞を受賞。しかし中国当局から「我が国のイメージを損なう」とパスポートの発給が許されず、授賞式は欠席となった。「著述は亡命、著述は祈祷、著述は証人」を座右の銘に書き続ける。 イラストレーション=阿部伸二 Shinji Abe 彼らが気軽に口から滑らせる/この「祖国」という言葉を私は認めない/ここは私にとってただ身を寄せる所/ただ他人の家の軒下の仮住まい/その証拠は「暫住証」/「祖国」という言葉を簡単に言える者が羨ましい/生まれつき自信満々で/権力を笠に着る/祖国を失った者の運命は風前の灯だが/私は証拠固めをしておく チベットのラサに生まれた作家・詩人のオー
香港で実在した拳法家・イップ・マン(葉問、(1893-1972)をモデルにした映画イップ・マンシリーズの最終作となる 「イップ・マン 完結」が、新型コロナウイルスのため予定よりも遅れたものの、いま、全国各地の映画館で上映が広がっている。そのなかの見どころは、なんといっても、現実でも、映画の中でも、イップ・マンの弟子として拳法を学んでいたブルース・リー(李小龍)との絡みから浮かぶ2人の奇妙な師弟関係のありようではないだろうか。 筆者は8月に刊行した新著『香港とは何か』(ちくま新書)のなかで、香港映画を通した香港史理解の方法を提示し、特に、1970年代に世界を席巻したブルース・リーの一連の作品と、2000年以降に世界的なヒット作となったイップ・マンシリーズは、現実と銀幕の二重構造のなかで展開される二人の「共演」がモチーフとなっており、二人の関係を知っておくことは上映中の「完結」を見るための予備
天野健太郎さん(左)、台湾の漫画家・魚夫さん(左から2番目)、台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター長・朱文清さん(中央)(2017年9月、写真:台北駐日経済文化代表処 台湾文化センター提供) 亡くなった人物の生き様や功績を書くことを評伝と呼ぶ。私がこれから書くのは、先日、47歳の若さですい臓がんのために亡くなった台湾文学の翻訳家・天野健太郎氏の評伝ということになるのだが、正直、編集部から執筆の打診を受けて書くことは了解したものの、この原稿を書くことに今なおためらいがある。なぜなら、天野氏は私にとっていささか身近すぎるところがあり、フェイスブックなどにコメントをつぶやく気にもなれず、訃報に接して今なお気持ちが整理できていないからだ。 同志であり、ライバルであり 天野氏とはお互い忙しいので年に何度か会うだけだったが、しばしば、話題は日本における台湾認識の問題になった。日本の台湾に関する情報
海南華僑レオン氏86歳のファミリーヒストリー ガヤ通り周辺で1930年代のボルネオ島コタキナバル(通称KK)の生活を鮮明に記憶しているお年寄りを探し歩いていたところ、数人からレオン氏の名前が挙がった。 レオン氏は“悦昌”という食堂兼カフェの3代目オーナー。“悦昌”に出向くと息子の4代目オーナー氏が「最近体調を崩して寝ています。体調が良い日は朝食の時間帯にお店に出てくることもある」と教えてくれた。それから毎朝散歩の途中“悦昌”に立ち寄ったが、会えない。レオン氏の奥様によると「最近は足腰だけでなく記憶も曖昧でお役に立てるかどうか。あまり期待しないでくださいね」とのこと。 1週間くらい経過した11月27日、レオン老人についに面会できた。ミルクコーヒーを飲みながらレオン氏から英語・標準中国語(普通語)のチャンポンで話を聞いた。レオン氏は1930年生まれの86歳。話すほどに昔の記憶が鮮明に蘇り、話し
訪日中国人観光客の間で急上昇している関心事といえば「食事」。日本旅行の際、食事は大きな楽しみのひとつだが、中国人はどのようにして日本の飲食店を探し、予約しているのか、考えてみたことがあるだろうか。連載6回目はインバウンド向けのオンラインによる飲食店予約代行サイトを運営する企業、日本美食を紹介する。同社のCEO、董路(ドン・ルー)氏に話を聞いた。 ――中国人が日本旅行をする際、予約代行をしてくれるサイトがあるのですね。初めて知りました。 董氏:訪日中国人向けのビジネスで、事業の柱は主に2つです。1つ目は訪日中国人のオンラインでの飲食店の予約代行サービス。2つ目はそれに関連する決済サービスです。これまで、訪日中国人は日本で「ぐるなび」や「食べログ」、「一休.comレストラン」などのサイトで飲食店を予約することができませんでした。彼らは日本の電話番号を持っていませんし、言語の問題もあるからです。
――シートリップは中国を代表する大手の旅行会社ですね。 蘇氏:はい。中国にもたくさんの旅行会社がありますが、弊社は1999年に中国・上海で設立されたオンライン専門の旅行会社で、中国のオンライン旅行サイトとしては首位、世界でもトップ3の規模となっており、ホテル、鉄道、航空券など旅行に関するさまざまな商品を取り扱っています。中国語では「携程旅行網」とも呼ばれており、従業員は3万人に上ります。 2015年に中国で有名な旅行サイトである「去哪儿」と「艺龍」がシートリップファミリーとなり、中国でのホテル予約の実に75%近くが弊社経由となりました。 日本には2014年に進出しました。現在、日本には、私が代表を務め、ホテルなどの仕入れをするシートリップ・インターナショナル・トラベル・ジャパンのほか、中国からのパッケージツアーを担当するシートリップ・ジャパン、エアチケットなどを販売するシートリップ・エア・
今年も中国の国慶節(建国記念日をはさむ大型連休)がやってきた。中国人の「爆買い」がブームとなったのは2015年。その後、中国人観光客の関心や消費は「モノ」から「コト」(経験)へと移行しているが、現在はどのような現象が起こっているのか。また、彼らはどんなアンテナを張り、どのように日本の情報を得て、どんな行動を取っているのか? 日本企業や地方自治体にはどんなビジネスチャンスがあるのか? 中国人のインバウンド事情に詳しいキーパーソンに話を聞いた。 連載第1回目は、上海で富裕層向けメディア「行楽(こうらく)」を立ち上げ、富裕層の思考や消費傾向に精通する行楽ジャパン代表取締役、袁静(えん・せい)氏。 ――上海などで、富裕層向けに日本旅行メディアを発行しているのですね。 袁氏:もともとは09年に北海道を紹介するフリーペーパー『道中人』を創刊。その後、九州観光を紹介する『南国風』も発行し、それらを発展さ
中国政府の介入で「一国二制度」の形骸化の危機が叫ばれている香港でいま、民主化運動に関わってきた人々への政治的弾圧が激しさを増している。雨傘運動でリーダー的役割を果たした若者3名に対し、香港の高等法院はこのほど第一審の判決を大きく変更し、重い実刑判決を下した。「政治犯を作り出している」との批判が香港内外で高まるなか、中国政府の意向を受けたとみられる香港政府主導のもと、さらに多くの民主化運動のリーダーが入獄や破産に追い込まれつつある。民主化運動の代表的存在で、香港社会でその長髪から「長毛」の愛称で親しまれているベテラン政治家、野党・社会民主連線(社民連)幹部の梁国雄氏に話を聞いた。梁国雄氏も昨年の立法会選挙で当選したものの、議員就任の宣誓方法をめぐって「宣誓文の読み方が適切ではない」などの理由で香港政府から訴えられ、先日、議員資格を喪失したばかりだ。(取材・執筆:野嶋剛) 「雨傘運動」の若者た
[フランス中西部Le Puyからスペインの聖地Santiagoを経てMuxiaまで] (2015.4.22-7.16 86days 総費用37万円〈航空券含む〉) (承前)その後数日してロードス島の中央部の観光地から離れた鄙びた田舎の村のバス停でバスを待っていた。バスは一日数本しかなく一時間以上も待つので暇つぶしにバス停の周辺に数軒だけ並んでいる店の一つである雑貨屋を覗いてみた。私が麦わら帽子を買おうと手にしたら奥から主人が出てきて「5ユーロ」と英語で言った。中国人のようであったので「ニイハオ」と挨拶すると主人は中国語で「4ユーロでいいよ」と笑顔で対応。 そのうちに奥さんも昼ごはんの食べかけの丼を手にして出てきた。談笑していたら二人とも上海近郊の常州市の出身で1年前に店を開いたとのことであった。夫婦は40歳前後であった。奥さんから昼飯のおかずの春巻きを一つ頂き賞味した。二人は5年前にアテネ
豪州国立大学名誉教授のポール・ディブが、9月6日付のオーストラリアン紙で、中国マネーと中国人コミュニティーの存在について警告する一文を書いています。要旨は次の通りです。 中国人コミュニティによる深刻な影響 豪州に対する中国の投資と豪州における大きな中国人コミュニティの存在が中国の影響力に関して深刻な問題を提起している。 豪州における中国の投資の累積額は英国、米国、日本に遠く及ばない。しかし、中国の投資の焦点と速度が安全保障上の懸念を惹起する。過去10年、豪州は米国に次いで二番目の中国の投資先であった。そして昨年、ほぼその半分が国有企業によるものであった。 豪州における中国系住民は100万人である。その3分の1が中国生まれである。さらに14万の留学生がいる。年配の中国系住民の多くは完全に同化しており、中国に対する批判的な声が封じ込められているわけではないが、多くの中国系住民の間で親中の態度が
毎年8月、日本では戦争と平和について考える機会が増える。そのとき話題になるのは広島・長崎の原爆被害であり、ソ連の参戦、そしてポツダム宣言受諾を述べる昭和天皇の声が流れた8月15日の終戦(敗戦)のことである。 “アジア・太平洋戦争”の実相 これらをもたらした戦争はふつう「太平洋戦争」と呼ばれ、日本国民の記憶としては「米国との無謀な戦い」というイメージが圧倒的に強い。しかし、この戦争を「真珠湾奇襲で始まり、広島・長崎の原爆で終わった日米戦争」としてとらえることは、戦争の一面しかとらえておらず、正確とはいいきれない。 そもそも1941年12月8日の真珠湾奇襲の約1時間前に、日本軍はシンガポール攻略を目指してマレー半島のコタバルに上陸を開始している。この事実こそが重要である。 日本は当時、東南アジア全域の軍事占領を目指したのであり、米国を倒しワシントンDCに日の丸を掲げるために戦争をしかけたわけで
ハーバードには日本語を勉強している人たちが多くいる。日本語学習に対する彼らの熱心な姿勢には、米国で英語を学ぶ筆者も感心する。毎月1回、ハーバードで日本語を勉強したり、日本関連の研究をしている研究者と日本語で会話し昼食をともにする機会があるが、ここに集う人たちは実に多様だ。 東アジアの国際関係や雇用機会均等法など硬いテーマを研究している韓国人がいる一方、日本の落語を研究テーマに博士号取得を目指して実際に落語家に弟子入りして高座に上がったトルコ人などもいる。学習期間によってレベルに差はあるが、みな必死で日本語を話している様子がわかるため、こちらも正しい日本語を話さないといけないなという気持ちになる。 ブームは去るも、一定数いる日本語学習者 ハーバードでは5年間の日本語の学習課程を用意しているが、現在、約140人が登録をしている。大学のデータによると、近年の日本語の学習者は2010年度までは右肩
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く