昭和20年8月9日。B29爆撃機ボックス・カーが投下したプルトニウム型原子爆弾・ファットマンにより長崎市松山町の爆心地から半径2キロ以内はほぼ全ての建物が倒壊・焼失した。送配電設備も壊滅的な被害を受け、長崎市内全域は停電し、生存者たちは漆黒の闇の中で一夜を明かした。 翌10日、九州配電(現・九州電力)長崎支店社員の川口末松さん=当時(19)=は、壊滅した長崎市内の電力復旧の先遣隊として歩いていた。 「いつ電気は来るの?」 「今晩中には通電できますよ」 被災者の問いかけにこう答えると大きな歓声が上がった。地獄に落とされた長崎の人々にとって電灯は希望の光だったのだ。85歳になる川口さんは今もその笑顔が忘れられない。 「電気という仕事に従事して本当に良かった。そう思えた瞬間でした…」 × × × 10日には、長崎の壊滅を聞き、福岡や佐賀の九配支店・営業所の従業員らが続々と応援に駆けつけた。