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ドイツと60年代に関するcinefukのブックマーク (2)

  • 異形の航空機 VTOL編 写真特集:時事ドットコム

    < 前の写真 次の写真 > EWR・VJ101C(独) VJ101Cは、北大西洋条約機構(NATO)が1961年に始めた近接支援戦闘機のプロジェクトに合わせて開発された。当時は東西冷戦の真っただ中で、NATOの要求仕様は、超音速飛行が可能な一方、低空・低速域での運動性や敵の攻撃で空軍基地が破壊されることを前提に、滑走路の短い簡易飛行場や前線近くの平坦地でも運用できることを求めていた。 VJ101Cは、試作1号機のX1(写真)で垂直離着陸能力と低速域での飛行性能をテストしていたが、64年9月に墜落事故を起こして機体は失われた。試作2号機のX2は、ティルトエンジン4基をアフターバーナー機能付きで推力1.7トンのものに強化し、超音速飛行能力をテストした。その結果、マッハ1.4(時速1484キロ)の最高速度を記録し、飛行性能についてはNATOの要求仕様をほぼ満たすことができた。 しかし、ホバリング

    異形の航空機 VTOL編 写真特集:時事ドットコム
    cinefuk
    cinefuk 2017/11/21
    「滑走路が失われても飛行できるように」というアイディア、高速道路を滑走路規格で作ったり、空き地から離着陸できるVTOL機を開発したり、冷戦時代の試行錯誤には当時の情勢が偲ばれる https://www.youtube.com/watch?v=o6rTlaARcr4
  • トラバント - Wikipedia

    トラバント(Trabant)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のVEBザクセンリンク社が生産していた小型乗用車である。「トラビ」 (Trabi) の愛称で親しまれた。名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語。1957年に打ち上げに成功したソ連の人工衛星「スプートニク1号」を賞賛して命名された。 概要[編集] 人民公社カール・ツァイス・イェーナの駐車場。停められた車の多くがトラバントである(1978年7月撮影) ベルリンの壁崩壊直後のベルリン市内を走るトラバント601(チェックポイント・チャーリーにて、1989年11月)。先頭も、2台目、3台目もトラバントである 1958年から1991年までの長期にわたって大規模なモデルチェンジは行われないまま生産されたが、大まかには1958年 - 1964年のP50・P60と、1964年以降のP601に分けられる。 1989年のベルリンの壁

    トラバント - Wikipedia
    cinefuk
    cinefuk 2016/07/05
    VEBザクセンリンク自動車工場ツヴィッカウの記録映画(1965)納車待ちのマイカーへの憧憬 Trabant 601 Original Produktions-Film DEFA https://www.youtube.com/watch?v=dpVu1gSC3HM
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