私が「日本サンライズ」に入った1983年は、ガンダムのヒットからまだ3年目で、中小企業の町工場がたまたまヒット商品を出してしまったくらいのかんじの、社員全員で(もちろん外注さんも含めて)バスを連ねて慰安旅行に行くようなアットホームな会社でした。
![高松信司 on Twitter: "私が「日本サンライズ」に入った1983年は、ガンダムのヒットからまだ3年目で、中小企業の町工場がたまたまヒット商品を出してしまったくらいのかんじの、社員全員で(もちろん外注さんも含めて)バスを連ねて慰安旅行に行くようなアットホームな会社でした。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b3c1f402f2d9331a726d9db56e7d4f5930f2710c/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1344206426646822913%2Fpu5f6uQ6.jpg)
NHK「神田伯山のこれがわが社の黒歴史」第1回を飾ったことで注目を浴びた、バンダイのコンソール「ピピンアットマーク」(Pippin Atmark、1996年発売)。しかし、この番組だけではその本来の価値を伝えきれない。そこで、当時Mac雑誌でピピン開発ドキュメンタリーを執筆していた納富廉邦さんに、Macintoshをベースにした不運なマルチメディアデバイスの意義をまとめてもらった。 売れなかったのは事実だけれど、世界一売れなかったゲーム機だったかどうか、それは分からない。ワンダースワンとか3DOとかネオジオとかCDTVとか、いや、いいけど、赤字額が大きかったゲーム機なんていくらでもあるだろう。そもそもピピンアットマークはゲーム機だったのか、という問題もある。それこそ、パナソニックの「3DO REAL」のように、家電として流通させたからアレはゲーム機ではないという例だってあるのだ。 私は、1
バンダイ 元社長の山科 誠氏をゲストに迎えた「黒川塾七十七(77)」をレポート。ガンプラや海外進出,セガバンダイ合併解消の理由などが語られる ライター:大陸新秩序 2020年7月31日,トークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 七十七(77)」が,OPENREC.tvの黒川塾チャンネルにて配信された。このイベントは,メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏がホストを務め,招いたゲストとともに,ゲームを含むエンターテイメントのあるべき姿をポジティブに考えるというものである。 今回のテーマは「バンダイ創立70周年を迎えて バンダイ元社長 山科誠がクールジャパンコンテンツの源流を初めて語る マルチメディア・エンタテインメントの過去,現在,未来」。 ゲストにバンダイ(当時)の元代表取締役社長である山科 誠氏を迎え,エンターテイメントコンテンツの多角化と国際化を推進した当時の同社の取り
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