和田三造が描いた1940年東京五輪の公式ポスター。印刷されず幻の作品となった(「報告書 第十二回オリンピック東京大会組織委員会」より) 1940(昭和15)年に予定されながら、日中戦争の激化などで開催を返上した東京五輪があった。東洋初の開催で、日本を世界にアピールするため、満を持して用意された公式ポスターは印刷されなかった。仁王像を配した“幻のポスター”を描いたのは、兵庫県の旧生野町(現朝来市)出身の洋画家、和田三造(さんぞう)。国民の大きな期待を背負ったが実現しなかった五輪と自身の作品に対し、和田はどんな思いを込めたのだろうか。(竜門和諒) 右手を挙げるアスリートに、手を添える仁王像。背景には小さく富士山が描かれる-。和田の東京五輪ポスターのデザインだ。 1940年は「日本書紀」にある神武天皇の即位からちょうど2600年。23年の関東大震災からの復興も印象付けられるとして、31年の東京市
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