ブックマークしました ここにツイート内容が記載されます https://b.hatena.ne.jp/URLはspanで囲んでください Twitterで共有
日本学生支援機構(JASSO)の奨学金(貸与型奨学金≠給付型奨学金)が議論になっています。 奨学金が返せない|特集まるごと|NHKニュース おはよう日本 気づいてますか?子どもの貧困 【番組冒頭】奨学金が返せない!?|NHK あさイチ(この報道へのJASSOの公式コメントは魚拓をどうぞ) 何が問題? どういうことかというと、日本育英会から事業を引き継いだ日本学生支援機構の提供する奨学金という名の『借金』について、返済できない人が増えているというものです。 おさえておきたい一つのグラフ 最近話題になっていることから、topisyuも、ネット上での議論、報道、論文、JASSOの規約などを読んだりして、後でまとめようかなと思っているのですが、まずは以下のグラフをおさえておくといいのではということで紹介するのがこの記事の目的です。 ※JASSOが投資家向けに作成した『日本学生支援機構について』(P
秋葉原には2回ぐらいしか足を踏み入れたことのないワスですが、首都圏に在住するオタのお歴々からすると、聖地として思い入れのある土地のようですね。 んでホラ、オタクの人って、自分たちのジャンルがいかに綺麗でクリーンかアピールしたがるじゃないですか。ドラッグカルチャーの否定とか、犯罪者の切断処理とかね。 その流れの一環か、「秋葉原にヤクザはいない」っていう人がいたんですよ。 秋葉原にヤ●ザが居ない理由 - Togetterまとめ なんだかやたら思わせぶりな書き方で、「秋葉原には露天商のまとめ役がいたから、ヤクザは手を出せなかった」みたいなことを書いてるんですけど、露天商のまとめ役がヤクザの親分じゃなくて何なんだと。 どうも最近、テキヤはヤクザじゃない、と思ってる人が多いんじゃないかと。 日本におけるヤクザは、その由来から賭場をとりしきる博徒、露天商をまとめるテキヤ、どちらにも属さない愚連隊の三つ
コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕
「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか(1/5 ページ) このところ「マイルドヤンキー」という言葉が注目を集めているが、私はこれにどこか違和感を覚えてきた。「そうした新たな社会層が台頭している」と言われるのだが、私は思うのである。「それってもしかして、日本の平常運転では?」と。 マイルドヤンキーについて、たとえばNHKの報道番組ではこのように解説していた。 地元志向 世界は半径5キロ 車、酒、タバコ、パチンコが好き 仲間を大切にする 礼儀正しく優しい こうした社会層が台頭し、今や若者の間で一大勢力となっているというのだが、よく考えてみるとおかしい気がするのである。 地元志向 世界は半径5km ──地元志向でなぜいけないのだろう。みんながみんな、東京に憧れて上京するべきなのだろうか。 車、酒、タバコ、パチンコが好き ──これらはみな戦後日本のご
2014-05-23 イオンの同化政策は「半端に発展した地方都市」のみを直撃する 北東北の中心地といえば岩手県盛岡市ではないだろうか。 このあたりは高速道路や鉄道の要所だ。秋田方面、青森方面、八戸方面、そして三陸海岸から集まった路線が盛岡で束ねられ、東京に向かう東北自動車道や東北新幹線に合流するのだ。市内中心部には北上川がゆるりと流れ、かなたには岩木山も見える。小岩井農場も町の郊外にある。 そんな盛岡市には元来豊かな食文化があることで知られている。わんこそば、冷麺、じゃじゃ麺などとりわけ麺類が豊富な土地だ。市街地にはそれらを食べるお店がたくさんある。 そんな盛岡だが、商業文化の中心地は盛岡駅前ではなく町はずれのイオンモールにある。つまりジャスコだ。だが、イオンモール盛岡もイオンモール盛岡南も、フードコートやレストランの一覧を見ると、わんこそば屋などの岩手料理の店屋は一つもないようだ。 もっ
小保方さんはたぶんずっと、関係性の中で生きてきたんだと思う。私的な、特別な関係の中で生きて来たんだと思う。それは別にいやらしい意味ではなくて、小保方さんはそのときどきの目上の人や、場のリーダーから常に「君だから」「君なら」って言われて生きてきたんだと思うし、彼女がそういう扱いに乗っかって生きてきたのも、それは彼女の無意識のうちの生存戦略なんだと思う。 だから、彼女が公的なものや客観性のあるものから初めて決定的な裁判を下されたのが、ネイチャーに切り貼り論文を送りつけたことから始まるこの一連のSTAP騒動なんだと思う。それまでは早稲田大学ですら小保方さんには客観的な・公的な判断を下せていなかった。 小保方さんは30歳近くまで生きていても、生身で社会に出たことが無かったんだろうと思うし、またそういうことに対する自覚も全く無かった。たぶんずーっと「関係性の繭」「私的な繭」に包まれて生きてきて、それ
雑な雑感。 高校の時から、おなじ系列のお店でずっと働いてきてて。 それで、不景気とか値上げとか増税、っていう、ちょっとした「暮らしの変わり目」を通り過ぎてきてるけど。 今のお店は、今はなくなっちゃった前のお店の常連さんも何人か、こっちに来てくれてる。 だから、私はずーっと何年も知ってる、っていうお客さんが何人かいる。 今のお店になってからも、そこの常連さんたちは、毎日うちに来てくださる、っていう人たちも多くて。 毎日毎日、決まった時間に出勤する職人さんとかサラリーマン。 大雨の日も雪の日も、 「現場は休みじゃないからねー」 って、苦笑いしながらゴハンやタバコを買いに寄ってくださる職人さんとか。 未成年だった私がこんな年になったよーに、常連さんたちも年をとっていく。 時々、姿を見せなくなると、病気だったり怪我だったり。 そんな話を聞けば、私たち従業員も心配する。 治ってまた働くよーになると、
太平洋戦争を全面的に総括しようとすると、どうしても納得できないことにブチあたってしまいます。 それは、なぜ敗戦国の戦争責任だけが問われて戦勝国の戦争責任が問われないのか?という話です。 太平洋戦争のアメリカ軍による日本への空爆は、最初は軍事施設や軍需工場だけをターゲットにしたものでした。しかし日本側がなかなか音をあげないために、民間人の家屋も空爆の対象に加えました。アメリカ軍は日本の木造家屋を燃やすための焼夷弾と呼ばれる爆弾をわざわざ開発しました。そうやって意図的に、非戦闘員を街ごと焼き殺した行為が罪でないとはどうしても思えません。 従軍慰安婦の話も同様です。日本軍の従軍慰安婦制度には一部で軍関係者による関与があったことは間違いないでしょうし、それはもちろん罪です。しかし第二次世界大戦当時、軍隊が性犯罪をまったく犯していない国はありません。慰安所という仕組みを作ったのは日本やドイツ等の一部
先月に一時帰国した際、評判の映画『永遠の0』を観ました。また、小説も評判であるというのでこちらも読みました。どちらもプロの仕事であると思います。技術的に言えば、ストーリー・テリング(物語の展開)だけでなく、セッティングやキャラクターの造形、そして何よりも時空を超えた大勢のキャラクターが、物語の進行とともに「変化していく」効果が見事です。 キャラクターの「変化」というのは、「成長」したり「相互に和解」したり、あるいはキャラクターに「秘められていた謎」が明かされたりしてゆくという意味です。そうした効果を、時空を超えた複数のキャラクターを使って、しかも2000年代と第二次大戦期という2つの時間軸の中で実現している、そのテクニカルな達成はハイレベルだと思います。 更に言えば、老若男女の広範な層にまたがる読者あるいは観客は、多くのキャラクターの中から自分の感情を投影する対象を見出すことができるように
昨年、連載いたしました「新国立競技場をめぐる議論について」なのですが、 この問題が広く世間で建築工学や建築文化をめぐる問題の共有につながれば 本望です。 思いのほか多くの方々に読んでいただいたみたいで、 いろいろとご質問などもいただきまして、ありがとうございました。 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 1(ザハはイラク出身の建築家) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 2(アンビルドアーキテクトと磯崎新) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 3(新国立競技場コンペ応募資格) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 4(ザハの仕事と今の国立競技場) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 5(建築と哲学の諸問題) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 6(新国立の募集要項と大きさ) 新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について 7(脱構築とは
1月12日の深夜、「NNNドキュメント’14」で放送した番組は視聴者に衝撃を与えた。 モノクロながら、画面に大映しにされたのは、 手や足がなく、金属状の義手や義足をつけた人、両目がない人の目のアップ、ただれた口元などなどだ。 50年あまり前の1963年8月16日に放送された日本テレビの「ノンフィクション劇場」というドキュメンタリー番組枠で放送された作品の再放送。制作したのは昨年1月に死去した映画監督・大島渚だった。 その作品そのものをくるんだ形で、 「NNNドキュメント’14 反骨のドキュメンタリスト 〜大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」として番組で放送したのだ。 『忘れられた皇軍』は、フィルム時代の伝説的なドキュメンタリーとして知られ、私も名前を聞いたことはあっても実際に見るのはこれが初めてだった。 大島渚といえば、テレビのスタジオで怒っている姿が印象的な人物だったが、このドキュメン
少し前の話になるが、ある人(A氏)と何気なく政治について会話をしていた時、相手からこんな話題が出た。 「ところで、○○(ある野党政治家)って、在日らしいですね」 あまりに唐突で驚いたが、聞けばインターネットでその政治家の名前を検索すれば、在日外国人だという結果が出てきたからだという。確かに、その政治家の名前を検索エンジンにかければ、予測検索で「在日」「帰化」と言ったワードがすぐにサジェストされる。しかし、その政治家が在日外国人だという信用に足る記述はついぞ見たことがない。ネット上では他にも、左派・リベラルに近い政治家や文化人が在日外国人だとする書き込みも多く見られるが、彼らがそうだという話も同様に根拠が薄い。その話の根拠についてA氏に聞くと、ただネットに書いてあったから、というだけで、自分で来歴や家族関係を調べた訳ではないという。A氏は他にも、韓国や中国についての、ネガティブな話題を私に振
住む場所も食べ物も、仕事も価値観も全く違うヤンキーとエリート。この現実は、「格差」という言葉ではもはや説明できない。すでに日本は、欧米のような「階級社会」の時代に突入しようとしている。 キラキラネームをつける 「このままだと日本はヤンキーだらけの国になってしまうに違いない、私はそう感じています」 と語るのは、書評家・ライターとして活躍する豊崎由美氏だ。豊崎氏は、もう10年ほど前からこの「1億総ヤンキー化」説を唱えているのだという。 「昔はどこの家にもそれなりに子どもがいました。しかしいまでは、子だくさんなのはヤンキー家庭だけで、普通の家庭やインテリの家庭は子どもを育てようとしない。やがて普通の家庭の子まで、ヤンキーだらけの世の中で生き残るために、自らヤンキー化することを選ぶでしょう。ますますヤンキーは増え、そうでない人は淘汰されてゆくのです」(豊崎氏) 格差社会の到来と言われて、もう何年が
今を遡ること約2000年、紀元前の古代ローマ帝国・初代皇帝アウグストゥスは、ある法律を制定した。 関連情報を含む記事はこちら その名も── 姦通処罰法。不貞や同性愛、売春など、エスカレートの極みにあった性的状況を憂慮してのことだった(もっとも本人も好き者だったそうだが)。 古代ローマには「浴場」という名のもと、売春専門として欲情を処理する売春目的の場もあったそうで、日本の風俗とどこか似たものを感じる。 悠久の歴史を経て受け継がれた(?)風俗業界を手掛かりに、見えそで見えない日本の夜を、経済的視点で分析しちゃおうというのが本書『夜の経済学』(飯田泰之、荻上チキ/扶桑社)だ。 いきなりだが、日本にはフーゾク嬢は一体何人いるのか? ──約30万人。 日本の人口が1億2760万人(2012年)とすると、なんか少ない気がする。しかし、本当に「少ない」のだろうか? 本書では「風俗」と「フーゾク」を明確
「出産は、家族の幸せの始まり」――。日本のメディアはこれまで、そうしたイメージをある種”無邪気に”発信してきた。 だが、NHKの朝の情報番組「あさイチ」取材班が取材した現実は、そんなに生易しいものではなかったという。 いったい、日本の「産後」に何が起きているのか? 産後の現実を、『産後クライシス』という書籍にもまとめた坪井健人ディレクター、内田明香記者が、今後、数回にわたってレポートする。■ 豹変した妻、おびえる夫 【詳細画像または表】 朝食を終えたリビング。妻は寝起きのままのパジャマ姿で子どもを抱えて、疲れた目でテレビのワイドショーを見ている。 見るからに不機嫌な妻に気を遣い、テーブルの上の皿を全部、台所に持っていく。台ふきでテーブルを少しふいて、洗い物を始める。最近、皿洗いをするときは、裏側に油分が残っていないかなど、すみずみまで意識をめぐらせて、慎重に行うようになった。 さ
1月15日、 「第21回 ゴー宣道場」 『ソーシャルメディアの罠』 が、ジャーナリストの 佐々木俊尚 氏を ゲストに迎えて開催されました。
地方にこもる若者たち 都会と田舎の間に出現した新しい社会 (朝日新書) 作者: 阿部真大出版社/メーカー: 朝日新聞出版発売日: 2013/06/13メディア: 新書この商品を含むブログ (19件) を見る 生活環境を語るアングルとして「都市」「地方」という二分法が有効だった時代が過去のものとなり、中核都市でも過疎地域でもない「郊外」が台頭してきて、数十年が経ちました。全国一律な国道沿いの風景――いわゆるファスト風土――の成立も相まって、郊外に造成されたニュータウンは、日本人の新たな故郷、そして標準的な生活環境になりつつあります。 昭和時代のニュータウンは、地域のしがらみから開放された新環境で、そうした自由を多くの人が夢見ていました。もちろん「マイホームを持ちたい」という夢は、ダイワハウスや積水ハウスのような住宅業者、鉄道沿線の宅地開発に関わった業者によって“煽られた”夢ですが、そうした“
元パチンコ雑誌編集者のA氏はこう言う。 「今、仮に全国のパチンコ屋に爆弾が落とされて、パチンコが全部なくなって、店員と客が全員死んだとしても、日本のGDPは変わらないか、むしろ上がると思います。それぐらいにこの業界はどうしようもありません。私もあまりのバカバカしさに嫌気が差して、パチンコ雑誌を辞めました」 パチンコの何が問題なのか。A氏は、まず、「ゲーム性のなさ」を挙げる。 「パチンコは極論を言えば、ハンドルをひねって自動的に玉が弾かれるのを見ているだけのゲームです。昔は『技術介入』といって多少のテクニックが必要でしたが、今はほとんど関係なくて、玉が出るかでないかは、運で決まります。パチンコ台にはハンドル以外にも『チャンスボタン』というボタンが付いているのですが、液晶画面に『押せ!』と出るから押すと画面がピカっと光って何か嬉しいというだけで、当選確率が変わるわけではないのです。今時、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く